人は願えば寿命を先延ばしにできるものなのでしょうか
今日はそんなお話です。
岩手の父のお墓参り、龍神様、うぶすなの神様にご挨拶をした後、お隣の八戸で蕪嶋神社や海で自然を満喫してから一泊。
次の日には秋田の実家でBBQの予定です。
八戸には八食センターという大型市場があって、そこでは新鮮な海鮮や食材がなんでも揃います。
夫と2人で興奮しながら食材をたっぷり買い込んで、いざ八戸から秋田へ
午後の2時前には実家に着きました。
ちょうど母がお昼寝をしていまして・・・。
その寝顔を見たら・・・。
ああ〜、もうあちらにどっぷりと還っていそうなお顔でした
い、生きてるの
真っ先にそう思ってしまうような・・・寝顔でした
心臓やら何やらでお薬もたくさん飲んでいて体もだいぶ・・・ガタガタでお疲れのようです。
それでもどうにか起き上がって、私たちの買ってきた山ほどの海鮮や甘いお菓子やくだものを見るとみるみる顔に艶が戻り饒舌に(笑
美味しい美味しいと言って、BBQで焼きあがったものやお菓子やくだものをほおばっていました。
体は調子悪かったり普通だったりと日によるそうです。
もうあちらに還る氣なのかなと思って何氣に聞いてみたのですが
まだ「もう少し生かせてほしい」とお祈りしているのですって
この「もう少し」を母は実に長いこと、天や取り巻きの存在やらにお願いしているのです。
白龍神様も母のそばにずっと寄り添ってくれています。
母の気持ちが手に取るようにわかっているので、いろいろと掛け合ってくれているのでしょうね。
自分が望んで、そして視えない存在の方々の力添えが有効になったときに、
寿命は延ばせる
と私は母を通して学んでいるような氣がします。
私がこの世に生を受けた時に、どれほどの人をがっかりさせてしまったのかを考えるといたたまれませんでした。
でも今はもうそんなことは氣にしません。
誰かを喜ばせようとして私は生まれてきたんじゃない。
私が生まれてきたいから生まれたのだから。
だから生んでくれてありがとう。
育ててくれてありがとう。
感謝
母よ、母も自分の人生をどうぞ氣のすむまで生きてほしいと思います。
毎回、手を振ってお別れをすると、「これが最後か」、なんて思ってしまうけど
それがもう何年も続いているのよね。
これってやっぱり母の寿命延ばしの祈りのせいよね、きっと
一緒に住んでいる姉と甥っ子にも感謝
次の日は大湯のストーンサークルと十和田神社へ
つづくかも
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