『ペリリュー・沖縄戦記』① | 元広島ではたらく社長のblog

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『ペリリュー・沖縄戦記』ユージン・B・スレッジ 講談社学術文庫



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昨年アメリカで放送され、日本でもWOWOWで放送されたTVドラマ『ザ・パシフィック』は、太平洋戦争を題材としている。欧州戦線に比べ、比較的映画やドラマに取り上げられない日本軍とアメリカの戦争。真珠湾攻撃、特攻、戦艦大和が繰り返し、取り上げられるのに対し、太平洋の島々で繰り返された激闘が描かれるドラマは少ない。日本軍の頑強な抵抗は、アメリカ軍に想像を超える被害を与えた。ちっぽけな、後から考えると戦略上意味がない島に多くの犠牲者を出したことは、軍として、国家として、責任を問われるべき作戦だった。そのため、歴史の闇の中に葬り去りたい、できるだけ人々の記憶から無くしたいというのが、この太平洋戦争の激闘が、世に出てこない理由なのかもしれない。

しかし、そこで戦い、傷つき、多くの仲間を失った、この著者のような海兵隊員にとっては、その戦場こそ、自分が、文字通り命を懸けた場所であり、そのために流した夥しい戦友の血を、そして戦場が、人間性を失わせる、ただの野蛮な、殺戮の世界であることを、後の世の人々に伝える義務があると信じ、こういった書物となって残っているのであろう。



原作者は、マリオンミリタリーインスティテュート(陸軍大学のようなもの?)1年次に海兵隊に志願した。周囲は士官課程を目指すことを強く希望したが、突然海兵隊を志願した。スレッジは、アトランタのジョージア工科大学、カルフォルニア、サンディエゴの海兵隊ブートキャンプ、そしてキャンプエリオットで、迫撃砲の技術をしえこまれた後、輸送艦プレジデントポーク号で、南太平洋をめざし、サンディエゴ校港を出港した。



19443月半ば、ニューカレドニア、ヌーメアに到着した著者スレッジは、6月、海兵隊、第1海兵師団、第5連隊、第3大隊、K中隊の迫撃砲班に配属される。



ミッドウェーの海戦以後、伸びきった戦線を維持できなくなった日本、そして、やっと反抗に出たアメリカは、膨大な物資を背景に、日本軍を圧倒していく。しかし、戦時捕虜の扱いに関する国際条約等を知らされない日本軍は、頑強な抵抗を行い、一時の「バンザイ突撃」もやめ、「縦深防御」という組織的な戦法を生み出し、また夜間に敵陣地に切り込む白兵戦を行い、ガダルカナル、ニューブリテン島のグロスター岬の戦い、タラワ環礁の戦いと、勝利はすするものの、アメリカ軍に多大なる犠牲をもたらした。



スレッジの属するK中隊にもガダルカナル、グロスター岬を生き抜いた古参兵がいる。古参兵の独特の雰囲気、奇矯なる行動に戸惑いながらも、スレッジは、ペリリュー島攻略作戦に臨む。当初アメリカ軍は3日で落とせると豪語していたが、サンゴ礁の堅い洞窟群を要塞化した日本軍11,000人の抵抗は熾烈を極めた。



スレッジは、上陸作戦に伴い、揚陸艦に乗って島に飛び込む。援護の砲弾が後方から打ち込まれ、日本軍の反撃を受ける中上陸する。そして、この世のものとは思われない戦場の姿をスレッジに見せ始める・・・・・。