(前編)エリック・ドルフィー - アウト・トゥ・ランチ (Blue Note, 1964) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

エリック・ドルフィー - アウト・トゥ・ランチ (Blue Note, 1964)
エリック・ドルフィー Eric Dolphy - アウト・トゥ・ランチ Out To Lunch ! (Blue Note, 1964)

Recorded at The Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey, February 25, 1964
Released by Blue Note Records BLP 4163 (Mono) and BST 84163 (Stereo), August 1964
Engineered by Rudy Van Gelder
Cover designed by Reid Miles,
Produced by Alfred Lion
All compositions by Eric Dolphy.
(Side 1)
A1. Hat and Beard - 8:24
A2. Something Sweet, Something Tender - 6:02
A3. Gazzelloni - 7:22
(Side 2)
B1. Out to Lunch - 12:06
B2. Straight Up and Down - 8:19
[ Personnel ]
Eric Dolphy - bass clarinet (A1, A2), flute (A3), alto saxophone (B1, B2)
Freddie Hubbard - trumpet
Bobby Hutcherson - vibraphone
Richard Davis - bass
Tony Williams - drums
(Original Blue Note "Out To Lunch !" LP Liner Cover & Side 1 Label)

 エリック・ドルフィー(1928-1964)生前4か月前の1964年2月にブルー・ノート・レコーズによって制作され、同年8月のリリース前に6月末のドルフィーの急逝によって遺作となった本作は、スタジオ盤・ライヴ盤すべてを合わせてもドルフィーの最大の問題作、かつ最高傑作とされるアルバムです。生前発表のドルフィーのアルバムはいずれも優れた作品でしたが内容に見合った評価・商業的成功を収められず、ドルフィーより一足先にニューヨーク進出を果たしていたロサンゼルス時代からの盟友、オーネット・コールマン(アルトサックス、1930-2015)の後塵を拝した格好でした。MJQのジョン・ルイスによって見出されたオーネットはニューヨーク進出時にはすでにレギュラー・バンドを率いて活動し、センセーショナルなメジャー・デビューを果たしましたが、ドルフィーはオーネットの影武者的存在と見なされ、ニューヨーク進出後かけ持ち参加していたチャールズ・ミンガスのバンド、またジョン・コルトレーンのバンドでも十分な注目を集められなかったのです。ドルフィー自身が自分自身のレギュラー・バンドを率いていたのは1961年7月に二週間のみ期限限定活動したブッカー・リトル(1938-1961)とのダブルリーダー・クインテット、また1962年秋~1963年春まで活動するもほとんど仕事のなかったハービー・ハンコック(ピアノ)、エディ・カーン(ベース)、J・C・モーゼズ(ドラムス)とのカルテットだけでした。ドルフィー自身のリーダー作は1960年4月~1961年9月までのプレスティッジ・レコーズとの1年半だけで契約を打ち切られ、プレスティッジはアルバム11枚分もの録音を制作しながらドルフィー生前には4枚しか発表せず、ドルフィーが別レーベルから新作をリリースし注目されるまでお蔵入りにしていました。1963年にはオーネット・コールマンすらレコード会社との契約を失い、カムバックは1965年になります。ドルフィーは1963年7月にアラン・ダグラス・プロダクションとのワンショット契約でアルバム2枚分を制作しましたが、そのうち『Conversations』が1963年に限定プレスされたのみで、ダグラス・プロダクション二部作もう1枚の『Iron Man』のリリースは1968年まで持ちこされました。1964年にドルフィーはブルー・ノート・レコーズとのワンショット契約で『Out To Lunch !』(2月25日録音)とアンドリュー・ヒル(ピアノ、1931-2007)の『Point of Departure』(3月21日録音)を行い、最後のライヴ&レコーディング活動になったのはチャールズ・ミンガス・セクステットに再加入した1964年4月からで、1か月の間にアメリカ国内公演~ヨーロッパ公演を行い、ミンガスのバンドの日程をこなした後単身で現地ミュージシャンやドルフィー同様出稼ぎ巡業していたミュージシャンと、その都度臨時編成のヨーロッパ巡業を続けます。皮肉にも現在ではミンガス・バンド史上最強メンバーとされているセクステットのヨーロッパ・ツアーは、開始早々トランペット奏者のジョニー・コールズが急病で急遽帰国し、クインテットに減員した編成で続けられ(この時すでにドルフィーはメンバーからも心配されるほど体調が悪化していました)、日程の消化後もドルフィーとピアニストのジャッキー・バイアードはアメリカ本国でのスケジュールがないのでヨーロッパに残る、と6人で始めて無事に帰国したのが3人という壮絶なツアーになりました。ミンガスのバンドのツアーはほとんどの日程がラジオ局・テレビ局で収録され、CD化・映像ソフト化されていますが、YouTubeにアップされているライヴ映像を上げておきましょう。
Charles Mingus Sextet - Live in Oslo, Norway, April 12 (TV Broadcast) :  

Charles Mingus - bass, leader
Johnny Coles - trumpet
Eric Dolphy - alto saxophone, bass clarinet, flute
Clifford Jordan - tenor saxophone
Jaki Byard - piano
Danny Richmond - drums

 一気に話をドルフィーの最晩年まで飛ばしてしまいましたが、本作は前作の『Conversations』『Iron Man』連作(1963年7月1日・3日録音)で試みた作風の転換が一気に達成された作品とも、ブルー・ノート作品らしい入念なアルバム作りにドルフィーが見事に応えた作品性・完成度の高いアルバムとも、やはりブルー・ノート作品のジャッキー・マクリーン(アルトサックス、1931-2006)の『One Step Beyond』(1963年4月30日録音・1964年1月発売)と先に触れたアンドリュー・ヒルの『Point of Departure』(1964年3月21日録音・1965年4月発売)との三部作とも言えるアルバムです。ドルフィーの本作はピアノレス・クインテット編成で、『Outward Bound』(Prestige, 1960年4月1日録音)以来もっとも共演歴の多いトランペット奏者のフレディ・ハバード(1938-2008)に加えて、前作『Conversations』『Iron Man』連作でキーパーソンになったボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン、1941-2016)、やはりもっとも共演歴が多く前作にも参加したリチャード・デイヴィス(ベース、1930-)、当時すでにマイルス・デイヴィス・クインテットのドラマーに抜擢されていた天才少年ドラマーのトニー・ウィリアムス(1945-1997、本作録音時18歳!)がメンバーでした。マクリーンの『One Step Beyond』もピアノレス・クインテット編成で、マクリーンとマックス・ローチ・カルテットで実践のあるエディ・カーン(ベース、1935-1986)以外はマクリーンが見出してきた新人で固め、マクリーンとグレシャン・モンカー三世(トロンボーン、1937-)をフロントに、ハッチャーソン、ウィリアムスがメンバーで、ドルフィーの二連作より2か月早いこの『One Step Beyond』がモンカー、ハッチャーソン、ウィリアムスの出世作になりました。エディ・カーンが1962年秋~1963年春までわずかにライヴ活動を行ったドルフィー・カルテットのメンバーだったのは以前に記した通りです。またハッチャーソンのヴィブラフォンをフィーチャーした編成でも『One Step Beyond』は『Conversations』『Iron Man』連作に先駆けていました。マクリーンの『One Step Beyond』はオーネット・コールマンからの影響を公言した前作『Let Freedom Ring』(1962年3月19日録音・1963年5月発売)に続く意欲作で(のち1970年代~80年代になって、この2作の間に制作されお蔵入りになったアルバム2作が発掘発売されましたが)、マイルス・デイヴィスの『Dig』(Prestige, 1951)でデビューして以来10年以上のキャリアのあるマクリーンのフリー・ジャズへの挑戦は大好評をもって迎えられるとともに、モンカー、ハッチャーソン、ウィリアムスを新世代のジャズを担う有望新人として知らしめました。マクリーンの元親分マイルスが速攻でウィリアムスを引き抜いたのは有名ですが、バンド・メンバーの総入れ替えを図ったマイルスが新メンバーとしたのはウィリアムスを筆頭に元マックス・ローチ・セクステット~カルテットのジョージ・コールマン(テナーサックス、1935-)、ドルフィーとプレスティッジの諸作で共演していたロン・カーター(ベース、1937-)、エディ・カーンとともに短期間のドルフィー・カルテットに参加していたハービー・ハンコック(ピアノ、1940-)で、ジョージ・コールマン加入前にすでにジャーナリズムではマイルス・クインテットへのドルフィー参加が噂され、1963年後半~1964年初頭まで在籍していたジョージ・コールマンの脱退時にもハンコック、カーター、ウィリアムスがドルフィーの参加をマイルスに推薦しますがマイルスが却下した話題が再びジャーナリズムに流れます。もっともこの時ドルフィーはチャールズ・ミンガス・セクステットに再加入したばかり(しかも余命3か月)だったので、どのみち実現は不可能でした。

 アンドリュー・ヒルの『Point of Departure』(1964年3月21日録音・1965年4月発売)は、ヒルをリーダーにブルー・ノートとの契約ミュージシャンだったケニー・ドーハム(トランペット、1924-1972)、ドーハムが見出してきた新人ジョー・ヘンダーソン(テナーサックス、1937-2001)とドルフィーをフロントに、ヒルのピアノ、リチャード・デイヴィスのベース、トニー・ウィリアムスのドラムスというセクステット中3人(ドルフィー、デイヴィス、ウィリアムス)が『Out To Lunch !』と重なる面子でした。ヒルはドルフィーの推薦でプレスティッジと契約したヴィブラフォン奏者、ウォルト・ディッカーソン(1928-2008)の名盤『To My Queen』(Prestige, 1962年9月21日録音・1963年発売)の参加を経てブルー・ノートと契約したピアニストでもあり、ブルー・ノート社主のアルフレッド・ライオンが惚れこんで集中的にアルバム数枚のレコーディングをするも当初全然売れなかったセロニアス・モンク、エルモ・ホープ、ハービー・ニコルス(その代わりバド・バウエル、スリー・サウンズ、オルガンながらジミー・スミスは大成功しましたが)ら、先進的すぎて商業的には不発に終わった(ヒルの場合、ジャーナリズムの評価だけは最初から高かった)不遇ピアニストの系譜に連なります。ヒルはブルー・ノートで1963年11月から1964年4月の半年間で5枚のアルバムを制作し、『Point of Departure』は豪華メンバーでもっとも期待のかけられたアルバムでした。ケニー・ドーハムはチャーリー・パーカー・クインテットでマイルスの後任を勤めたビ・バップ時代からの大ヴェテランでしたが、当時はマクリーンとの双頭クインテットをレギュラー・バンドとして最先端のジャズを指向しており、愛弟子の大型新人ヘンダーソンとともに大胆で斬新なプレイを聴かせます。かつてセシル・テイラーの『Hard Driving Jazz』(United Artists, 1958)で共演したジョン・コルトレーンがドーハムにホーン・アンサンブルを相談しようと持ちかけた際に「俺に指図するな」とマイペースで吹いて済ませたのとは別人のような、自分以外は全員先鋭ジャズマンなら最古参の俺が仕切ってやろうじゃないかいう勢いで、ヘンダーソンもブルー・ノートが期待をかけたテナーサックスの大型新人たるプレイです。ヒルの屈折した演奏も全曲オリジナルで躍動感に富み、ベースのデイヴィス、ドラムスのウィリアムスともヒルの楽曲を最大限に引き立てる、ともすればピアノ以上にリスナーの耳を奪う演奏です。そしてドルフィーはまったく遠慮会釈なく、アンサンブルに、ソロにと驚異的なプレイを聴かせます。ドルフィーはチャーリー・パーカーの熱烈な崇拝者でしたが、ニューヨーク進出以来すでにパーカーのバンド・メンバーだったマックス・ローチ、ロイ・ヘインズ、チャールズ・ミンガスと共演し、またジョン・コルトレーン、ジャッキー・バイアードらビ・バップ時代からの強豪とも、オーネットやハバード、エルヴィン・ジョーンズやマッコイ・タイナー、ブッカー・リトルやオリヴァー・ネルソン、ビル・エヴァンスやスコット・ラファロ、ハンコック、カーター、ハッチャーソン、ウィリアムスら新世代のジャズマンとも共演してきたので、ここでの絶好調のドルフィーはリーダーのヒルを食う存在感でリスナーを圧倒します。ドルフィーのソロにいたるやデイヴィスのベース、ウィリアムスのドラムスとも音圧が上がり、ほとんどドルフィーとデイヴィス、ウィリアムスのトリオ演奏と言ってもいい異常空間が出現します。『Point of Departure』がドルフィーのアルバムと言ってもいいほどの作品になったのは、ついひと月前に『Out To Lunch !』セッションで達成した最高の一体感がここでも引き継がれたのを示します。では発以来即'60年代ジャズ最高の成果として評価の揺るぎない(「AllMusic」「The Encyclopedia of Popular Music」「The Penguin Guide to Jazz Recordings」「The Rolling Stone Jazz Record Guide」でいずれも満点)のこの『Out To Lunch !』はどのようなアルバムか、これが案外ドルフィーの熱心なリスナーにも「名盤」「傑作」という点では一致しながら、微妙に評価の分かれるアルバムなのです。なので本作については、前後編に分けて次回で改めてご紹介し直したいと思います。