文部科学省が大学に予算付をして、就職率UPの魔法の杖の様に言わ
れているキャリア教育について感じていることです。
信頼する友人に、今、無理なお願いごとをしていて、
そのメールの中で彼に書いたことの抜粋、修正です・・・
(その割に、今日も時間が掛かってしましました。)
キャリア教育に大きな期待を抱くことに、自分は疑問を感じています。
就職するためのテクニックと捉えるのであれば、それで構いません。
キャリア教育って、本来は小手先の(?)テクニックであったものを、何か
すごい仕立てにして見せている訳ですよね。
仕立てはともかく、テクニックはテクニックです。
いくらリフティングが上手くても、試合で活躍出来るかは別の話。
でも、教える側も、学生も、キャリア教育って言う、綺麗に体系化された
テクニックに逃げている気がするんです。
サッカーだったら、誰でも実際の試合を見てるから、こども達もコーチも
リフティングばっかりしたり、させることはないですよね。
でも、働くってことは、そもそも分かり難い。試合が実感出来ない。
だから、リフティングコンテストを、サッカーの試合だと勘違いしてしまう。
働くことを、却って自分の中の固定化したイメージで捉えてしまう。
テクニックもいいけど、どう本当の試合を見せるのか?感じて貰うのか。
その上で試合に出る覚悟や、欲求だったり、辛さ、楽しさを感じて貰う。
試合に出たい、出てみたいって思わせることが、重要だと・・・
試合に出たいと思えば、テクニックは自分で練習するし・・・
テクニックにも色々なものがあるはずです。
キャリア教育を否定している訳ではありません。
でも、魔法の杖ではないですし、そのことによって他の努力を怠っては、
実際の試合(社会)で、学生が苦労するだけです。
もっとも、そんなことって、中々教えられないですよね・・・
教育も産業である以上、効率、プログラムが重視される訳です。
でも、本当の教育ってそうではなくて、教える側の全人格をもって導いて
行くことが要求されるんですよね。
吉田松陰は、自身で何か特別なことをした訳ではありませんが、全人格
をもって教育したからこそ、長州藩は維新の原動力となった訳ですよね。
素晴らしい、教育プログラムを持っていたわけではなく・・・
生き方、だったり、働き方、は、まさにそんなテーマだと思います。
自分の違和感は、そんなテーマに、文部科学省から予算を取るために
四苦八苦し、本質から乖離する姿なのかもしれません。
つまり、このことの課題の本質は、社会、親、そして教員を、
どう育てて行くのかと言うことなのかもしれません。
自分も、頑張らないと・・・
どこかの大学で、そんな変わったキャリア講座、
持たせてくれないですかね?
ではでは、