想い出のパリ散歩ー④ | 遠い夏に想いを

遠い夏に想いを

アメリカ留学、直後の72年の夏に3ヶ月間親子でパリに滞在。その後、思い出を求めて度々訪欧。

 パリの思い出の中でも、やはりセーヌ河畔にまつわる記憶が多い。当時は今ほど物騒でなく、テロもなかった。ただフランスも世界中に植民地を持っていたから、戦後は旧植民地の人達が結構いた、アフリカのアルジェリア、中東のレバノン、アジアではベトナムなど。パリにいた頃、同じホテルにベトナムから来た若いカップルがいて、彼らにベトナム料理店でご馳走になったりした。

 イギリスからフランスに船で入港する時に税関で書類を記入する。前に並んでいたアルジェリア人の若い男が書くものがないので筆記用部を貸してくれと言う。使い捨てのボールペンを貸したらポケットにしまって立ち去ろうとするから、「こら待て!ペンを返せ!」と怒鳴ったら、しぶしぶ返したよこした。だから人を見たら泥棒と思えとなってしまった。

橋01

プティパレ

アンヴァリド

 パリに架かる橋、アレクサンドル三世橋の近くのセーヌ河畔を息子を連れて歩いていた。突然アルジェリアあたりの若者が3人近づいてきた、「たばこ持ってるか?」 当時煙草を吸っていたのだが、「ない」と言ったら襲われそうな雰囲気なので、5本ほど残っている箱ごとくれてやっり、直ぐにその場を立ち去ったのを思い出す。

 セーヌに架かる橋は石の橋ばかりだが、ポン・デザール橋とアレクサントル三世橋は鉄製である、ポン・デザールは歩道橋で橋の上は木の板を敷き詰めてある。

 エッフェル塔に代表される鉄の建物が出てくる時期だ。エッフェル塔は1889年のパリ万博の時に建てられた。1900年のパリ万博ではこのアレクサントル三世橋や橋の袂にプティパレやグランパレが作られた。


橋02

 橋から左岸に向かって見通すと、奥には廃兵院(アンヴァリド)が見えてくる。ここにはナポレオンが眠っている。ナポレオンは「自由・平等・博愛」を旗印にヨーロッパ諸国の民を殺戮し回った男だ。私の大嫌いな男の筆頭である、先日テレビの旅番組でコルシカを映していた。ナポレオンの生まれ故郷のコルシカの中年男性が「あの裏切り者の男なんか・・・」って怒っていた。コルシカでも嫌われているのだろう。大好きなのはフランス本土の人達だけなのか。2度も流刑されて死んだが、フランスの栄光を取り戻してくれた男、ナポレオンってとこかな。

 チャイコフスキー/序曲1812(ナポレオン戦争を題材にした曲)/小澤征爾



 ナポレオン戦争でナポレオン軍はロシアに攻め込んだが、冬将軍には勝てずに退却をせざるを得なかった。上の動画はフランス国歌で始まり、最後はロシア国民の歓喜の叫びで終わる。時代は変わって、そのロシアとフランスが不戦条約を結んだ。今の日米安保条約みたいですね。それを記念してニコライ2世がパリに寄付した素敵な橋が、父君のアレクサンドル三世の名を付けた橋。セーヌで一番美しい橋です。

 私はアンヴァリドには入っていないが、妻と息子はナポレオンの墓を見てきたそうだ。



 Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
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