クローズアップ現代「広がる”読書ゼロ”〜日本人に何が〜」 | 元広島ではたらく社長のblog

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六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

 クローズアップ現代、昨日のテーマは、「広がる”読書ゼロ”~日本人に何が~」文化庁の調査で1ヶ月に本を一冊も読まない大学生が47.5%というショッキングなデータを紹介し、一体日本人はどうなってしまうだろう?というイメージを前提に番組は始まった。
 活字離れが言われて久しい。更には、マンガも売れなくなっている。若い人の多くの時間がスマホに取って代わっている。帝京大学の図書館では毎年1万冊づつ本の貸し出し数が減っているという。
 筑波大学の教授による実験で、複数の学生に小論文を書かせたところ。本を読まない生徒は、ネットでテーマに関するキーワードを検索し、多くの情報から取捨選択し、あっという間に論文を書き上げた。論文のテーマに対する幅広い賛否両論を取り上げ、今後の課題をいくつか提起したもの、それは既にネットにある意見で自身の意見が無かった。一方、本を読む生徒は、最初こそ、ネットで検索するが、ネットにあった参考文献を図書館に捜しに行き、プラス自分で役立ちそうと思った評論集を持って来て、本を元に調べて行った。その生徒は、資料を読み進めるうちに、1つの考えに至り、彼は、その考えを突破口に与えられた論文を仕上げて行く。
 教授は、最近の学生の論文の傾向として、ネットから得た多くの情報を羅列するものの自論を述べる能力が落ちていると言う。しかし、実験には学生の目の動きをトレースできる装置を使われており、本を読まない学生のネットで検索している時の目の動きは、次々スクロールし、瞬時に必要な情報とそうでないものを見分けていた。そういう情報の扱いは格段に進歩しているという。

 次に、読書と脳の動きを研究する東大の教授の意見が紹介されていた。川端康成の「雪国」の冒頭の一文のイメージを映像と文字で理解する際の脳の動き(?)を比べると、視覚野、言語野、前頭葉の関係が、読書の方が論理的な思考力が高まるということだったと思う。

 スマホに代表される電子デバイスを使うことは、情報の収集、取捨選択、分析と言う能力は上がるが、論理的に考えたり、自分の意見を持つ能力がおろそかになる。日本人これでいいのか?二宮金次郎を忘れていないのか?と言うのが前半の展開。後半は、立花隆さんがスタジオに呼ばれ対談する。

 立花さんと言えば、読書の鬼、筑紫さんが亡くなった後、またがん手術の後、めっきりTVで見ることもなく、久しぶりに元気な姿を見れてうれしかった。立花さんは、果たして読書離れの日本の若者に何と言うのだろうか?
 あれっ!拍子抜けした。今の現状を、特に否定していないのである。ネットを古代のアレキサンドリア図書館と捉え、それに瞬時にアクセスできるようになった現状を肯定的に捉えている。現代人の情報との関わり方が変わって来ているのだ、と。キャスターの国谷さんは、それでも最初の論に戻そうと、読書しないと、に持って行こうとするが、立花さんは至って普通に、情報収集と、読書は違うもの、川端康成の文章を呼んで、自分は,それまで無かった文体に衝撃を受けたと、読書はあくまでも、個人の受け止め方と言わんばかりに、読書量とネットと若者、日本の将来を分けて話している。
 二人の対談が噛み合ない。NHKは立花さんと予め打ち合わせしていなかったのだろうか?
 最期の最期に、立花さんは、「思考力を鍛えたかったら書くこと」と終了数十秒前に結論一言。え~、そんなこと今まで一言もいってないじゃん!とTVにむかって突っ込んでみる。ネットでの情報収集能力と、読書と、理解力と思考力とと日本の将来とごちゃ混ぜになったようだ。意外と番組が想定しているのは、スマホでゲームやSNSで時間を浪費している若者への小言だったのかもしれない。

 考えてみると、この「クローズアップ現代」と言う番組が、まさに、読書しない生徒の論文のような番組。広範な社会問題を1テーマで紹介して来た。まず、その問題が顕在化している現場の状況を2、3紹介。そして、その問題の背景,原因をゲストに話させる。まさに、情報を検索して取捨選択し、課題を浮き彫りにする作業そのもの。そして、それだけで終わらず、その社会問題に取り組んでいる人たちを2、3紹介する。問題を提起だけに終わらせずに、その解決の糸口も紹介する。
 最初に「シナリオありき」の番組作りは、批判も多いが、この番組が社会に果たした役割は大きく、日本人が社会問題にどう対峙して行くか?多くのものを示唆して来たと思う。ただし、その問題をどう理解し、どう取り組んで行くか、は視聴者の問題。全ての問題に取り組めるはずも無く、否応無く関わらざるを得ないものもある。そこに始めて論理的に思考し、自分の意見を持ち,自分でコミットメントして行かなくてはいけない。
 
 今回のクローズアップ現代は、「この番組を見るだけでなく、自分で考えて行動しなさい!」というのがテーマだったのかもしれない。