「枯葉」を載せながら、若い頃の記憶を辿っていました。「枯葉」は『過ぎ去った美しい恋を、後悔の念に駆られながら思い出す。北風が枯葉を運んでいくように、愛した人が歌ってくれた歌が今でも聞こえてくる』という趣旨の詩です。
東京の話になりますが、書店の「紀伊国屋」が新宿駅東口の新宿通りにあります。今でも本店ですが、新しい支店が南口の高島屋の隣にできました。それよりずっと以前、半世紀も昔のことですが、現在の本店がある場所に二階建で、床が軋むような薄緑の木造の店が「紀伊国屋」でした。当時は革新的な書店でした。
当時の新宿は熱かったなあって思います。ジャズ喫茶など新宿に現れ、当時のベトナム反戦運動家や体制批判家などの若者達も集まる場所になっていました。店の中はタバコの煙で霞んでたっけ。
音楽と喫茶といえば、名曲喫茶なるものがありました。結構大きな喫茶店で、レコードが買えない、家にプレーヤーがない若者で流行ってました。よくデートの場所として使ったものです。
そん遠い昔の話です。それより以前に、実存主義が流行ってました。書店の棚にはサルトルやブーボワールやハイデッカーなどが提唱した実存主義の哲学書が所狭しと並んでいました。
解る解らないは問わず、大学生たる者は実存主義の著書が一冊くらい自分の本棚にいないと恥ずかしい時代でした。今では実存主義という言葉も死語と化しましたが。
枯葉/ジュリエット・グレコ
それ以前からフランスで流行っていたのが、ジュリエット・グレコ、実存主義時代の女王ともて囃された黒い衣装を纏った歌手です。彼女が「枯葉」を歌いました。そしてイヴ・モンタンが「枯葉」を世界に広め、シャンソンの定番になりました。

この「枯葉」の歌詞を書いたのがジャック・プレヴェールでした。この詩は彼の代表作、詩集「Paroles」(言葉)には入っていませんが、プレヴェールは大好きでした。彼はシャンソンや映画に参画し多くの作品を残してます。
彼の「バルバラ」は一斉を風靡し、私も仏語の文庫本を買ってきて、下手なアクセントで口ずさんだものです。今でもそうですが、翻訳文化が華やかで、少しくらい外国語を勉強しても喋れない聞けない者が普通でした。
高校時代にフルブライト交換学生としてミネソタに一年間留学した英語の先生が、課外授業で仏語を教えるというので数名集まって習いました。大学の教養科では第二外国語で仏語を取り、仏語経済などを学びましたたが、発音はいたって下手です。仏文出の妻のノッコには結婚前によく笑われたものです。息子のチャオはフランス系の私立学校でしたから、小学低学年からフランス人の先生に仏語を習ってました。だから本物ですが、公立の小学校では無理ですね。今の公立小学校では英語を教えているようですけど。
それでもプレヴェールは大好きでした。最初の文庫本は仏語と英語の対訳でしたから意味は解りました(上の写真)。
バルバラ/プレヴェールの語り
Rappelle-toi Barbara
Il pleuvait sans cesse sur Brest ce jour-la
Et tu marchais souriante
・・・・・・・・
(想い出して、バルバラ
あの日ブレストの街は一日中雨だった
そして君は微笑を浮かべながら歩いて来た
・・・・・・・)
で始まる「バルバラ」。雨のブレストで君に出会う。覚えているかい、バルバラ・・・。これは当時の時代を反映した反戦詩にもなっています。フランスのブルターニュのレンヌの先にブレストという街があります。軍港があったために第二次世界大戦でドイツ軍により砲弾が血の雨となって降り注いだ情景を重ねながら、バルバラという女性が雨の中で微笑みながら顔を輝かせ、ある男の懐にとび込んで行くのを見かけるという詩です。
こんな昔のことを思い出すなんて不思議な感じがします。
Viosan の「ミネソタの遠い日々」
1970年に私たち夫婦・子供連れでミネソタ大学(University of Minnesota)へ留学した記録のホームページ
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