チャーリー・パーカー最後の名演「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」(Debut, 1953) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

ザ・クインテット - ジャズ・アット・マッセイ・ホール (Debut, 1953)
ザ・クインテット- The Quintet - ジャズ・アット・マッセイ・ホール Jazz at Massey Hall (Debut, 1953) :  


Originally Released by Debut Records DLP-2 (10 inch) & DLP-4 (10 inch), 1953
Reissued 12 inch Released by Debut Records DEB-124, 1956
Produced by Charles Mingus
(Side 1 originally DLP-2)
A1. Perdido (Juan Tizol) - 7:43
A2. Salt Peanuts (Dizzy Gillespie, Kenny Clarke) - 7:39
A3. All the Things You Are (Jerome Kern) / 52nd Street Theme (Thelonious Monk) - 7:52
(Side B originally DLP-4)
B1. Wee (Allen's Alley) (Denzil Best) - 6:41
B2. Hot House (Tadd Dameron) - 9:11
B3. A Night in Tunisia (Gillespie, Frank Paparelli) - 7:34
[ The Quintet (of The Year) ]
Dizzy Gillespie - trumpet, vocal on "Salt Peanuts"
Cgarlie Chan (aka Charlie Parker) - alto saxophone
Charles Mingus - bass
Bud Powell - piano
Max Roach - drums
(Reissued Debut 12 inch "Jazz at Massey Hall" LP Liner Cover & Side A Label)

 本作はチャーリー・パーカー(アルトサックス、1920-1955)の代表アルバムとしてまっ先に上げられることが多いライヴ盤ですが、実際にはパーカーのリーダー作として制作されたアルバムではありません。チャールズ・ミンガス(ベース、1922-1979)とマックス・ローチ(ドラムス、1924-2007)が立ち上げたインディー・レーベル、デビュー・レコーズから、ミンガスの初アルバム『Strings and Keys』(DLP-1, 1953)に続くレーベルの本格的リリースとして10インチLPで三枚(DLP-2、DLP-3、DLP-4)に分けて発売されたディジー・ガレスピー(トランペット、1917-1993)、チャーリー・パーカー(アルトサックス)、バド・パウエル(ピアノ、1924-1966)とのビ・バップ最強クインテットのオールスターズ公演として企画された、1953年5月15日にカナダのトロントのマッセイ・ホール公演で収録されたライヴ・アルバムが本作で、もともとはミンガスとローチによるライヴ・レコーディングのための自主コンサートというのがその実態です。1953年当時はそれまでの樹脂製・78回転(片面3~4分のシングル盤)の10インチSPレコードに1950年以来取って代わった塩化ヴィニール製331/3回転LPレコードの規格が10インチ盤で、片面10分前後・AB面で20分前後の収録時間だったため、この公演はコンサート第一部のVol.1、コンサート第二部でパウエル、ミンガス、ローチのピアノ・トリオで行われたVol.2、再びクインテット編成で行われたコンサート第三部のVol.3が分割リリースされ、生前のパーカーはヴァーヴ・レコーズとの専属契約があったため1953年リリースの10インチ版では「Charlie Chan」と匿名にされました。これは人気推理小説シリーズの中国人名警部チャーリー・チャンとパーカー夫人の愛称チャンをひっかけるとともに、ビ・バップが当初「中国人の聴くような変な音楽だ」と批判的な批評家のジョークのネタになっていたのにも絡めたものでしょう。1955年にLPレコードは12インチ盤に規格が変わり、片面20分前後・AB面で40分台までの収録が可能になったため、コンサート中盤のバド・パウエル・トリオのVol.2を省いて、クインテット編成によるVol.1をアナログLPのA面に、Vol.3をアナログLPのB面に収めたのが、現在では標準仕様になっている12インチLP盤の本作『Jazz at Massey Hall』です。パーカーは1955年3月に享年満34歳7か月で亡くなっていましたが、パーカー逝去翌年に12インチLP化された際にも本作は「featuring "Charlie Chan" on alto」とされたままながら正体はチャーリー・パーカーと知れわたっており、ビ・バップ時代最強のメンバーが結集し、かつ選曲もイケイケのビ・バップ・クラシック(バラードもビ・バップ初期からの定番曲「All the Things You Are」のみ)で固めたライヴ盤としてジャズ史上必聴のアルバムと絶大な人気と評価を誇る傑作とされ、名盤中の名盤とロングセラー・アルバムとなりました。実際はリーダー不在のオールスターズ・セッションにもかかわらず本作がパーカーのアルバムとされるようになったのは、もっぱらパーカーの衝撃的な急死をはさむことになった、録音(このコンサートの時点でパーカーの余命は1年10か月でした)と発売のタイミングによるものです。

 ビ・バップの開祖的存在であり最高のスター・トランペット奏者ディジーと最強のサックス奏者パーカーはほぼ10年来の相棒、バドとローチはマイルス・デイヴィス(トランペット、1926-1991)も在籍していた時のパーカー絶頂期のメンバー、比較的新参者のミンガスもロサンゼルスのジャズ界のトップ・ベーシストを経てパーカーとバドのためにニューヨークに進出してきたジャズマンです。全員リーダー格のミュージシャン、しかもジャズ誌の批評家投票では全員各担当楽器のNo.1プレイヤーというこの驚異的クインテットは、出稼ぎ興行を兼ねたデビュー・レコーズのライヴ盤収録のためにわざわざカナダ公演まで行いましたが、当日はボクシングのタイトルマッチのテレビ中継のために客席はがらがら、メンバーたちも楽屋でボクシングのテレビ中継を観ていたという、ほとんど緊張感のないコンサートだったと伝えられます。またビ・バップのブームは1949年~1950年をピークに去っていたので、一時は念願のビッグバンドまで率いていた最大の人気者ディジーすら小編成バンドへの縮小を余儀なくされ(もっともメンバーはMJQ結成前のミルト・ジャクソン、ジョン・ルイス、パーシー・ヒースに、ギターはケニー・バレル、テナーサックスは軍楽隊から除隊したばかりのジョン・コルトレーンという10年後のスター・プレイヤーたちでした)、浪費癖のあったパーカーにいたってはレギュラー・バンドを維持することができず、人気の凋落したニューヨークからボストンやワシントンなどの東部近郊へミンガスと元パーカー・クインテットでローチの後任者ロイ・ヘインズ(ドラムス、1925-)を臨時雇いで出稼ぎするのがやっと、というありさまで、また1940年代末からすでに統合失調症で入退院をくり返していた天才ピアニストのバドはもともと最小編成のピアノ・トリオでの活動が主だったので熱心なファンに支えられてレコーディングやライヴ活動は活発でしたが、病状のせいでスケジュールは当てにならず、やはりミンガスとヘインズがいつでも呼ばれた時にサポートする、という具合で、自分のバンドで順調に活動していたのは堅実なディジーとローチだけ(ロサンゼルス出身のミンガスはまだニューヨークでのレギュラー・バンド結成の試行錯誤中)でした。ただ音楽ビジネス都市ロサンゼルスで揉まれてきたミンガスには録音技術とレコード・ビジネスのノウハウがあり、ミンガスとローチが組めばロサンゼルス出身ジャズマンにもニューヨーク出身ジャズマンにも広い人脈があった上、ベーシストとドラマーが運営する自主レーベルならばあとはピアニストと管楽器奏者を招けばアルバムも量産できます。そこで1953年に創業したデビュー・レコーズはローチがエマーシー・レコーズ、ミンガスがアトランティック・レコーズと契約する1955年まで2年ほどの間に30枚ものアルバムを送りだしたのです。デビュー・レコーズの屋台骨を支えたのは、何と言ってもインディー盤では破格のセールスを上げることになった本作でした。

 もしこのメンバー全員が'70年代にも健在で、「マッセイ・ホール・コンサート20周年ワールド・ツアー」でも行えたら、全公演がスタジアム級でもソールドアウト確実どころか、旅行会社が協賛して全公演のパッケージ・ツアーを組んでもこのツアーだけのために専用飛行機が飛んだでしょう。しかしこのマッセイ・ホール公演が伝説的コンサートになったのもミンガスとローチが奔走して、常識人のディジーはともかく、いつも借金まみれの上に住所すら不定のジャンキー二人、パーカーとバドを何とかカナダ遠征まで連れて来られたからで(当然会場からツアーの手配、録音、経理までミンガスとローチ担当です)、しかもパーカーは1年10か月後には急逝してしまいます。マッセイ・ホール公演自体は赤字ぎりぎりだったものの、ライヴ盤はデビュー・レコーズを2年間で30枚もの新作をリリース可能にするほど売れました。また本作がパーカーの人気が落ち目の時期にあっても売れたのは、パーカーが絶頂期にインディー・レーベル(サヴォイ、ダイアル)に録音していた1949年までのレコード規格はシングル盤のSPレコードだったため、片面3~4分のショート・ヴァージョンでしかシングルでは演奏が聴けず、また1949年以降移籍したメジャー傘下のクレフ(のちのヴァーヴ)・レコーズではLP録音が可能になったものの、クレフ・レコーズの方針とパーカー自身の意向でLPレコードにもなるべく多くの曲をと、相変わらず1曲3~4分のショート・ヴァージョン・アレンジが続いていたからです。SPレコード時代のインディー・レーベルからメジャー・レーベルに移ったパーカーはビバップのブームの衰退・ツアー疲れとともにレコード売り上げだけでやっていけるレコーディング・アーティストを目指し、売れるレコード作りを望んでいました。そこでクレフ・レコーズでは弦楽オーケストラをバックにしたスタンダード曲集『Charlie Parker with Strings』やラテン・ポップスのカヴァー曲集『South of The Border』、ビッグバンドをバックにしたスタンダード曲集『Night And Day』などを制作し、目論見通りインディー・レーベル時代の純粋なビ・バップ・レコードより広いリスナーにアピールするヒット作にはなりましたが、収入があれば酒と女と薬とギャンブルに浪費してしまうパーカーはパーカーを慕う若手ジャズマンからまで借金して返さない始末(しかもライフ・スタイルまで若手ジャズマンがパーカーを真似る、という悪影響を及ぼしました)で、ライヴはというとパーカーのファンはレコードでは聴けない気合の入ったビ・バップを求めていました。実際パーカーがアドリブに本気を出した1曲7~8分、興が乗れば1曲10分~20分以上になるライヴはパーカー生前に海賊盤として流通し、普通のレコードの10倍以上の価格で密売されても追加プレスのたびに完売していたと伝えられます。クレフ=ヴァーヴ・レコーズも一応従来のビ・バップのパーカーを求めるリスナーのためにディジー・ガレスピー、セロニアス・モンク(ピアノ、1917-1982)との共演盤『Bird And Diz』やスウェーデン公演の成功を記念した『Swedish Schnapps』、初期代表曲をタイトル曲にした『Now' s The Time』などのビ・バップのスタジオ・アルバムをリリースしましたが、それらもレコード会社の意向によって収録曲はシングル並みのショート・ヴァージョンばかりでパーカーの本領発揮とは言えず、ファンの期待に応えるものではありませんでした。そしてパーカー生前に(しかも逝去2年前に)ようやく公式ライヴ盤として出た、1曲7~9分のビバップのライヴが本作でした。1953年はパーカーがぎりぎり好演を残せた年で、1954年には体調悪化からかろうじて発掘ライヴに聴きどころがあるきりで、1954年3月に着手されるも完成は12月までかかり、あまりに不調な演奏のためにお蔵入りになっていたコール・ポーター曲集『Charlie Parker Plays Cole Porter』は、1955年3月のパーカーの急逝から2年後にやっと遺作として発売されています。パーカー没後に、現在では120枚を越える発掘ライヴがリリースされましたが、パーカーの生前、しかも演奏家としてぎりぎりの時期に公式録音・リリースされた本作が、パーカーの録音史上でも非常に重要な位置を占め、「チャーリー・パーカー最後の名演」と目される由来です。

 ただし多くのパーカーの発掘ライヴを聴けるようになった現在では、本作のパーカーは必ずしも本調子とは言えず、LPレコードA面に当たる1~3では常に健康的な生活を心がけ、演奏の鍛錬を怠らなかった長年の相棒ディジーとは大きく水を空けられているのを感じさせます。1曲目の「Perdido」は息の合ったテーマ合奏からパーカーのアドリブ・ソロが先発ですが、絶頂期のパーカーの低音域から高音域まで駆けぬけるような演奏にはいたらず、ソロのアイディアをさぐっているうちに諦めてディジーにソロを渡してしまいます。ディジーも最高潮とは言えませんが、パーカーの不調なソロを補う好演で縦横無尽に2オクターヴ半を突き抜ける見事なソロを取ります。ある意味パーカーよりやばいバドのピアノもこの曲では快調で、そもそもこの1曲目自体がコンサート全曲では難易度が低い、ウォーミング・アップ的な曲です。ミンガスのベース、ローチのドラムスは安定感がある上に躍動的で、特にローチは全曲でバンドを支える好演です。ミンガスのベースがやや控えめなのは、本作のレコーディングはミンガス自身によるものですが、ベースの録音に不備が多くマスターテープ作成の際にベースをオーヴァーダビングした事情によるようです(現在ではベースのオーヴァーダビング前のテープから起こしたヴァージョンもアルバム化されています)。2曲目「Salt Peanuts」はコール&レスポンス式にディジー自身のヴォーカルをフィーチャーしたディジーの代表曲のユーモラスな高速バップ曲で、'80年代にはポインターズ・シスターズのカヴァー・ヴァージョンでトップ40入りした息の長い人気曲です。この曲からようやくパーカーも調子を上げてきます。コンサート第一部最終曲はディジーとパーカーがチームを組んだ1945年以来両者ともに愛奏曲としてきたビバップ時代の大スタンダード・バラード曲「All the Things You Are」で、パーカー、ディジーとも十八番の曲だけにディジーによるアレンジに基づいた手慣れた演奏ですが明らかにバドの調子がおかしく、この曲は変則小節数のためにアマチュアのジャムセッションでも脱落者がよく出る曲ですが、バドは演奏途中で曲の何小節目を弾いているのか意識朦朧に陥ったようです。この曲でもマスターテープにミンガスがバドの脱落を補うためにピアノをダビングしたそうですが、ミキシングの関係上もともとのピアノ・トラックを除去できなかったようで混沌に輪をかけています。この曲はディジーの盟友でバドの兄貴分セロニアス・モンク作曲のエンディング・テーマ曲「52nd Street Theme」になだれこんで強引に終わりますが、「52nd Street Theme」はピアノを無視しても管楽器とベース、ドラムスで押し切れる曲なので、まるで夜逃げをするような演奏です。

 本作には未収録ですが、ディジーとパーカーが抜けてバド、ミンガス、ローチのトリオで行われたコンサート第二部を収めた10インチ盤『Jazz at Massey Hall, Vol.2』(DLP-3, 1953)は全6曲・約25分で、ピアノ・トリオではバドは比較的好調な演奏を聴かせてくれます。バドはビッグバンドから独立して以来生涯ほとんど管楽器を迎えたアルバムを録音しなかった人で、パーカーのバンドに在籍した時期も短くパーカーとは衝突が絶えなかったそうなので、このコンサートでもピアノ・トリオの方がマイペースで演奏できたのでしょう。バドのファンにはこの第二部『Vol.2』も聴きごたえがあるものですが、今回の本題はクインテット演奏のコンサート第一部・第三部なので、試聴リンクのみ引いておきます。 

 バド・パウエル・トリオの演奏中、ディジーとパーカーはボクシングのテレビ中継に夢中になっていたそうですが、コンサート第一部の演奏にさすがのパーカーも反省したか、はたまたディジーにやりこめられたか、第三部に当たるLPレコードB面、CDでは4~6の3曲はこの時期のパーカーとしては本気の熱演が聴けます。ドラマーのデンジル・ベストのビ・バップ・クラシック「Wee (Allen's Alley)」で目が覚めるような好演を聴かせると、ピアニストのタッド・ダメロンのビ・バップ・クラシック「Hot House」では9分を越える熱演でかつてのディジー&パーカーの無敵の演奏に迫ります。コンサート最終曲「A Night in Tunisia」もチーム初期からのディジー&パーカーの代表曲ですが、チーム解消以降のパーカーが自分のバンドでやっていたリズム・ブレイクを含むアレンジで、1946年3月28日のダイアル・レコーズでのSP録音の「ジャズ史上空前の高速フレーズ」と名高い4小節(あまりにフレージングが細分化されているために16分音符・32音符を押しこんだ8小節に聴こえますが)の無伴奏ブレイクの再現とまでは行かずとも、ビ・バップ、また黒人ジャズ界最高のアルトサックス奏者パーカーの名に恥じない見事な高速フレーズを決めてくれます。 

 本作は現在もAllmusic.com、MSN Music、The Rolling Stone Jazz Record Guide、The Penguin Guide to Jazz Recordingsで満点評価の傑作ライヴとされていますが、★一つ分は歴史的価値に負う面が大きいと思われ、パーカー没後の発掘アルバムには本作よりも時期の早い、パーカー絶頂期の演奏をとらえた発掘ライヴがまだまだあります。しかしほぼ晩年近い録音と言っても、パーカー生前に初の公式ライヴ盤として発表された意義は大きく、前半3曲はウォーミング・アップでディジーとローチで持っているとしても、後半3曲はパーカー最後の輝きと認められる熱演です。パーカーのライヴ映像はこのマッセイ・ホール公演から1年前、ジャズ誌の人気投票アルトサックス部門No.1をトランペット部門No.1のディジーとともに記念してテレビ番組出演した1952年2月24日の「Hot House」1曲しかないので、マッセイ・ホールの9分ヴァージョンの1/3程度でしかない3分ほどのテレビ番組用ショート・ヴァージョンですが、31歳・余命3年のパーカーが観られるパーカー唯一の映像です。最後にそのスタジオ・ライヴ映像を上げておきましょう。
Dizzy Gillespie & Charlie Parker - Hot House (TV Broadcast, February 24, 1952) :  


(近々「早わかりチャーリー・パーカー」を記事にするための予告記事です。)