外道 - ヤングインパルス・スタジオライヴ1975年! | 人生は野菜スープ~アエリエルのブログ、または午前0時&午後3時毎日更新の男

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元職・雑誌フリーライター。バツイチ独身。午前0時か午後3時に定期更新。主な内容は軽音楽(ジャズ、ロック)、文学(現代詩)の紹介・感想文です。ブロガーならぬ一介の閑人にて無内容・無知ご容赦ください。

外道 - スタジオライヴ・イン・ヤングインパルス (テレビ神奈川, 1975)
外道 - スタジオ・ライヴ・イン・ヤングインパルス (テレビ神奈川, 1975) :  

Recorded Live at テレビ神奈川スタジオ, February 2, 1975
Broadcasted by テレビ神奈川(TVK, tvk)「ヤングインパルス」
Released in "Video外道", 
Sonny Music Associated Records Inc, July 7, 2004
All songs by 外道
(Tracklist)
1. 腐った命 - 2:44 (00:00~)
2. ビュンビュン - 2:10 (2:56~)
3. 香り(外道コール~イントロ) - 0:56 (5:20~)
4. 香り - 2:52 (6:14~)
Total Time: 9:15
◎香り (Music Video) - 3:04 :  

[ 外道 Gedo ]
加納秀人 - guitar, lead vocal
青木正行 - bass guitar, vocal
中野良一 - drums, vocal
(Sonny Music "Video外道" DVD Front Cover)
 眉毛を剃り落とし、メイクして着物を羽織った元Mのギタリストの加納秀人(1952-)、元Too MuchのベーシストでクールなMCを担当する青木正行、東京都の郊外・町田市の暴走族のヘッドだったドラマーの中野良一のスリー・ピース・バンド、外道は加納秀人が所属していた音楽事務所から「村八分(昭和48年=1973年5月解散)のようなバンドを」との提案により結成されたバンドで(加納氏のバンドメイトだった近田春夫氏の証言による)、昭和48年(1973年)8月解散に長野県茅野市で行われた「白樺湖音楽祭」で「サーカス」名義でライヴ・デビューし、外道と改名して10月にトリオ・レコードからシングル「にっぽん讃歌 b/w 桜花」でレコード・デビューしました。アルバム・デビュー前から中野良一を慕う町田~神奈川の暴走族に絶大な人気を誇り、外道の野外ライヴは暴走族の集会と化していましたが、バンドの名前を全国にとどろかせたのは昭和49年(1974年)、福島県郡山市で37バンド・一週間(8月4日~10日)に2万人の観客動員数で行われた「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」で8日の5番目(マザーハウス・ブルース・バンド、ソウル・パワー、異邦人、南無に続いて)に登場した外道のライヴでした。アルバム1枚分相当の楽曲を演奏した外道の後に、同日はシュガー・ベイブ(山下達郎、大貫妙子在籍)、センチメンタル・シティ・ロマンス、はちみつぱいが続き、アイ高野をヴォーカルに迎えたミッキー吉野グループがトリを勤めましたが、NHKが収録して放映した「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」のドキュメント番組でも外道のステージは出場バンドの中でもとりわけ同フェスティバルを象徴するものとして編集されました(MV「香り」参照)。かねてから外道に目をつけていたミッキー・カーチスはこのステージでアルバム・デビューを決め、翌9月11日に横浜野外音楽堂で行われた外道のライヴをファースト・アルバム『外道』として収録わずか10日後の昭和49年(1974年)9月21日にトリオ・レコード傘下のショーボート・レーベルからリリース、やはりミッキー・カーチスがレコード・デビューさせ「郡山ワン・ステップ・フェスティバル」でもトリを勤めたキャロルに匹敵する人気バンドになります。

 外道は翌昭和50年(1975年)1月にハワイで行われた「サンシャイン・ロック・フェスティバル」に国際的ロック・フェスティヴァルには初の日本人バンドとして出演、ライヴ終了後の打ち上げパーティーでのスタジオ・ライヴ盤『LIVE IN SOUNDS OF HAWAII STUDIOS』(全曲新曲)はショーボートから昭和50年(1975年)4月に、そのままハワイのスタジオで制作された唯一のスタジオ・アルバム『JUST GEDO』(全曲新曲)は6月にリリースされます。同年5月に京都のライヴハウス「拾得」で収録されたライヴ盤『拾得LIVE』は同年11月にリリースと、昭和50年(1975年)だけでも3作のアルバムを発表した外道でしたが、同年末には所属の音楽事務所との契約を破棄し、もっぱらライヴに明け暮れて新作アルバムの制作ができず、ジェフ・ベックの来日公演のサポート・アクトなどを経たのち、昭和51年(1976年)10月16日には日比谷野外音楽堂で共演に裸のラリーズ、リゾート(加部正義&山口富士夫グループ)、カルメン・マキ&OZとともに出演した「ロッキード・ヘヴィ・コンサート」でのライヴで解散宣言を行います。解散ライヴにもかかわらず外道はリゾートに続く2番目に出演し、デビュー・アルバムを大ヒットさせたトリのマキ&OZはともかく、外道の後に出た裸のラリーズは熱狂した外道ファンによってブーイングをくらいほとんど演奏ができず、散々なライヴになったと伝えられます。この解散ライヴの模様は平成3年(1991年)4月にメルダックから発掘発売された未発表ライヴからの2枚組CD『外道ライヴ~未発表・解散コンサート1976・10・16』で発表され、収録曲の半数で未発表曲・『拾得LIVE』以降の新曲を聴くことができます。
(Original Showboat "ビュンビュン" '45 Single Front Cover)
 外道は加納秀人のソロ活動に伴い'80年代、'90年代に一時的再結成が行われましたが(その間に青木正行、中野良一は参加・不参加をくり返していました)、2003年に中野良一の復帰、ベーシストに新メンバー・松本慎二を迎えて本格的に再結成され、各2枚組CDの未発表ライヴ集『水金地火木土天回明 〜外道・秘蔵音源集 その壱』『水金地火木土天回明 〜外道・秘蔵音源集 その弐』(ユニバーサル, 2002年11月)を皮切りに、新たに移籍したソニー・ミュージックから初のベスト・アルバム『ベスト外道』(ソニー, 2003年7月)からさらに5作(各2枚組CD)もの'70年代の発掘ライヴ、『狂熱の町田ポリス'74』『京都拾得-完全版』『1975 -野音狂のアロハ』(ソニー, 2003年7月)、新作『NφW』(ソニー, 2003年9月)を挟んで『1976 さよならニッポン』『最期の曼荼羅屋根裏伝説 '76』(ソニー, 2003年11月)をリリースし、2004年7月には映像とドキュメンタリーの集大成DVD『Video外道』をリリースしました。以降、中野良一の脱退にドラマーが'90年代再結成に参加したそうる透に定着し、現在でも現役バンドとしてライヴ活動、アルバム発表を続けています。最新作はテイチクエンターテイメントから2018年10月にリリースされた『外道参上』です。

 同世代のミュージシャンからは「村八分の(解散に乗じた)パチモン」呼ばわりもされた外道のアルバムは、最高傑作と誉れ高いデビュー・アルバム『外道』や同作に匹敵する円熟したライヴ盤『拾得LIVE』、また解散コンサートを収めた未発表ライヴ・コンピレーション『外道ライヴ~未発表・解散コンサート1976・10・16』を必聴として、『LIVE IN SOUNDS OF HAWAII STUDIOS』『JUST GEDO』も落とせないものですが、『Video外道』に収められた今回ご紹介したスタジオ・ライヴ映像は、デビュー・アルバム『外道』から半年後、ハワイのロック・フェスティヴァル出演と『LIVE IN SOUNDS OF HAWAII STUDIOS』『JUST GEDO』制作から帰国直後の、1975年2月の外道絶頂期の姿をとらえたスタジオ・ライヴです。選曲はすべてデビュー・アルバム『外道』収録曲であり、ヘヴィで攻撃的な「腐った命」から、シングル・カットされた「ビュンビュン」、アルバム『外道』のオープニング・ナンバーかつライヴならではの「外道コール」を含むバンドのテーマ曲「香り」(この曲の歌詞は「〽ゲーゲーゲーゲゲゲゲ、ゲーゲーゲーゲー外道!ゲーゲーゲーゲゲゲゲ、ゲーゲーゲーゲー外道!外道は己が香り!外道は己が姿!」と4行しかありません)と3曲・9分強で完璧なセットリストをなしており、褪色したヴィデオテープ収録なのが難点ですが(当時のテレビ番組は生放送以外は創始期のヴィデオテープか、16mmフィルムによる撮影で行われており、NHKでは16mmフィルムによる映画レベルの鮮明な撮影が行われていました)、民放地方局のテレビ神奈川(TVK, tvk)は'70年代~'90年代までは出演者にギャラがかさまない日本のロック番組に力を入れており、上昇期の外道をコンパクトにとらえた極上の内容になっています。ドラムセットの背後に鳥居、観客とのコール&レスポンス(「万歳三唱!」「外道に向かって礼!」)という外道のライヴの雰囲気は野外でしたら暴走族集団が殺到し、もっとド派手なものだったでしょうが、このスタジオ・ライヴでは観客の反応とも微妙な外道のライヴが楽しめ、「ビュンビュン」がスパイダースの「バン・バン」へのアンサー・ソングでもあればジミ・ヘンドリックスの「Can You See Me」のリズム・ブレイクの換骨奪胎なのもよくわかる演奏です。フロントマンの加納秀人のみならず、ベーシストの青木正行、ドラマーの中野良一の存在感も唯一無二のもので、スリーピース・トリオとしてクリームやジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスに匹敵するものであれば、ブランキーやニルヴァーナどころではない強力な呪縛力を持ったバンドだったのを証明する、しかしどこか学芸会的な雰囲気でもって、このスタジオ・ライヴ映像は外道のフットワークの良い軽みをほぼ完璧にとらえています。外道は同時代のイギリスで言えば、野外コンサートの帝王ピンク・フェアリーズ、のちのモーターヘッドに相当するバイカー御用達の稀有なバンドでした。このスタジオ・ライヴ映像は、再三観直しても飽きのこない、ロックの一種の理想をとらえたドキュメントです。これに匹敵するものがそうそうあるかと問えば、その答えは容易に出てくるものではないでしょう。