クラウス・シュルツェ全アルバム(19)・ドリームス (Brain, 1986) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

クラウス・シュルツェ - ドリームス (Brain, 1986)
クラウス・シュルツェ Klaus Schulze - ドリームス Dreams (Brain, 1986)
Recorded at Klaus Schulze's studio, summer 1986
Released by Brain Records / Metronome Musik GmbH Brain ‎831 206-1 (LP), 831 206-2 (CD), November 1, 1986
Produced and All Composed by Klaus Schulze
(Seite 1)
A1. A Classical Move - 9:40 :  

4 (CD Additional Track). Flexible - 4:16 :  

Klaus Schulze - synthesizer, guitar, keyboards, vocals, engineer, digital mastering, mixing, electronics
Harald Asmussen - bass
Andreas Grosser - synthesizer, piano
Nunu Isa - guitar
Ulli Schober - percussion
Ian Wilkinson - vocals
(Original Brain "Dreams" LP Liner Cover & Seite 1 Label)

 クラウス・シュルツェは第15作『オーディンティティ (Audentity)』(IC, 1983)から従来のアナログLPに加え、曲順を組み換えたCDヴァージョンも発表していくことになりますが、第19作目の本作はLPではCDでは4曲目の「Flexible」を割愛してA面3曲・B面1曲の構成で発売されました。本作以降シュルツェの新作はCDヴァージョンとアナログLPヴァージョンの違いが目立つことになります。全曲を楽曲単位に分割したリンクしかご紹介できず残念ですが、全体像をご想像してお聴きください。アルバム傾向としては前作『Inter*Face』'85のループに乗せたアンサンブルを踏襲したもので、'70年代のアルバム、具体的には『Mirage』'77の頃には実験派エレクトロニック・ロックの尖鋭的存在だったシュルツェの音楽が、この頃にはアンビエント/ニューエイジ・ミュージックの文脈の中で消費される工業製品的な扱いを受けていたので、本作は旧来のシュルツェのリスナーにも一般の音楽リスナーにもほとんど注目されずにリリースされ、今日でもシュルツェのキャリアをたどる以外には評価の対象になることはめったにないアルバムです。シュルツェが再びエレクトロニック・ミュージックの大家として革新性を注目されるようになるにはもう数作後、'90年代の到来を待たなければならないので、前作、本作、次作あたりはシュルツェにとってキャリアの停滞期と見られて、もっとも潜伏を強いられていた時期の作品に当たります。この時期シュルツェは1作ごとにパートナーを変えたコラボレーション作品を多作しており、そちらでは『オーディンティティ』に続く『ポーランド・ライヴ (Dziekuje Poland Live '83)』(IC, 1983)がライナー・ブロスとの連名名義だったのとは異なる、シュルツェのソロ・アルバムの系譜とは違う方向性を模索しており、シュルツェ自身がコラボレーション作品からソロ名義の作品への突破口を開こうとして試行錯誤していた様子がうかがえます。またそれらコラボレーション作品は非常にムラがあるもので必ずしもシュルツェらしからず、作品の主体はコラボレーション相手でシュルツェはサポートに回っている印象が強く、名義を伏せて音だけ聴かされればシュルツェが関わった作品とは思えないアルバムさえあります。

 そうした事情もあってか、本作ではバンド編成と言えるほど楽器編成に専任奏者が招かれ、シュルツェとしては『Body Love, Vol.1』'76以来のピアノ・トーンのプレイか、と思うと専任ピアノ奏者を迎えているのもピアノにライナー・ブロスを迎えた『オーディンティティ』どころではなく、チェレステやヴィブラフォン的トーンは使用するシュルツェですがピアノ・トーンのキーボード演奏はアルバム19作を重ねても『Body Love, Vol.1』のA2以外にはなく、シュルツェの年長の盟友フローリアン・フリッケ(ポポル・ヴー)がドイツ初のムーグ・シンセサイザー奏者として出発し、当時世界的にも類例のない成果を達成しながら完全にシンセサイザーも電気オルガンも辞めて(後進のシュルツェに機材を譲りました)ピアノだけに専念するようになったのとは対照的でもあれば、姿勢は共通しているとも言えて、楽器自体に音楽的な歴史性を持つピアノにフリッケのように徹底して向かうか、シュルツェのように決してピアノにだけは触れないかの選択になるのでしょう。本作のサウンド・ループに乗せたアンビエント・アンサンブル手法は元来シュルツェのやっていた音楽からイタリア系テクノ・ディスコなどの手法と混交して、'80年代にはもっとも典型的なシンセサイザー音楽として量産可能な手法となり通俗化したものですが、オリジネーターでイノヴェイターだったシュルツェ自身の音楽までその風潮の中に埋没して見える結果となってしまった点で、シュルツェにとっては従来の手法の発展を進めようとすればするほどこれまでのシュルツェ自身のスタイルとキャリアが邪魔になってしまう、という悪循環を生み出しました。本作では楽器編成に専任奏者を配置する、久しぶりにヴォーカル・トラックをフィーチャーする、サウンド・コラージュにサンプリング的処理を施す、とさまざまな工夫が試みられていますが、結果的に集中力の拡散を招いているような、シュルツェの苦渋を感じないではいられない仕上がりになっています。裏ジャケットに浮き出た漢字一字にも何とか現状を打破しようという意図が感じられます。それでも本作は一朝一夕に出来るクオリティのアルバムではないだけに、シュルツェほどの実力と独創性のあるアーティストの場合、陥った困難の大きさが直に顕れてしまった観があるのです。アルバムが開放感のある『Dreams』とタイトルされているのにもかかわらず、B1の大曲が「Klaus」と「Catastrophe (カタストロフ)」と「Symphony (シンフォニー)」の合成語なのもシュルツェ自身の内的危機を物語るようではありませんか。