『大本営が震えた日』 | 元広島ではたらく社長のblog

元広島ではたらく社長のblog

六本木ヒルズや、ITベンチャーのカッコイイ社長とはいきませんが、人生半ばにして、広島で起業し、がんばっている社長の日記。日々の仕事、プライベート、本、映画、世の中の出来事についての思いをつづります。そろそろ自分の人生とは何かを考え始めた人間の等身大の毎日。

『大本営が震えた日』

広島ではたらく社長のblog-dai

吉村昭の記録小説。

日中戦争が泥沼化した昭和16年。日本の中国進出を阻止したい米英蘭は、日本の海外資産を凍結し、石油などの戦略物資の輸出禁止をする。そして、外交交渉を進める日本に、到底飲むことのできない最後通牒ともとれる要求を突きつける。

すでに、対米英蘭の戦争を想定し準備を整える軍や、世論に押される形で11月御前会議で、開戦が決まった。そして開戦日は日本時間の128日となった。

海軍は連合艦隊によるハワイの真珠湾攻撃。陸軍は、英領香港、オランダ領マレーシア、英領シンガポールをそれぞれ侵攻し緒戦で圧倒的有利な状況を作り出すことを戦略の第一とした。

湾岸戦争や、イラク戦争を見てもわかるとおり、戦争を起こすには戦地付近に大量の武器弾薬、兵力(兵士)を展開させなくてはいけない。湾岸戦争の場合、最初にイラクが隣国クウェートに攻め込んだ際、インド洋艦隊、周辺のサウジに展開する米軍兵力では反撃できなかった。大量の兵力をサウジに移動させ反撃に出たのは、半年もかかった後だった。しかも、後日談では、戦争中の兵站の混乱は目も当てられなかった。行き先がわからず放置されたコンテナが7000。紛失したり、横流しや、敵の手に渡った物資もたくさんあるはず。大規模の兵力を隠密襟に実行するのは現在では無理。特に人工衛星のある現在では、宇宙から見れば、わずかな兵力移動ですら、何をしようとしているのか軍の動向はわかってしまう。(その情報が国家が握り、見てみぬ振りをするという、政治的な悪用がされれば意味は無いが)

『大本営が震えた日』では、陸軍、海軍の御前会議の決定から開戦の128日までのそれぞれの隠密裏の大移動作戦を、そのトップシークレットである開戦日を敵に知られること無く遂行するためのドキュメント。そしてそのトップシークレットを携えた陸軍士官が、開戦1週間前に中国の山中に飛行機で墜落。その重大情報が中国軍ひいては同盟国の米英蘭にわたったのではないかという緊迫した事件から始まる。飛行機の名をとって「上海号事件」と呼ばれている。

海軍は、連合艦隊を九州方面で演習と称して、択捉島、単冠湾に集結させ、北太平洋を迂回し、ハワイ真珠湾攻撃が、最初の戦闘となる。

一方、陸軍は、イギリス領香港、蘭領マレー、そしてタイ進駐が、緒戦となる。海軍の、戦艦、空母を備え、全身戦闘マシーンである連合艦隊に比べると、陸軍は60隻以上の大輸送船団。こんな大輸送船団が、敵に見つからずに日本からマレー半島まで果たして行けるのか?

「日本軍による真珠湾攻撃はアメリカが事前に入手し、ルーズベルト大統領は改選に消極的な国民世論を転換させるため、真珠湾の艦隊はスケープゴートにされた」という陰謀説を見てもわかるように実際は、日本の開戦と開戦準備のための大輸送作戦は事前に知られていたかもしれないが、やはり陸軍、海軍の参謀クラス(あるいは作戦課というべきスタッフ)の頭は飛びぬけて優秀で、多分にばくち的ではあるが、こんな作戦よく考えつき、かつ緻密に実行したなあという感慨仕切りである。日本人が一つにまとまるときの凄まじさと言うものを実感する。

その影で、択捉沖に集結した連合艦隊の梅雨払いと、機密保持の哨戒活動を行った船の乗員に対する理不尽な扱い。発見した「上海号」の残骸に重爆撃を行い、生存者不明のまま機密ごと焼き払おうとする軍の非常さ。日本人が日本という枠で物事を思考するときの、人間性の欠如も見え隠れする。

蟻やミツバチの集団は女王を中心とする集団の維持が生存目的で、働き蟻は、ひたすらえさを確保。兵隊蟻は、コミュニティ維持のため、死を超越し外敵に向かう。そんな蟻やミツバチになりきった日本人の物語、とも言えないだろうか?

これだけ、頭のいい人たちであったが、ではなぜ、無謀な戦争をはじめてしまったのか?戦後は、多くの当事者が口をつぐんでしまい、戦争中とは言うことが違ってしまった人たち、戦争の実相を知らない人たちの勝手な言が、吉村昭さんを戦争の当事者を丹念に回って、証言を収集し、記録小説という形で世に問いかけるという作業に至らしめたという。

将来、日本が全面戦争になるという想像は、現在のところ、描きにくい。しかし、軍隊に限らず、組織が抜き差しなら無い局面で非情の決断、あるいは、理不尽な行動に出ることがある、ということはこれからもいくらでもあるだろう。その中に、身を置く者が、吉村昭の読者であるなら、どう決断するであろう。歴史を繰り返さないようにするのか?あるいは、蟻やミツバチに徹するのか?