3人の先生が相次いでTVに登場した。
① 『五体満足』の乙武洋匡さんが、この4月から東京都杉並区の小学校の先生をされているところがTVで放送された。
② 『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、中学校の先生、鹿島真弓さんのクラス運営。
http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/070403/index.html
③ そして今日は、『プローズアップ現代』で、これまでにも度々採り上げられてきた石川県の小学校の先生、中森俊朗さんの最後の日々を放送していた。
http://www.nhk.or.jp/gendai/(4 月5日放送)
乙武洋匡さん、鹿島真弓さん、中森俊朗さん。3人ともすばらしい先生だ。まだまだ日本の先生も捨てたもんじゃない!
乙武さんは、説明する必要もないくらい、その身体的なハンディをものともしない明るさと、とにかくポジティブなキャラクターでTVで活躍していた。その活躍の場を、一現場に移すのはもったいないけど、生徒と本気でぶつかっている映像を見ると、子どもたちは幸せだなと思ってしまった。
私の頃、小学校、中学校に養護学級というのがあり、いわゆる知的障害に児童が数人いた。授業は別だけど、休憩時間には、普通に、遊びに誘いに行ったり、突然、教室に入ってきては去っていくということもあった。身近にあることで、彼は何だろう、どうしてああなったんだろう。自分たちはどうしなくてはいけないだろう?という疑問を、常に、私たちに投げかけていた。(乙武さんと接する子どもたちも、常に、そういうことを問われるわけで、きっと、身体的なハンディのみならず、いろんな弱い立場にある人との接し方を学んでいくことだろう。)
高校以上になると、知的障害児も、養護学級も無くなった。そういう人たちは、県立の養護学校や聾唖学校に行く。しかも市街地から離れた遠いところにあり、見かけることもめったに無くなった。受験、クラブ、友人関係、恋愛と、日々めまぐるしくすごす世代には、彼ら(障害者)がその後どういう人生を送っているか、思い及ぶことも無い。私も含めて。その後障害者に出会ってもうまくコミュニケーションが取れなかったりする。そう、障害者を社会の外に隔離する政策では、障害を持つ人も、持たない人も不幸になる。
乙武さんは、「障害があることは、一つの個性」と以前言っていた。障害のある生徒も、障害のある先生も、みんないっしょに、その存在をオープンにすることで、本当に育てられ、学ぶことが出来るのは、障害の無い人たちの方かも。
乙武さんのような先生が、もっと増えるといい。
鹿島さんは中学校の先生、先生という仕事に大分悩まれた時期もあるようだけど、「エンカウンター理論」という心理学の一考え方に出会い、クラスの全員が「つながり」を感じ、孤立感を感じないようにさせ、他者の気持ちの分かる人間を育てている。
ここ広島でも、「エンカウンター理論」を元に、企業の社長から、主婦、学生まで対象にした研修を行っている人がいる、以前そこに参加したときの説明では、アメリカで、学校丸ごと「エンカウンター理論」で、運営しているところがあるという。そこでは、生徒は、1日に4回以上、自分の名前を呼ばれるようにするという鉄則がある。まず、朝、校門で校長先生から、名前を呼ばれル所からスタートする。
今の中学生は、どうだろうか、4回どころか、1度も名前を呼ばれない生徒も居るのではないだろうか?そして何日も。自分に関心を持ってもらえないと言うことは本当に辛いこと。いじめといった事件にならないまでも、孤立して目立たない寂しい日々を送っている子どもたちが結構居るんじゃないだろうか?「その子は、そういう性格だから」なんて思っている先生は失格。鹿島先生は、生徒同士の「つながり」「きずな」が生まれるように、いろんな仕掛けをしている。「つながり」「きずな」ができれば「信頼」が生まれる。「信頼」が生まれたところに、少々の議論や諍いがあっても、仲間はずれや、いじめは起きないはず。
生徒全員に関心を持つこと、生徒同士が関心を持つこと、「気にかけてくれている人がいることって、すばらしいということ」を今日も教えている。教えているのではなく、気づかせている。
鹿島先生の紹介記事
http://www.toshobunka.co.jp/books/booksapp/tyumoku%20kasima.asp
中森先生は、定年を迎えた60歳。
少年の凶悪犯罪が起きると、「生命の大切さを教える教育」が必要、といわれるけど、どうもぴんとこない。そんなもの授業で教えられるのかと思ってしまう。それをしているのが、中森先生、ということにTVはしているんだけど、中森先生は、そんな大げさなことはしていない。
中森先生がしていることは、以前教えた教え子が、自殺したこと、一生徒の親が、病気で亡くなったこと、死が迫りつつある難病患者、そういう人の話をたくさんしているだけ。あるいは本人を連れてきて、生徒にじかに接して見させる。「生命の大切さ」なんて気負いはない。乙武先生と一緒で、目の前にそういう存在があったり、先生が話してくれると、子どもは真摯に受け止める。
私が小学校の頃の先生も同じような話をよくしてくれた。若いとき、広島の原爆で大やけどを負った人の救護をしたこと。戦後の困窮時代の話、戦争で亡くなった身内、ちょうど担任のときに亡くなった夫のガン、と闘病生活、真剣に語りかける先生に、どきどきしながら、話を聞いた。だから、生命は大切なんだ・・・・・なんてことは思わなかったなあ。とにかく真剣に向き合ってくれる先生に、応えたい一心で、一生懸命話を聞いた。
中森先生の生徒たちの生き生きしている目、あの目を、わたしもしていたと思う。
もちろん、中森先生も、生徒たちから、あのきらきらした瞳を引き出せるんだからすごい。
不祥事を起こしたり、それを隠そうとしたり、悪い先生ばかりTVは取り上げるけど、「いい先生」も、きっとたくさんいると思う。「いい先生」より、「悪い先生」を、非難したほうが、TVは番組作りやすいんだろうけど。悪い先生集めてみても、誰の参考にもならないと思う。
齋藤孝さんか、松岡修造さんがどこかで言っていたけど、テニスの素振りで、肘が開いている!手の位置が違う!と悪い指摘ばかりするのではなく、いい素振りに時に「今の!よかった」「もう一度さっきの感覚で!」と、いい時に誉める。悪いときに悪いと何百回言っても成長しない。いい時のを続けさすことが大事といっていた。
先生も、悪い手本ばかりでなく、いい手本を見て真似するところからやってみればいい。
TV見てると、日本の教師にうんざりするけど、いい先生もたくさんいると思う。もっともっと採り上げて、自信を持ってもいいんじゃないかな。
マスコミや親たちをギャフンと言わす先生、出てこいや~(高田延彦のものまねで)