八木重吉遺稿詩集『貧しき信徒』昭和3年(33)・手稿詩集「信仰詩篇」(前半58篇) | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

八木没後の遺族、昭和2年(1927年)
登美子夫人(22歳、1905-1999、享年94歳)、
長女桃子(4歳半、1923-1937、享年14歳)、
長男陽二(2歳半、1925-1940、享年15歳)、
登美子の母イト、
八木重吉・明治31年(1898年)2月9日生~
昭和2年(1927年)10月26日没(享年29歳)
婚約申し込みの時の見合い写真、
大正10年(1921年)、23歳
婚約式、大正11年(1922年1月)、
八木23歳、登美子夫人16歳、
後列左から島田慶治(登美子兄)、
媒酌人・内藤卯三郎、八木藤三郎(重吉父)
 これまでにも触れてきた通り、八木重吉(1898-1927)の第二詩集『貧しき信徒』は以下の手稿小詩集・手稿ノートから公刊詩集として編まれたものです。
[ 詩集『貧しき信徒』収録詩篇初出小詩集一覧 ]
・◎は『貧しき信徒』収録詩篇初稿収録
・●は『貧しき信徒』収録詩篇未収録
1◎詩稿 桐の疏林(大正14年4月19日編)詩48篇、生前発表詩4篇、『貧しき信徒』初稿1篇初出
2◎詩稿 赤つちの土手(大正14年4月21日編)詩39篇、『貧しき信徒』初稿なし
3◎春のみづ(大正14年4月29日編)詩8篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿なし
4◎詩稿 赤いしどめ(大正14年5月7日編)詩32篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
5◎詩稿 ことば(大正14年6月7日)詩67篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
6◎詩稿 松かぜ(大正14年6月9日)詩18篇、『貧しき信徒』初稿なし
7◎詩稿 論理は熔ける(大正14年6月12日)詩37篇、『貧しき信徒』初稿なし
8◎詩稿 美しき世界(大正14年8月24日編、「此の集には愛着の詩篇多し、重吉」と記載)詩43篇、生前発表詩10篇、『貧しき信徒』初稿11篇初出
9◎詩・うたを歌わう(大正14年8月26日)詩27篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
10◎詩・ひびいてゆこう(大正14年9月3日編)詩21篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
11◎詩・花をかついで歌をうたわう(大正14年9月12日編、「愛着の詩篇よ」と記載)詩34篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿8篇初出
12◎詩・母の瞳(大正14年9月17日編)詩24篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿5篇初出
13◎詩・木と ものの音(大正14年9月21日編)詩24篇、生前発表詩1篇、『貧しき信徒』初稿1篇初出
14◎詩・よい日(大正14年9月26日編)詩41篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿なし
15◎詩・しづかな朝(大正14年10月8日編)詩40篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
16◎詩・日をゆびさしたい(大正14年10月18日編)詩34篇、生前発表詩7篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
17◎雨の日(大正14年10月編、自薦詩集、推定約20篇・現存10篇、既出小詩集と重複)
18◎詩・赤い寝衣(大正14年11月3日)詩43篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿6篇初出
19◎晩秋(大正14年11月22日編)詩67篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
20◎野火(大正15年1月4日編)詩102篇、生前発表詩7篇、『貧しき信徒』初稿7篇初出
21◎麗日(大正15年1月12日編)詩32篇、生前発表詩6篇、『貧しき信徒』初稿4篇初出
22◎鬼(大正15年1月22日編)詩40篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿2篇初出
23◎赤い花(大正15年2月7日編)詩54篇、生前発表詩5篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
24◎信仰詩篇(大正15年2月27日編)詩115篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿9篇初出
25◎[欠題詩群](大正15年2月以後作)詩29篇、生前発表詩3篇、『貧しき信徒』初稿3篇初出
26●[断片詩稿](推定大正14年作)詩15篇、『貧しき信徒』初稿なし
27◎ノオトA(大正15年3月11日)詩117篇、生前発表詩6編、『貧しき信徒』初稿6篇初出
28●ノオトB(大正15年5月4日)詩19篇、『貧しき信徒』初稿なし
29●ノオトC(大正15年5月)詩5篇、『貧しき信徒』初稿なし
30●ノオトD(大正15年6月)詩24篇、『貧しき信徒』初稿なし
31◎ノオトE(昭和元年12月)詩29篇、生前発表詩2篇、『貧しき信徒』初稿5篇初出
32●『貧しき信徒』未収録生前詩誌発表詩篇29篇
33●没後発表詩篇(原稿散佚分)詩38篇、『貧しき信徒』初稿なし
◎貧しき信徒(昭和3年=1928年2月20日野菊社刊)詩集初出詩篇2篇

 手稿小詩集に書き入れされた編纂年月日は八木重吉自身によるもので、収録詩篇内容は必ずしも編纂年月日に対応していません。大学生時代に喀血したことのある八木重吉はその後健康を回復し、旧制中学校(戦後は高等学校)英語教師に就職するとともに家庭教師を勤めた7歳年下の夫人と結婚、一女一男を授かり、大正14年(1925年)8月に第一詩集『秋の瞳』を公刊するとただちに新鋭詩人として認められ毎月新作を詩誌に発表していましたが、大正14年暮れから体調不良を覚え、大正15年(1926年)1月~2月には風邪や発熱から勤務を休みがちになり、3月には結核発症の診断を受けて5月~7月まで入院します。7月以降は病気休職で自宅療養しますが、大正15年10月には危篤状態に陥り、翌昭和2年(1927年)10月26日の逝去まで絶対安静の病床で自宅療養生活を送ります。抗生剤のない当時は結核は癌の末期と同等の死病でした。大正15年/昭和元年末までを最後に筆も執れなくなり、翌昭和2年春に夫人の助力でまとめられた第二詩集『貧しき信徒』は大正14年いっぱいまでの詩誌発表詩篇を中心とし、遺稿詩集になるのを覚悟して編まれたものでした。『貧しき信徒』全103篇の創作分布は、

・大正14年(1925年)4月~12月=62篇
・大正15年(1926年)1月~3月=28篇
・大正15年3月~昭和2年(1927年)の病床ノオトより=11篇(3月分6篇・12月分5篇)
・年代不詳(詩集書き下ろし?)=2篇

 と結核発症判明前の詩詩発表詩篇が半数を占めており、また結核発症がほぼ確定した際に編まれたと推定される、「信仰詩篇」が大正15年2月27日編、収録詩篇詩115篇、生前発表詩9篇、『貧しき信徒』初稿9篇初出と最晩年の手稿詩集の始まりとなることから、これまでにその直前の「晩秋」(大正14年11月22日編)、「野火」(大正15年1月4日編)、「麗日」(大正15年1月12日編)、「鬼」(大正15年1月22日編)、「赤い花」(大正15年2月7日編)を手稿小詩集そのままの形でご紹介してきました。そして今回と次回は、八木が最後に編んだ手稿詩集「信仰詩篇」を前後編に分けてご紹介します。「大正15年2月27日編」の日付の「信仰詩篇」以後、八木の詩稿はばらばらに書かれて手稿詩集にまとめれなかった詩篇、病床で書かれた詩稿ノートだけになります。また「大正15年2月7日編」の日付の「赤い花」が実際には5月~7月の入退院を経て自宅療養生活に入った題材の詩篇も多いのは前回に検討した通りで、収録詩篇54編の「赤い花」と収録詩篇115編の「信仰詩篇」は、7月に療養生活に入ってから日付を2月7日、2月27日にさかのぼらせて編まれたとほぼ確定できる内容です。「赤い花」は信仰詩・家庭生活詩・闘病詩が目立つとともにこれまでの手稿詩集には見られないほどの厳選と緊張感が感じられる密度の高い手稿詩集でしたが、「信仰詩篇」は115編収録、しかも長い詩も目立って全103篇収録の『貧しき信徒』よりも分量が多く、全117篇の『秋の瞳』に匹敵するか『秋の瞳』よりも多いほどで、この後八木重吉は遺稿詩集になることを覚悟した『貧しき信徒』の編纂まで自選詩集を編んでいないことからも、おそらく同時に編纂された「赤い花」と「信仰詩篇」は八木が健康の回復に一縷の望みを抱いていた最後の時期の手稿詩集になっています。収録詩篇の多さからも前後編に分けてご紹介し、内容にはそれから詳しく分け入ってみることにします。

 信 仰 詩 篇
 大正十五年二月二十七日編
 (前半58篇)

病気すると
何も欲しくない
この気持にひとつのものも混じへず
基督を信仰して暮らそう

 信 仰

今日も
こうして勤めに出るのだ
いつになっても変りも無い
私は信仰によって強く生きよう

 空

もう日が暮れそうだ
前の原のうへに
雲切れがして穏な空がみえてゐる
あしたは天気だらう

 灰

炭は
赤くおこって
やがて消えて もとのとこに落ちてゐる

 朝 日

森のむこうから
ちやかちやか日がひかり初めた
またかと云って笑ふ気になれない
あの一本気と気高さにはつひに頭が下る
 ※気高さ→崇高さ

 基 督

基督をしんずることすべてのはじめなり
基督は人を救わうとした
いかにせば人は救われるか
彼の右の手と左の手をみよ
左の手に神の真理を持ち
右の手に彼の恵みを持ちたまふ
左手にて照らし
右手にて救ひたまふ
左手に照らされて人は己れの罪をしり
泣きて右手の恵みにいだかれる
神の愛する者をば
左手にてかぎりなく打ちたまふ
右の手の恵み見ゆるまで打ちたまふ
われら聖書をよまん
されど神の霊によりてよむ者こそ福なれ
四つの福音書の
言葉言葉に執せず
かの尊き書をしるべとし
神のみたまに導かるゝ者は福也、
ただ一つをさとる者はめぐみ深し、
ひとつを悟りて心平らかなる者、
かくて自らのすべてをささげて悔いなき者こそ福なり、
自らによきこと無しと知りて信は起る、
まづ信ずれば自らによること無きを知る、
二つの道一つなるをさとらん、
影と光りと和して永遠の光となるをさとらん、

 信 仰

基督 基督にあらざりせば
ポウロも天よりの力を得ること能はじ
使徒等も聖霊をうくる能はじ
基督 基督たらざりしならば
彼れは一人をも救ふこと能はざりし者なり
基督を基督と信じ
ポウロ使徒聖徒
または信者等の救はれざりしを信ずるは不可能也
もししからざりせば
基督の救ひにあづかりし人無かるべし、
さらば基督は力無き人なり、
然ることいかであるべき、
而してすべての基督の僕は
信ずることの外に完全なることを為さざりき、

 二 月

空が曇ると
たより無い気がしてくる
はやく晴れてくれ
はやく晴れてくれとおもふ

 〇

桃子 ほら 雀がないてるよ
夜が明けたんだよ

 朝

今朝は
桃子がおとなしくひとりで遊んでゐてくれる
なんとなく気持がいいのだらう

 十 字 架

十字架を説明しようとしまい
十字架のなかへとびこもう
十字架の窓から世界を見よう

 冬

こすって痕をつけたように
うすく雲が夕方の空に二つ並んでゐる
だまって 人のいないとこで
張りつめた気持を自分でみてゐるような雲だ

 冬

日が落ちて
西の空がすこしこげてゐる
ちよいと雲がこすって痕をつけたように
ふたきればかり見える
気持としては非常にはりつめてゐる

 門

二月十四日
家主が来て
門を茶色に塗っていった

 早 春

むっくり空にひろがる
朝方の汽車の煙はきもちいい

 早 春

ソッと指で押っぺすと
ぴよろっと凹っこみそうだ

 私 の 癖

さみしくなると
どこかに
空いっぱいにひろがった
巨きなはだかの赤ん坊がゐて
ぼろぼろ哭いてゐるような気がしてくる

 〇

遊。花。赤。神。歌。

 梅

この梅はいい梅だ
わたしが見てゐるので嬉しいだらう

 遊 び

基督のものになってしまへば
私の目的ってなくなる
ただきれいな気持で
遊ぶようなきもちでゐればいいのだ

 早 春

森のそばへきたら
ときたま鳥の声が聞える
なんと云ふ鳥かしら

 御 飯

このごろ
御飯をたべるとき
なんだか有りがたいとおもふ

 桃 子

よそへ行って
だまって坐ってゐると
桃子のことが胸にうかんでくる

 早 春

曇った空をみるのは気持わるい
身体にさわるようで
はやく晴れてくれればいいとおもふ

 父

ひとりでに
母のことはよく思ふけれど
父のことをあまりおもはないで申しわけない

 桃 子

さっき御飯のとき
いらいらしさについ叱りつけたが
もう私の乳をちさい手で抑へながら
桃子は寝いってしまった

 願

私は
自分のからだを大事にし
桃子を一人前にそだてなければならないとおもふ

 晩 飯

からだも悪いし
どうやっても正しい人間になれない
御飯をたべながら
このことをおもってうつむいてしまった

 青 空

からだの悪い時
曇った空に
切れ目から青空がみえはじめたくらい嬉しいことはない

 病 気

ながく病気して
つまらない事ばっかり考へてゐた晩など
あとではかへって気持がうつくしくなる

 冬 の 夜

おおひどい風
もう子供等はねてゐる
私は吸入器を組み立ててくれる妻のほうをみながら
ほんとに早く快くなりたいとおもった
 (大正15年4月「詩之家」)
 (『貧しき信徒』「冬の夜」初稿)

 病 気

ながく寝てゐて
丁度 木の芽の出るじぶん癒りかけたので
おだやかな日に
そこいらを歩るくとほんとにうれしい

 天 気

朝起きて
椽側の戸をあけてみたら
よく晴れてゐてほんとにうれしかった

 病 後

気が弱くなって
そこいらを見てゐると
すこし芽ぐんだ草などがしたしくおもわれる

 冬

よく晴れてゐて
そのうへ雀がチユッチユッとないてゐると
もうなんとも云へずうれしい

 桃 子

桃子は
私の乳をちさい手でさわりながら眠むります
気がよわあくなってゐる晩など
夜中にふと眼をさまして
桃子のまるい顔をみながら
この子が大きくなるまでは生きねばならぬぞとつよくおもふ

 早 春

冬が
すこし気持をゆるくした
でもなんといふ気高い季節のうつりかわりようだらう

 季 節

冬から春へ
うつってゆく季節の気持
悲しいといふこころにさへこだわらず
ただ壁のところにゐるようなおもひでゐると
季節のなかのほうのうつくしい力をかすかにおぼえる

 信 仰

基督を信じて
救われるのだとおもひ
ほかのことは
何もかも忘れてしまわう

 キ リ ス ト

病気して
いろいろ自分の体が不安でたまらなくなると
どうしても怖ろしくて寝つかれないしかししまひに
キリストが枕元にたって
じっと私をみていて下さるとおもふたので
やっと落ち付いて眠りについた

 病 気

病気すると
ほんに何も欲しくない
妻や桃子たちもいとしくてならぬ
よその人も
のこらず幸であって下さいと心からねがわれる

 冬

今日はなんといふよい日だらう
こんなおだやかな
暖かい日は冬のうちほとんど無い
ありがたい気持でいっぱいになって
さっきも山の方をずうっと歩るいて来た

 涙

病気がいい方へ向ったし
それに今日は暖いそれはいい日だった
家へ帰って来ても
何んだかうれしくてならず
ありがたい ありがたいって
妻に話しながら涙がぼろぼろこぼれた

 妻

妻があかぎれだらけの手をして
せっせと働らいてくれるのが済まない
重い子供を負ぶって
桃子の面倒をみながら
よくやってくれるかたじけない

 散 歩

暖い陽にあたりながら
そこいらを歩るいてきた
こんないい日ばかり続いてくれ
私は早く快くなってしまいたい

 病 気

今日はめづらしく暖かい日だった
そして身体の工合もたいへんよかった
さっき家へかへって来て妻の顔をみたら
富子のおかげでよくなったような気がして
わざと他の話しなんかしてゐたけれど
ぼろぼろ涙が出てきてしかたなかった

 朝 飯

一日中ひびだらけの手で働きつめる
うつくしい顔をして眠ってゐる妻を起す気になれず
まだ快くなりきらないが
私がそっと起きて朝飯をたいた

 冬

からだが弱いのだと
自分でもよく納得できると
何んにもほしくない
丈夫にさへなればいいとおもふ

 桜

まだ麦が出ない
早くこの芽がふくらんで
桜の花がたくさん咲くといい

 春

早く春になれ
そして桃子をつれてそこいらを歩るきたい

 傷 切 (あかぎれ)

風邪をひいて寝てゐる
妻の手があかぎれだらけだった
済まないと心で泣いた

 桃 子 の 顔

からだが悪いと
よそに行ってゐても
いたづらをして謝った時の
桃子の顔がうかんでくる

 椿

国の
穀倉のとこにあった
椿の木にたくさんさいてゐた花のことをよく思ひ出す

 キ リ ス ト

キリストが十字架にかかって死んで
甦って天に昇ったので
私も救われるのだと聖書に書いてある
キリストが代って苦るしんだので
私は信じさへすればいいと書いてある
私はキリストがすきだ
いちばん好きだ
キリストの云った事は本当だとおもふ
キリストには何もかも分ってゐたとおもふ
キリストは神の子だったにちがいない
キリストは天に昇ってからも
絶えず此の世に働きかけてゐるとおもふ
ポーロの言葉 使徒の言葉
すぐれたる使徒の言葉
それ等は
キリストが云わせたのだと信ずる
そう云ふことの出来ぬほど
キリストが無能な者だとはおもわれぬ
再びキリストが来る
キリスト自身がそう云ってゐる
キリストが嘘を云ふ筈がない
そのとき
私自らは完全に悪るい人間だけれど
ただキリストを信じてゐる故にのみ
天国に入れてもらへると信ずる

 天 気

もうぢき晴れそうにみえる
すっかり天気になったら
どんなにうれしいだらう

 病 気

丈夫でさへあれば
どんなことでもしたいとおもふ
ああ母のことがおもわれる

 祖父

国のおぢいさんはどうしてゐるだらう
風邪もひかず
気をいらだたせることもないように

 春

軽くても浅くても
あたたかい春をむかへ
丈夫でくらすほどうれしいことは有るまい

(以上、手稿小詩集「信仰詩篇」全115篇より前半58篇)
 
(書誌・引用詩本文は筑摩書房『八木重吉全集』により、かな遣いは原文のまま、用字は現行の略字体に改めました。)
(以下次回)