"Harmonium" First Edition, Alfred A. Knopf, 1923
"Thirteen Ways of Looking at a Blackbird" from the Poems "Harmonium", first appeared in the magazine "Others: An Anthology of the New Verse", October 1917 by Alfred Kreymborg and two months later in the December issue of "Others: A Magazine of the New Verse."
黒ツグミを見る13の方法
ウォレス・スティーヴンズ
I
二十もの雪山のなかで、
ただひとつ動いているのは
黒ツグミの目だけだった。
II
私には三つの心がある、
三羽の黒ツグミがとまる
一本の木のように。
III
黒ツグミが秋の風のなかを舞う。
それは小さなパントマイムの一部だ。
IV
ひとりの男とひとりの女は
ひとつのもの。
ひとりの男とひとりの女と一羽の黒ツグミは
ひとつのもの。
V
私はどちらが大切か知らない、
変化による美か
暗示による美か、
黒ツグミがさえずる時か
さえずるのをやめた時か。
VI
つららが長い窓を
野蛮なガラスで覆う。
黒ツグミの影が横切り、
行きつ戻りつする。
その影を正確に
たどれるとは
思えない。
VII
おおハダム町の痩せた男たちよ、
なぜ黄金の鳥ばかり夢見るのか。
女たちの足もとを
黒ツグミが歩きまわるのが
見えないのか。
VIII
私は高貴なアクセントと
明晰で厳格なリズムを知っている、
だがまた私は知っている、
私が知る限り
黒ツグミほど複雑なものはないかを。
IX
黒ツグミが飛び去って視界から消えた時、
それは重なりあう円を
鋭く突き破った。
X
緑の灯りのなかに飛ぶ
黒ツグミの群れを見れば、
調子に乗った女衒ですら
鋭い叫びをあげるだろう。
XI
彼はガラスの馬車で
コネチカットを突っ切った。
突然、恐怖が貫いた、
彼は馬車の影を
黒ツグミと
見まちがえたのだ。
XII
川は流れている。
黒ツグミは飛んでいるにちがいない。
XIII
午後はずっと宵闇だった。
雪が降り
さらに雪は降りつづけた。
黒ツグミは杉の木の枝に
とまっていた。
"Wallace Stevens The Collected Poems: The Corrected Edition (Vintage International)", Vintage; Revised, 2015
20世紀前半に、のちに600ページもの全詩集にまとめられる7冊の詩集を残したアメリカの詩人、ウォレス・スティーヴンズ(1879-1955)については、ついこの間に第一詩集からのチャーミングな短詩「アイスクリームの皇帝」をご紹介した際にほぼ概略を尽くしました。保険会社取締役を生業としたスティーヴンズの詩は20世紀のアメリカ現代詩ならではのもので、スティーヴンズの盟友だった小児科医詩人ウィリアム・カーロス・ウィリアムズ(1883-1963)、ロンドンで活動したエズラ・パウンド(1885-1972)、パウンドに師事した銀行員詩人T・S・エリオット(1888-1965)とともに20世紀の英語圏モダニズム詩を代表し、モダニズム第二世代に属する夭逝の美青年ゲイ詩人ハート・クレイン(1899-1932)と並んで今なお愛読者に恵まれ評価の高まる一方のアメリカ詩人です。本格的な詩作発表が1914年、35歳と遅咲きだった分最初から完成したスタイルを身につけていたスティーヴンズの経歴と作品については、先日のご紹介記事をご参照ください。
この「黒ツグミを見る13の方法」は第一詩集『足踏みオルガン (Harmonium)』1923に収録された詩篇で、すでにシカゴの詩誌「ポエトリー (Poetry)」からニューヨークの国際総合芸術誌(マン・レイ、マルセル・デュシャンらも同人でした)「アザーズ (Others)」に発表の場を広げていた1917年、スティーヴンズ38歳の時の作品です。盟友ウィリアムズの簡潔な口語体との相互影響関係が見られる逸品です。この詩にほとんど解説は不要でしょうが、「VII」に出てくるハダム町とはスティーヴンズが1916年以来勤務していたコネティカット州の保険会社の同じ州の隣町、黒ツグミ(Blackbird)はコネティカット州ではもっともありふれた野鳥で、最終連の「XIII」の「午後はずっと宵闇だった。/雪が降り/さらに雪は降りつづけた。/黒ツグミは杉の木の枝に/とまっていた」は松尾芭蕉の「枯れ枝に烏のとまりたるや秋の暮」との発想の類似が指摘されます。またこの13節の断章形式は、やはり俳句の発想に多くを負った日本のモダニズム詩人・吉田一穂(1898-1973)の「白鳥」(詩集『未来者』1948では3行12連、詩集『羅甸薔薇』1950の決定稿では3行15連)を連想させ、吉田一穂はスティーヴンズを読んではいなかったでしょうが、スティーヴンズ、吉田一穂ともに(T・S・エリオットやハート・クレインと並んで)モダニズムの詩人では象徴主義に由来する暗喩意識が強かった詩人であることを思うと、短詩の十数篇の累積から成り立つ連作でもむしろ東洋的な拡散的瞑想詩「黒ツグミを見る13の方法」、西洋的な求心的思索詩「白鳥」と、出自とヴェクトルの逆転が起こっているのは面白い現象です。スティーヴンズも吉田一穂も方法的意識の強い詩人だったでしょうが、こうした読み較べによっても詩の発想の可能性と多様さは、まだまだ多くの想像力を読者に与えてくれるものと思えます。
吉田一穂(1898-1973)