フィル・パールマン三部作(3) リレイティヴェリー・クリーン・リヴァース (PI, 1976) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

リレイティヴェリー・クリーン・リヴァース Relatively Clean Rivers (Pacific Is, 1976)
リレイティヴェリー・クリーン・リヴァース Relatively Clean Rivers (Pacific Is, 1976) :  

Released by Pacific Is Records Pacific Is ‎PC 17601, Orange County, California, 1976
Engendered by Craig Lang, John Golden
Technical Engendered by Peter Kunzke
Produced & Composed by Phil Pearlman
(Side 1)
A1. Easy Ride - 3:50
A2. Journey Through The Valley Of O - 4:13
A3. Babylon - 5:51
A4. Last Flight To Eden - 2:43
(Side 2)
B1. Prelude - 0:30
B2. Hello Sunshine - 3:33
B3. They Knew What To Say - 3:25
B4. The Persian Caravan - 3:51
B5. A Thousand Years - 5:23
[ Relatively Clean Rivers ]
Phil Pearlman - guitar, bass, vocals, flute (English flute=alto recorder), baglama (sahz), harmonica, synthesizer
Kurt Baker - guitar, vocals
Dwight Morouse - drums, special effects(B4, B5)
John Alabaster - congas(B4)
Hank Quinn - drums(B4)
(Original Pacific Is "Relatively Clean Rivers" LP Liner Cover, Gatefold Inner Cover & Side 1 Label)
 アルバムを出すごとに名義を変えてきた自主制作盤アーティスト、フィル・パールマン(生没?年不詳)の、『ザ・ビート・オブ・ジ・アース(The Beat of the Earth)』'67(限定500枚)、『ジ・エレクトロニック・ホール(The Electronic Hole)』'70(限定200枚)につづく3作目は、完全なパールマン一人の多重録音アルバムだった第2作から再び第1作同様にバンド編成に戻りましたが、担当楽器クレジットもなければパールマンを含む7人の大所帯の担当楽器も固定されていなかったらしい集団即興演奏の第1作とは違い、最小限のメンバー編成で担当楽器を固定し、A面B面各4曲(B1の「Prelude」はB面全体の序曲)の楽曲個別の曲想・アレンジも多彩かつ統一感があり、A面4曲で1曲の流れ(B面も同様)になってもいれば、アルバム全体でトータルな作品性を感じさせる、非常に完成度の高い作品です。前2作と、'94年に突然アナログ盤のみで発売された第1作時のアウトテイク(リミックス?)・アルバム『Our Standard Three Minute Tune』はラディッシュ(Radish)名義のレーベルから発売されましたが(ラディッシュのリリース作品はこの3枚きりです)、本作はパシフィック・イズ(Pacific Is)名義のレーベル名で、ラディッシュ同様パールマン自身の自主制作レーベルでしたからパシフィック・イズのリリース作品は本作きりになりました。

 『ザ・ビート・オブ・ジ・アース』がレコードからのコピー版海賊盤が出回るようになった'90年代初頭以降に突然同作のアウトテイク・アルバム『Our Standard Three Minute Tune』がリリースされましたが、パールマン自身の消息は第3作である本作がリリースされた1976年以来関係者にも不明になっており、『Our Standard~』もパールマン自筆ライナーノーツこそ掲載されているものの本人がメディアに登場することはありませんでした。おそらくリリースは録音エンジニアのジョー(ジム)・サイドアに託されたと思われ、カウント・ファイヴ、ザ・シーズ、ハーパース・ビザールのシングル・ヒット曲の録音エンジニアで、パールマンがフィル&ザ・フレイクス名義でサーフ・インストのシングルを自主制作していた'64年以来の親交があったサイドアは『ザ・ビート・オブ・ジ・アース』と『ジ・エレクトロニック・ホール』ではクレジットされたメンバー以上の功労者と言える存在で、さらに2016年にはようやくサイドアと、また第1作のメンバー中公私とももっともパールマンに近かった元ガールフレンドのカレン・ダービーの承認によってストーンド・サークル(Stoned Circle)社からの『ザ・ビート・オブ・ジ・アース』のオリジナル・マスターテープからのリマスター正規再発CDが実現します。しかし第2作はラディッシュ・レーベルのレーベルごとコピーした偽ラディッシュ盤、Unofficialレーベルのパープル・ピラミッド(Purple Pyramid)社からのコピー盤とも正規再発CDではなく、また第3作の本作もレディオアクティヴ(Radioactive)社盤、フェニックス・レコーズ(Phoenix Records)社盤のCDが出回っていますがやはりどちらも正規ライセンスの再発ではありません。フィル・パールマン本人が行方不明になっているのにアルバムの再評価、リスナーからの需要が近年ますます高まっているから非正規盤再発CDが出回ってしまっているので、アナログLP時代のコピー盤(レコード起こし・複写ジャケット)に較べるとデジタル・リマスターによって飛躍的に音質もジャケットの再現度も向上しているだけに、現時点では必要悪とするしかありません。イギリスのデッカ/デラム傘下のヴァーティゴ・レーベルの諸作などでもなかなかオリジナル・マスターテープやメンバーの所在が判明せず、メジャー会社にもかかわらずアナログLPからのジャケット複写・レコード起こしのリマスターでCD化されているアルバムも多いのです。

 主宰者自身が所在不明で個人の自主制作盤だったフィル・パールマンの3作(とのちの発掘盤1作)が第1作だけでも正規CD化されたのが僥倖で、'94年発掘発売のアウトテイク(リミックス?)・アルバムはマスターテープこそ現存せよパールマン自身がLP盤でのリリースのみを選んだためCD化が見送られているのでしょう。アメリカ合衆国ではローカル・インディー盤のみならず個人レベルの自主制作盤でも膨大な作品群が存在しますし、'60年代~'70年代にはそれらの中にも第一線級のアーティストのアルバムと遜色ないものが存在していたり、自主制作盤というエリアだからこそ異色の作品が平然とまかり通っていたのも明らかになってきました。マイアミの4姉妹のガールズ・バンド、ザ・シャッグス(The Shaggs)の唯一のアルバム『世界の哲理(Philosophy of the World)』'69は4/4拍子に収まらない楽曲、ヴォーカルと全編ユニゾンしてしまうリード・ギター、ズレまくるリズムとあまりにユニークな音楽性に発売ただちにフランク・ザッパが「ビートルズより偉大だ」と愛聴盤ベスト・スリーに上げたのを始め、現在ではオルタナティヴ・ロックの開祖的大傑作としてRCAヴィクターからの再発CDがロングセラーになり、シャッグス4姉妹を描いたブロードウェイ・ミュージカルまで上演されています。ファッグスと同様にフィル・パールマンのアルバム3作もアメリカン・ロックの自主制作盤の秘宝に数えられるものです。
 
 混沌とした即興演奏音楽の第1作、多重録音のサイケ・ポップの第2作と較べると本作は、のっけからポップなカントリー・フォーク・ロック調の耳ざわりの良い音楽で、リラックスしたリード・ヴォーカルにヴォーカル・ハーモニーもソフトで、多重録音の第2作に目立ったリズムのヨレもない、安定して適度にスキのある完成度の高いアレンジです。グレイトフル・デッドが落ちついたカントリー・ロックを披露した第5作『ワーキングマンズ・デッド』'70、『アメリカン・ビューティー』'70に本作が比較されることも多く、パールマン自身が意識していたかはともかく同じ西海岸のアーティストとして同時代の空気を吸っていたので、即興性の高いサイケデリック・ロックから楽曲指向のカントリー・ロックへ、という当時の西海岸のヒッピーの嗜好の変化に表れたとも言えそうです。ただしデッドもその後には中近東路線に向かうように、自主制作盤では異例の豪華な見開きジャケットの内側には全曲の歌詞を散文詩形式で掲載しており、また裏ジャケットにはこれまでの2作にはなかった細かなクレジット記載とともにパールマン自身によるメッセージがライナーノートとして掲載されています。拙い訳文ながらなるべく平易にほぼ全訳しますと、
 
「この物語が、みなさんがずっと聞くのを待ち望んでいてくれた話だとしたら嬉しい。それはロサンゼルスの空にも漂うばかりか……
 そこにはヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ人の兵士たちが泥だらけの塹壕に座りこみ、近くには占領された都市や農地が広がり、マラリアが蔓延し、沼にはワニが潜み……
 アラブ民族もユダヤ民族もひとつになり、武器を溶かして撒水機やトラクター、シャベルとクワで用水路を作り……
 そしてもしヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ人の貨物船が大都市の港から、食糧を必要とする声に応えられるとすれば……
 それには何の費用もかからない、誰もが自分の金を街路に投げ捨てればいいだけだ。貨幣に顔が見えるか?そこには神はいない。」
 
 アルバムの各曲の歌詞はこのライナーノートに沿ったものですが、ヒッピー思想は理想主義的なエコロジー思想や原始共同体指向に向かいやすいとしてもパールマンのメッセージは反資本主義アナーキズムそのもので、穏健なグレイトフル・デッドなどよりさらに過激な志向を持っていたのがわかります。2006年にニューヨーク・デイリー・ニュース紙でパキスタンを拠点としアザム・アルアムリキを名乗るイスラム教過激テロリストのFBIによる国際手配が報道され、その正体は28歳のアメリカ人青年アダム・ヤハイエ・ガダーンだったのですが、ニュースは青年の父親がアメリカ人フィル・パールマン・ガダーンなのも報じていました。西欧社会では成人の罪状に対して親族の責任を責めることはありませんが、息子は1978年生まれになるはずですから第3作を発表して以来消息不明だったフィル・パールマンは第3作発表後間もなくイスラム名を授かってイスラム教徒に改宗していたことになります。パールマンの父は19世紀アメリカの超越主義の流れをくむ思想家で、パールマンは父親の影響下でエコロジストになり、それがヒッピー思想を経て尖鋭化し反資本主義アナーキズムからイスラム教徒に改宗したのでしょうが、パールマンという姓からも出生はユダヤ系アメリカ白人でもあるわけです。反資本主義は反ユダヤ主義にも結びつきやすいので(アメリカ・ヨーロッパの大資本家はほとんどがユダヤ系財閥です)、ライナーノートの通り「ロサンゼルス」と「ヨーロッパの・中近東の・東洋の・コーカサスの・黒人アフリカ系アメリカ」の音楽を融合して資本主義思想の粉砕を目指す、という本作のコンセプトが、イスラム教徒への改宗以降は音楽活動そのものから隠遁するきっかけになったと考えられます。やはりユダヤ系アメリカ人かつユダヤ教徒の家庭に生まれたボブ・ディランも'70年代半ばと'80年代半ばにアルバムのアートワーク内でアラブ人の扮装をして物議をかもしましたが(ディランの場合'80年前後の数年間は原理主義クリスチャンを表明してリベラル派の反感を買いました)、日本的な感覚だとこうした事情は音楽とは関係ないとされそうです。

 しかし思想的・宗教的モチーフは創作家にとって作品の発想を左右する重要な契機になり得るので、パールマン自身は完全に非商業的動機で音楽活動をしてきた人ですが、自分の音楽による意識改革や社会的啓蒙にまったく期待していなかったとは思えません。パールマンは第1作でもレコード・レーベルに「THIS RECORD IS AN ARTISTIC STATEMENT」と表明していた人でしたが、本作ではついにライナーノートと散文詩形式の全歌詞によってエコロジー思想に基づいた反資本主義アナーキズム思想がこの一見穏やかなカントリー・ロック、しかしあちこちに逆回転エフェクト(B1はまるごと逆回転です)やフリークアウトしたファズギター、中近東フレーズがリスナーを不意打ちするサウンドにこめられていると明言しています。サーフ・インストのシングルが1964年、第1作が1967年、第2作が1970年で本作が1976年、さらに第1作の別テイクが1994年ですべて自主制作盤と、いったい生活はどうしていたのかわからないようなアーティストですが、結果的に新作としては最終作となった本作はパールマン自身に最終作という意識があったのではないかと思われるようなライナーノーツと歌詞内容で、子息が過激テロリストになったというくらいですからイスラム教徒への改宗はアメリカ社会でも特殊なイスラム教コミュニティーへの全生活的な参入だったと考えられます。すると本作は素人音楽家フィル・パールマンの音楽的遺言だったのかもしれません。

(旧記事を手直しし、再掲載しました)