高橋新吉「戯言集」昭和9年(1934年)初版・後編 | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

高橋新吉(1901-1987)・51歳、
全詩集『高橋新吉詩集(創元選書版)』口絵肖像写真
高橋新吉詩集 戯言集
読書新聞社・昭和9年(1934年)3月15日刊
 愛媛県伊方町生まれの詩人・高橋新吉(明治34年=1901年1月28日生~昭和62年=1987年6月5日没)の『戯言集』と比較したい詩人は八木重吉(1898-1927)で、明治38年(1898年)2月東京生まれと高橋新吉より3歳年長ですが、聖書とイギリスのロマン派詩の学習から本格的に詩作を始めたのが大正10年(1921年)で、中学校の英語教師を勤めながら大正10年~大正13年の詩作をまとめたのが大正14年(1925年)8月刊の第1詩集『秋の瞳』でした。その作風は八木が傾倒していた山村暮鳥(1884-1924)の遺稿詩集『雲』(大正14年1月刊)と偶然類似したものになりました。八木は『秋の瞳』刊行までまったく詩作発表をしていませんが、同詩集で注目されて佐藤惣之助主宰の「詩之家」、草野心平主宰の「銅鑼」を始めとして多数の詩誌に新作を発表するようになり将来を嘱望されるも、昭和元年(1926年)春から肺結核を発症し、闘病の末の末に翌昭和2年(1927年)10月に享年29歳で病没しました。第1詩集刊行後の2年間の新作から八木自身が病床で編集を済ませていた第2詩集『貧しき信徒』は八木没後の昭和3年(1928年)2月に刊行されました。八木は夭逝しましたが、長命だった高橋新吉と初期のキャリアはまったく同世代・同時代の詩人だったのです。草野心平の「銅鑼」に宮澤賢治(1896-1933)ともども迎えられたことも同じです。宮澤賢治、高橋新吉をもっとも敬愛して大きな影響を受けたのはやはり草野主宰の「歴程」(「銅鑼」の後継誌)同人に加わった中原中也(1907-1937)ですし、中原中也に影響を与え、また八木の『秋の瞳』『貧しき信徒』と重なる時期の詩集ならば第2詩集『祇園祭り』と第3詩集『高橋新吉詩集』になりますが、今回も6年間のブランクに高橋に何があったかを語る自伝的詩集『戯言集』から全67篇の短詩の連作からなる表題作の長編詩「戯言集」の後半をご紹介します。同詩集の初版には表題作「戯言集」以外にも12篇の単独詩篇を収録していましたが、高橋は最初の全詩集『高橋新吉詩集 (創元選書版)』(創元社・昭和27年/1952年2月15日刊)以来『定本高橋新吉全詩集』(立風書房・昭和47年/1972年10月15日刊)でも単独詩篇12篇は除いており、また長編詩「戯言集」全67篇は初版詩集では組版(本来行分け詩だったものが追い込み散文表記に改変されました)・表記・編集が個人出版社の都合によって改竄されたため、『現代詩人集・第一巻』(山雅房・昭和15年/1940年5月刊)に再録以来何度も表記の改訂、配列の入れ替えや抄出が行われています。高橋新吉は逝去5年前の『高橋新吉全集』(青土社・昭和57年/1982年刊)全四巻の『第一巻・詩』で全詩集をまとめて、初めて『まくはうり詩集』と『戯言集』を初版通りに収録していますが、高橋にとって『ダダイスト新吉の詩』『祇園祭り』『高橋新吉詩集(南宋社版』と『戯言集』は本来意図しない編集で刊行されたために、全詩集や選詩集の再刊ごとに再編集されています。『高橋新吉詩集 (創元選書版)』では初版『戯言集』から47篇を自選した抄出版が収められ、伊藤信吉・村野四郎・草野心平編の『全詩集大成・現代日本詩人全集』第12巻(昭和29年/1954年4月15日・創元社刊)では高橋自身の了承を得て創元選書版では削除された20篇を一~二十に加え、創元選書版47篇を二十一~六十七にくり下げて初版詩集を復原しています。高橋新吉は実生活上の危機から夭逝ぎりぎりまで迫って復帰した詩人であり、もし夭逝しなかったとしても医学的には通常創作活動はおろか社会復帰すら望めないほどの重篤な病状に陥ってきた人です。高橋の病状は妄想や幻覚など精神的苦痛ばかりか身体的苦痛すら伴うほどで、ジェラール・ド・ネルヴァル(1808-1855)やアントナン・アルトー(1896-1948)のように狂死と隣り合わせのものでした。いわば「戯言集」は夭逝した八木重吉や宮澤賢治、中原中也にはたどり着けなかった、中年までの長い闘病生活で山村暮鳥がさらされていた地獄をそのまま描いた長編連作詩であり、これを比較することで高橋新吉のみならず山村暮鳥や八木重吉、中原中也の詩の理解にも一助となるのではないかと思われます。この連作長編詩「戯言集」はまとめて1篇の長編詩なので解説は全編ご紹介後に送り、今回は作品紹介にとどめることにします。

 戯言集
 (読書新聞社・昭和9年/1934年初版)

三十七 私は盲目も同然である。四方は板壁にふさがれた牢屋の中に居る。

三十八 私は死ぬまで此の牢屋の中から出る事が出来ないか。死ぬまで此んな辛い生活をしなければならないか。此の不安は二六時中私の頭脳から消え去らない。

三十九 ミイラ取りが木乃伊になつたやうな工合に、八幡の藪知らずに這入つたやうな工合に、私はどうもがこうが叫ばうが誰も取り合はないやうな目にあつてゐる。此れで私は感謝して満足して生を終るべきであるか。

四十 物の成長を見る事、それは我々には楽しみだと言へる。しかしながら草が繁殖し樹木の実が熟するのも、それは我々の屍体が腐敗するのと同じ工程であつて、時の流れに抗する事が出来ない事を思はす丈ではないか。

四十一 かくの如しにして、日が流れ、日が去る。私は精神病者には違ひない。精神を病んでゐる。

四十二 あなたが先に死なうが、私が先に死なうが心おきなく死ぬるやうにしておきます。

四十三 死は私ばかりを狙つて居るのぢやない。ところで青年諸君、死は今私の腹の中に逃げ込んでかくれてゐるんだ。石でもつて叩きしやいでくれたまへ。

四十四 又同じやうな明日を迎える事の馬鹿らしさ。此の窮屈な二畳敷の牢屋の中で、首をくゝる事も又大儀で馬鹿らしくて不可能なのだ。

四十五 私が嘗めた苦しい様々の出来事、それを他人に知つて貰つたからと言つて今になつて何にならう。私の今の苦しみが減るわけのものでもない。

四十六 此の我々の愛情、考へ、之等のものが凡て空に消え去るものであらうか。此の悲しみの試練に堪え、此の肉体の苦艱に堪えて私は更生するかしないかの瀬戸際にある。

四十七 希望を持つて生きたい。心の希望を失ふほど人間にとつて落莫たるはない。
例へば死んでから後に、極楽に往生する事を信じないで生きてゐる事、或は死ぬ事などは私には出来ない。

四十八 君に将来の希望を与へる。其のかはり現実の虐遇に甘んじて居れ。若し君の現実が楽しいと言ふなら、君の将来に希望がないからだ。

四十九 死の準備はしとかなくちやならんしバケツは修繕しなければならぬ。

五十 下駄を穿いた足だけを世の中に出して見せるのだ。太陽のそばへもそれで歩るいて行くのだ。

五十一 頭をつかひ過ぎて気が狂つた男、しかし彼は今、頭をつかひ過ぎる程、つかはなくて生きて居られないやうな体になつてゐる。

五十二 人間がどれほどの悲哀に湛え得られるものかは人各々意見を異にするであらう。だが人間が経験する以上の悲哀がそれならば此の世に存在するか。誰しも人間はそれある事を否定するに違ひない。自分の悲哀憂鬱寂寥が一番大きく甚く痛感される事を人々は知らないのだらうか。そして自己の悲哀を他人の悲哀と比べたりなんかするには及ばないのだ。

五十三 凡てを新らしくする事、此れは必要だ。凡てを固定せしむるなかれ。と云ふよりも、凡て固定してゐるものは一つもない。ところが此れは大変ないつはりだと私は思ふ。凡てが固定されてゐるのだ。一切が宿命だとも思へる。

五十四 他人の考へを私は何う変革しようにも私には不可能な事だ。
只他人の行為の暴慢に対して防御し、こちらも又行為で以て考へを現はす事の出来る丈である。

五十五 君は感謝して好い事と、感謝して悪い事を区別しなければならない。
君が神に感謝するなら此の世の何人にも感謝するにはあたらないのだ。

五十六 私の考へは言葉に現はす事が出来ない。適当な言葉が見つからないのだ。
お互ひに死ぬまで生きて居りませう。あなたは其のかはり、めしを焚いて毎日食べさせて下さい。私はじつと遊んで居りますから。

五十七 私は絶望の真ん中に居る。そして絶望の右と左には鍋とはがまが居る。
犬か豚の食ふやうな食物にあまんじて、私は生きてゐなければならない。決して私は安楽にめしを食つて生きてゐるのぢやない。

五十八 短夜を、つまり私は一枚の着物に過ぎなかつた。

五十九 我々はきつと生れかはる事があるのであります。それはキリストが再臨するばかりでなく、我々はすでに誰かの生れかはりなのであります。

六十 たつた三十ぺんしか私はまだ夏を経験してゐない。此れからあと、何べん夏が経験される事かそれも不定だ。

六十一 牛や馬や豚よ、おう可愛い牛や馬や豚よ。鳥が鳴いてゐるのを君達は何んな風に聞いてゐるか。

六十二 米をといだり、お菜を煮たりする事は、私には凡ゆる最新のスポーツよりも楽しく栄光に充ちた労働のやうに思ふ。口を磨く事すら許されてゐない私には、此れ等の事も言ふに及ばず、特定の人の手に委ねられてゐて、古新聞に包んで持つて来るめしとさいを、盲目か、感情を持たない白痴かの如くに食ふより外に術もないのだ。

六十三 世の中は斯うしたものか。それで先に急いで死んだ人が利口と言ふ事になる。私はでも死ねない。死の幸福を先に先にと延ばして、苦しみもがき、あえいで生きてゐる。

六十四 人間はあまりに今まで魚を食べ過ぎた。それで私は魚よ食べものにならう、海に死んで。

六十五 そんな世迷ひ言や、厭世家めいた事を言ふのは君の心に余裕があると言ふものだ。煙が廂を匍つてゐる。

六十六 夢を丁寧に覚えてゐる人間があらうか。
夢なんか丁寧に覚えてゐたところで何にもならないのだ。
ところが人生も又夢の如きだとすれば何うしたら好いか。

六十七 山鳩よひよろ\/と鳴け、川魚よ涙を溜めてピチ\/と泣け。

(以上初版『詩文・戯言集』より長篇詩「戯言集」全編、以下次回)