アシュ・ラ・テンペル - ケルン1973ライヴ (Seidr, 2007) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

アシュ・ラ・テンペル - ケルン1973ライヴ (Seidr, 2007)
アシュ・ラ・テンペル Ash Ra Tempel ‎- ケルン1973ライヴ Cologne, February 1, 1973 (Seidr, 2007) :  

Reissued Released by Seidr Records SEIDR021, 2007
Originally Released by Manikin Records as "Manuel Gottsching: Private Tapes" Vol.4 (MRCD 7014), Vol.5 (MRCD 7015), 1996
(Tracklist)
1. Ooze Away - 28:00
2. Dedie a Hartmut - 40:00
[ Ash Ra Tempel ]
Manuel Gottsching - guitar, vocals, electronics
Hartmut Enke - bass
Klaus Schulze - drums, percussion, electronics
(Originally Manikin "Manuel Gottsching: Private Tapes, Vol.4" CD Liner Cover, Inner Photo & CD Label)


 先にご紹介した1971年5月のベルリン公演と9月ベルン公演、そしてこの1973年2月のケルン公演でクラウス・シュルツェが参加した'70年代のアシュ・ラ・テンペルのライヴ音源は全部になりますが、それは同時にもう一人のアシュ・ラ・テンペルのオリジナル・メンバー、ヘルトムート・エンケ在籍時のアシュ・ラ・テンペルのライヴ音源全部でもあって、1974年のライヴにはアナログ時代から有名なブートレグの名盤『Paris Downers』がありますし、1975年のアシュ・ラ・テンペル名義のライヴ音源もあり、1976年になるとバンドはもうアシュ・ラと改名していますが、デビュー作以来のオリジナル・メンバーはマニュエル・ゲッチングだけになります。マニュエル・ゲッチングの限定1,000枚の『Private Tapes Vol.1~Vol6』'96のシリーズで陽の目を見た、この2曲で70分のケルンの映画館でのライヴは、ずばりライヴ版『Join Inn』と言っていいもので、2は『Join Inn』A面全面の19分15秒の即興曲「Freak'n'roll」のライヴ・ヴァージョンであり、同曲はデビュー・アルバムA面全面の大曲「Amboss」の再演または改作と言っていいものですが、デビュー・アルバムがサイケデリックな深いリヴァーヴがかかった音像だったのに対して、コニー・プランクと'70~'80年代のドイツのロックの録音を二分する名エンジニアのディーダー・ダークス(ディエルクス)の録音による『Join Inn』は余分なエコー成分のないざっくりした録音で、ダークスの録音の代表作はスコーピオンズの剃刀のように鋭い国際的出世作の名盤『Virgin Killer』'77が上げられますが、それに通じる硬質さがあったのが『Join Inn』をデビュー作のアシュ・ラ・テンペルとは別の音楽にしていたので、それはライヴ版「Freak'n'roll」というべき「Dedie a Hartmut」でも引き継がれています。

 一方メディテーショナルでリヴァーヴ感の深い演奏は「Ooze Away」で聴けますが、スタジオ・ヴァージョン「Freak'n'roll」の倍の長さに演奏される「Dedie a Hartmut」(これはCD化の際のネーミングでしょう)ではヘルトムート・エンケのベースのダイナミックなフリー・ロック的プレイが演奏をリードしているのが非常に目立っていたように、「Ooze Away」ではゲッチングの腕前の向上が目覚ましく、テープ・リヴァーヴによってリズム・リフを刻むギターがリズムをキープしてエフェクトによるリズム効果というシークエンサーの先駆的発想のプレイでリズム・セクションを補う分、クラウス・シュルツェがドラムスを離れてさまざまなパーカッションやエレクトロニクス効果を出しており(後半はドラムスに戻りますが、躍動感のある良い展開です)、これも「Dedie a Hartmut」に劣らず自由度の高い演奏です。のちにノイ!として独立するリズム・セクションをメンバーを従えてクラフトワークがやっていた人力テクノの試みとも違ったアプローチが感じられるので、良くも悪くも一本調子だったデビュー作から2年も経たずにトリオの各メンバーの音楽的発想や力量がぐんと向上したのがわかる、好ライヴになっています。1971年のアシュ・ラ・テンペルも3月録音のスタジオ録音のデビュー作より5月のベルリン公演、9月のベルン公演ではLPレコード片面収録時間を意識しない奔放な長尺演奏を聴かせていて、鮮明な録音もあって素の初期アシュ・ラ・テンペルの凄さを感じさせてくれるものでした。エンケ在籍時のアシュ・ラ・テンペルは4作のスタジオ・アルバムも良いものですが、『Private Tapes』で発表された1971年と1973年の3公演のライヴ音源はスタジオ・アルバムをしのぐ生々しさがあり、1996年の限定プレス以来公式には完全に廃盤入手困難化しているのはゲッチングのキャリアだけでなくシュルツェ、またエンケ在籍時のアシュ・ラ・テンペルへの認識・評価を大きく左右するほどの内容だけに、何とも惜しまれることです。