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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

ファン対応への心構えを先週から書いている。

復習になるが、ポイントは「一貫性」を持つ事。

そのためには「自分」をしっかり持ち、

なるべく「素」で勝負する事。

本当の自分ならよーく知ってるから、ブレる事は無い。

「良い人」を演じる必要も無い。

持ってもいない「影」や「深み」を演出する必要も無い。

そもそも論になるが、ひたすら音楽に打ち込む姿勢さえ見せていれば、

他には何も要らないはずだ。

わき目も振らず走り続ける姿は、誰が見ても「カッコ良い」。

 

ここからは具体的な話しになるが、

これはあくまでも私の「私見」だ。

また当然私は男性アーティストなので、

女性アーティストとはアプローチが違うし、経験値も無い。

つまり正解とは限らないし、真似る必要は無く、

だが参考になれば、と思い、今回は紹介する。

そして今回も長文です。

 

まず、どうにか可能であればスタッフを作ろう。

基本的な物販であるとか、スケジュールの話し、

事務的な事は、スタッフに任せる事で、ファンとの距離を保てる。

もちろんスタート時は友達に頼む事で乗り越えよう。

溢れる才能に協力してくれる人はきっといる。

(彼女、彼氏は止めた方が良い。すぐバレる)

これにより、ライブ直後の汗だく状態でファン対応しなくても済む。

ファン対応はステージ上からよりも遥かに密接だ。

色々な意味で身支度してから臨みたい。

そしてスタッフがいる事で、直接話したりプレゼントを手渡しする為には、

入り待ち、出待ちをするしか無い状況を作れれば、

ファン対応はグッとビジネスライクに出来る。

価値観も上がり、「ファンとアーティスト」という図式が明確になる。

決して「友達」じゃ無いんだ、という一線が引ける。

 

実際ファンに囲まれ、サインをしたりプレゼントを受け取る時、

1人に時間を掛け過ぎないように心掛けよう。

何やかやと話し掛けて来られても、返事はするが、

こちらから質問し返すような真似はしない。

またよく「次のライブに来れない理由」をわざわざ教えてくれる人がいるが、

その場合、不機嫌になろう。

来てくれないのだから、嬉しくないのは当然だし、

笑顔で対応は逆におかしい。

話しかける話題としては向かない事を、無言で伝えよう。

つまり何でもかんでも笑顔で対応しない、って事が肝要だ。

「素の自分」を所々見せても構わない。

しつこいファンの後ろには、大抵モジモジした地味なファンが立っている。

その人に「君は?」と手を差し伸べる事で、

しつこいファンを遮る口実になるし、その人も喜ぶ。

キリがない時は「ゴメン、もう時間が無いや」

「次は早目に声掛けて」と立ち去ろう。

実際ライブハウスの外で公道の場合も多く、往来の邪魔になる事も多い。

その辺の見極めはスタッフに任せっきりでは無く、

自分でも判断したい。

また、ライブハウス内での対応の場合、

「剥がし」が必要なら、ライブハウスの人間を使っちゃおう

事前に言っておくなり、打ち合わせておけば、

こちらから「○○君、清算の件で」などとと声を掛けられる。

ただリクエストが無い場合、ファン対応を遮る事は逆にしづらい。

その辺りは上手く使って欲しい。

また最終的に「そろそろお店に怒られるので」と

ライブハウスを口実に引き上げるのも手だ。

 

私はファンの皆さんに対しては「平等」であろう、と心掛けて来た。

と言っても、気が合って話しやすい、とか

感じの良い人に対して態度が出てしまうのも事実だ。

会話が続かず気まずい感じになったり、

嫌な質問をされて「ムッ」となるのも実際は避け難い。

そんな距離感の違いを埋める為、何とか平等を、と工夫したのが、

サインをする時に名前と日付を書くのだが、

名前は必ず聞く、という事。

覚えていようと無かろうと、だ。

「覚えてくれてないんですかぁ~」とか言われても無視。

実際覚えて無い事も多いが、ここは「儀式だ」くらいに、

頑なに守って来た。

覚えている人、覚えてない人、まだ来始めのファン、

そんな様々な人達の間に「差」を作らない為だ。

そして古株のファンにも一定の「距離感」「礼節」が生まれる。

「馴れ馴れしさ」を受け入れてはならない。

もちろんこちら側も、だ。

 

こう見て来ると、私のような男性アーティストはある意味楽だ。

高飛車でも横柄でも許される。

だが女性アーティストは難しいだろう。

上手く「ツンデレ」を使いこなせる図太さがあれば良いが、

そういうキャラクターでは無い場合、

やはり必要なのは「平等性」だと思う。

相手に「特別な存在」だと決して思わせない事。

その為には相手の情報を覚えていない振りが必要だ。

当然「覚えていますよ」アピールは集客には有効だろうが、

そのリスクも秤に掛けよう。

言われてから「知ってますよー」は良いが、

こちら側からは決して言わない、というのが安全だと思う。

その辺のさじ加減を工夫して欲しい。

もちろんその場合、決して相手によって変えたり、違ってはならない。

 

ここから先は私の私見中の私見だが、

ファンサービスの本質は、ライブ後楽しく触れ合う事じゃ無く、

ステージ上で終わっている、と考えている。

一本一本のライブに掛ける準備の綿密さこそが、

ファンの期待に応える事だし、最大のファンサービスだと思う。

言っておくが、これは正論でも一般論でも無い。

私のポリシーだ。

ステージを観て喜んでもらう為に、どれだけの工夫と努力を重ねて来たか、

それ以上にファンは何が欲しいのだろう?

だから一切ファンとは触れ合わない、という選択も有りだと思う。

もしかしたら、ステージを降りた自分は無用の長物だ、

という考え方もあって良い。

そこまで割り切れる勇気を持てれば、当然リスクも伴うが、

それはそれでカッコ良い。

(私はそこまで割り切れなかったが)

いずれにせよ答えはいつもステージ上にある。

そこで結果を残せないアーティストがいくらお喋りに興じても、

全ては虚しい。

 

恐れる事は無い。

自分を信じるしか道は無いのだから、

ファンを失う事よりも、自分を見失う事をこそ恐れよう。

みんなが欲しいのは、その歌声だ。そのメロディーだ。

心奪われる一瞬だ。

これ以上のファン対応は、他に無い。

「真っ直ぐ」行こう!

 

 

 

 

 

 

 

 

アーティスト活動の中で
ジワジワと付いて下さるファンの皆さんへの対応は、
実はなかなか悩ましい。
「早くそんな悩みを持ちたいよ」なんて人も多いだろうが、
ここは考えどころで、しっかりとした「指針」を持っていないと、
結局全てを失う危険性さえある。
そして先に言っておきますが、今回はかなり長くなりました。
長くなった割りに観念的な所までしか書けなかったので、
前後編に分け、具体的なお話しは「後編」で。

 

まずは一体どんな人達へ向けた音楽を演っているのか、
そこを明確にしておきたい。
皮肉なもので、付くファンの方達が
構想とは全然別な層になる場合も多い。
それはきっかけがSNSだったり、路上だったり、
参加するライブ、イベントの色合いのせいだったり。
しかし何より伝えるメッセージやサウンドや、
MCも含めた「スタンス」がグラグラで明確では無い、というのが
大きな理由になると思われる。
そしてありがちなのは、スタンスが明確になる前に、
チラホラ付き始めた喜びでついダラダラとファン対応してしまう。
そうなればその方達をとりあえず取り込むためには、
そのダラダラから抜け出せない。
大抵の場合、お一人様に掛かる時間が長く、
少ない内は良いが、多くの方には対応し切れない。
ある程度はそんな形でもファンは増えるだろうが、
すぐ頭打ちになるのは目に見えている。

 

一時期流行ったが「嫌われる勇気」が必要だろう。
必ず一線を引く、という事は最重要事項だ。
アーティストは常に「上」に存在しなくてはならない。
「何様?」と思われようと、オーディエンスにとって、
「価値ある存在」でいなくては、お金払って観に来る意味が無い。
つまりは「お友達」になってはいけないのだ。
ファンは音楽的以外の要素に付いて来る場合も多く、
容姿や声質、対応の態度や持ってる空気感など、
「人間味」に反応するのが一般的だ。
なので態度を変えれば「豹変」と受け止められ、
離れて行ってしまうかもしれない。
それをみんな恐れ、「ホントは違うんだけどなぁ」と
思いながらもダラダラとつい対応は続く。
そこで必要なのは「嫌われる勇気」だ。

音楽性を含め、もちろん人間性も容姿も声質も含め
トータルで本当に気に入ったアーティストからは簡単には離れない。
離れて行ってしまう事を恐れる必要は無いのだ。
もし離れてしまうのなら、
それは元々君の「本当の部分」を欲しい人々では無かった、と考えるべきだ。
という事はいずれにせよ彼ら彼女らは早晩離れて行く。
つまりそういう人達に嫌われても別に構わないのだ。
目の前の10人にしがみ付いて、未来の100人を失ってはならない。
だから自分を偽らず、なるべく「素の自分」で勝負しよう。
じゃ無いと持たないし、いずれバレる。
若干話しはズレるが、「素の自分」に自信が無い場合、
事は複雑になる。
そういう人間は自分を隠すか偽る。
そして何かのきっかけでバレ、ガッカリを被る。
だから自分に自信が無い場合は、ダメな自分も上手く表現しよう。
「しょーがねーなぁ」と愛されるアーティストも意外と多い。
とにかくいずれにせよ、無理は禁物なのだ。
より「自然体」の自分で勝負するよう心掛けよう。
少しでも高みに上りたければ、そんな自分をより磨く努力を惜しまない事だ。
よく勘違いされがちだが、特に音楽系アーティストは、
決して「人格者」なんかじゃ無い。
勉強が苦手で、音楽以外取り柄の無いしょーも無い奴らの集まりだ。
だがファンが付き、彼らの人生や生き甲斐を担った時、
このしょーも無い奴らは、その重い責任の前に「化ける」。
言い方を変えれば、ファンの皆さんがコイツらを成長させるのだ。
多くの人生と向き合った時、「しょーも無い」が「カリスマ」に成る。

 

話しが大きくズレた。ファン対応に戻すが、
つまり結論は「一貫性」を持つ事。「ブレ無い」事だ。
その為にはしっかりした「スタンス」が必要。
言い方を変えれば「哲学」を持つ事だ。
勉強苦手のしょーも無い奴らには、いささかハードルが高いが、
真っ直ぐな人間には、誰も勝てない。
自分をグラグラしながらでも構わないから、信じる事だ。
最後の一線で踏み止まろう。
その一線が、アーティストとファンの境界線だ。
「一般人」とは違う「特殊」な人間であろうとしよう。
それは時としてファンの妄想の中の生き物になる場合もあるが、
それでももし誰かがその一線を越えようとしたら、
「ガン」と突っぱねて構わない。
その一線が無ければアーティストは、地に落ちてしまう。
「存在価値」を失ってしまう。
だが、アーティストたる者、自分を愛してくれる人々を、ファンを、お客様を、
どこまでも愛する覚悟も必要だ。
たとえどんなに目に遭っても一線さえ守るなら、彼ら彼女らを愛し抜こう。
多くの人々に愛されるためには、そんな「心意気」がなきゃ出来ないのだ。

 

相手は人間だ。
そして君も人間だ。
最後の最後で「愛」を信じないと、
何を唄って良いか、分からなくなる。
これが私の「ファン対応」です。

 

 

 

CDを作ったので聞いてくれ、と
よく受け取り、折に触れ聞く事が多い。
そこでまずほとんどのアーティストに対して思うのは、
「ライブの方が良いな」だ。

 

実際ライブより録音物の方が良いアマチュアは少ない。
その最大の理由は、「時間をかけて無い」これに尽きる。
短い時間で仕上げるためには「まとめにかかる」しか無い。
アレンジにかける時間も無いので、ライブ時のままだったり、
ゲスト・ミュージシャンも最小限。コーラスワークは省略。
結果、無難な演奏に、無難な歌唱。
「ちゃんと唄う事」を心掛けて、ライブ時のあの「情熱」は失われる。
アレンジを発注する場合、もちろん「誰に?」が鍵になるが、
そんなに知り合いもいなければ、とりあえず出会い頭で頼むしか無い。
受ける側も時間もお金も掛けていない作品は「無難に」仕上げる。
結果、「ライブより劣る作品」が出来上がるのだ。
じゃ、ライブ版で良いじゃん、となるが、
レコ発ワンマンを打つ以上、やはり
「スタジオ版」を作りたくなる。「バンドバージョン」で出したくなる。
「今、レコーディングやってます」を言いたい。
今後の事を考えても「CDオケ」があれば、ライブでも使えるし。

 

結論を言えば、優れた録音物を作るには、
時間を掛けるか、お金を掛けるか、どちらかだ。
双方がもちろん望ましいが、なかなかそうも行かないだろう。
金に糸目を付けない裕福さがある訳もなく、
当然出来るのは「時間を掛ける」方でしょ?
こだわる海外アーティストは、一枚のアルバムに数年掛ける。
細部の一音一音を試行錯誤しながら探り「正解」を探す。
その先に素晴らしい作品が仕上がって行くのだ。
みんなも時間だけは掛けられるんじゃ無いだろうか?
収録曲数にもよるが、数年は大げさにしても、
制作期間を3ヶ月から半年掛ける心積もりは欲しい。
「名刺替わり」だから、と作り捨てて行くなら、もしくは配布用のCDだから、なら、
そんなに時間もお金も掛けないだろう。
でもそれは「聞かれない」のが前提だろうか?
もし聞いて心を奪えるなら、それは勝負の時かもしれない。
一本一本のライブももちろんそうだが、
録音物も毎回勝負なんだ、と位置づけるべきだ。
小うるさい事を言うようだが、
本来録音物は「完成形」を求める作業だ。
心に浮かび、頭の中で鳴り響く「君のサウンド」を
どうにか具現化し、実際スピーカーから、ヘッドホンから流れ出させたい。
そんな強い意志とエゴイスティックなまでの欲求に駆られ、
創作に没頭するのが、アーティストだ。
この強く意固地な欲求こそがアーティスト活動の源泉だ、とも言える。
「そこまでは、ちょっと」って言う人は、アーティストじゃ無い。
納得行くまで描かない画家。途中で放り出す作家。
本番を迎えない劇団主宰。クランクアップしない映画監督だ。

 

CDなど売れない時代だ。
音楽配信にシフトしよう、と画策している人もいるだろう。
だが、ライブハウスシーンでは、売れてる。
良いライフをすれば確実に売れる。
それは今見た君が良かったからだ。
人はライブの感動で動く。CDやグッズに手を伸ばしたくなる。
で、CD買ってくれて、せっかくだから聞いてくれるだろう。
そこが本当の勝負だ。
その録音物が、ライフ以上の、もしくは
ライフとは別のテイストで素晴らしければ、その人はまた来てくれる。
良かった録音物をライブで追体験したくなる。
で、次回作も買ってくれる。
ファンをゲットする明確な方法論の一つだ。
そんなチャンスを無駄にするような録音物を作ってちゃ負けなんだ。
「普通に、ちゃんと」してても勝てない。
一歩先、二歩先まで踏み込んで作る強い意志が、
必ず音になって伝わる。
そんな「意志」こそが人を動かすエッセンスだ。原動力だ。

 

「これが私だ!」と胸を張れる曲を、ステージを
そして録音物を作ろう。
その繰り返しを呆れるほど真っ直ぐに進める強い「意志」こそが、
君の明日を作る。

 

 

 

 

私は季節やシチュエーションごとの曲を作る事を勧めている。
春には「桜ソング」「卒業ソング」を。梅雨時の「雨歌」。
「夏歌」「海歌」「台風ソング」。
秋には「枯葉や落葉、紅葉ソング」、しみじみとした「秋歌」を。
そして「クリスマスソング」に「雪歌」、「冬歌」。
どうだろう、これだけでも随分書けるはず。

 

季節ソングは、演奏時期が限られ、
勿体無い気がするかもしれないが、
イメージが湧きやすく、作るのは楽しいはず。
それにステージに色を添えられ大変便利。
季節ごとにその曲を楽しみに来てくれる人をゲット出来れば、
かなりの強みにもなる。
言い方を変えれば、「季節ソング」は自分のためじゃ無く、
来て下さるお客様への贈り物、と考えて欲しい。
しかしその季節真っ最中に作ると、演奏は来年になってしまうので、
出来れば早目にイメージして作っておきたい。
作れば間違いなく演奏が待ち遠しくなる。
「プレゼント」は贈る側も楽しいものだ。

 

特に「桜ソング」と「クリスマスソング」は、
アーティストなら一曲は持っていたい。
「桜ソング」の場合、「和旋律」を使用すると雰囲気が出る。
この「和旋律」はヒットしやすいという説もあり、
チャレンジしておいて損は無い。
そして桜の咲く様、散る様は日本人の原風景の代表だ。
間違いなく人を惹きつける力があるので、
そこにどんな想いを乗せるのかをひと工夫しよう。
「別れ」「卒業」「旅立ち」「歳月」「思い出」
キーワードは様々だ。
一方「クリスマスソング」は、美しく仕上げたい。
一瞬で人を「切ない世界」へと連れて行ける。
先輩方の築き上げたものに乗っかってしまおう。
恋愛系にまとめるのが普通だが、
家族愛や世界平和、幸せを祈る、という
ちょっと風呂敷を広げても、違和感の無いカテゴリーだ。
ストレートに作るのも良いが、
テンションの効いたコード進行を工夫し、
荘厳な雰囲気を作れれば、そこはもう壮麗でキラメク世界だ。
演奏する側も身が引き締まる、そんな名曲を作って欲しい。

 

曲作りは本来自分の立ち位置をしっかりと持ち、
そこから伝えたいメッセージを発信して行く。
しかしその周辺にこの「季節ソング」や「シチュエーションソング」を
散りばめる事で、ステージに奥行きや深さが出る。
バラエティーを持つ事は、アーティストの懐の深さの現れだ。
オーディエンスを一瞬で別世界へと連れて行く、
そんな「魔力」が音楽にはある。
そしてそれが出来ればもうオーディエンスは君の物だ。
そんな「魔法」の手助けにもきっとなってくれるだろう。
また、もし曲作りに煮詰まった時の脱出法としても有効だ。
それぞれ一曲しか作っちゃいけない訳でも無いしね。
美しい四季を持つ日本人ならではの感性を活かして、
創作活動を豊かにして行って欲しい。

 

曲作りはアーティストの原点だ。
唄がちょっと上手い、ギターが結構弾ける、だけで
活動を始めた人にとっては苦しいものかもしれないが、
本来は湧き出る感性を形に収め、伝えたい想いをパッケージし、
世の中に送り出したい、という強い欲求が無ければ、
アーティスト活動を続けるのは難しい。
それでも作り続ける中で、「自分のメロディー」にたどり着ければ、
想いを形にする力は早晩身に付く。
それを後押しする意味でも「季節ソング」はお勧めだ。
ぜひ、チャレンジしてみて欲しい。
曲作りは苦しいものだが、出来上がった喜びもまた大きい。
精査して精査して、ブラッシュアップを繰り返した先に、
輝く「作品」が仕上がる。
そうしてどうか、ライブハウスに桜を満開にし、
雪を降らせ、潮風を吹かせてみてくれ。

 

 

いよいよ明日から4月。
春本番だ!
2017年を順調に走り出しているだろうか?
私は例年通り、4月8日のバースデーライブから始まり、
12月25日のクリスマスライブを目指して、今年も走る。
春を迎え、活動は本格的になる。
充実した一年を過ごす為には、やはりやるべき事がある。

 

手応えを感じて、順調に走っている人達に
私のブログは用が無いだろう。
もちろん意識を高く持って、危機感を持って、
目の前のハードルを一つ一つ越えて行くアーティストを
私は心から応援したい。
しかし一番手を差し伸べたいのは、
迷ってる人達だ。未熟な人達だ。ダメダメな人達だ。
何度も言うが、そんな彼らの中にも輝く魅力はある。
「お、良いじゃん」て瞬間がワンステージに何度か訪れる。
すぐにグダグダの海に溺れてしまうが、
それでも伸ばすポイントを持たない奴などいない。
良い所を磨けば良いんだ。
グダグダのポイントを消して行けば良いんだ。
ダメな奴ほど、伸びるのは早いし、結果は出しやすい。
悪循環から抜け出す手段はきっとあるはずだ。
それを一緒に考えて行きたい、と思っている。
それが池袋フィールドの使命だから。

 

皆、出来ることから手を着けるのは当たり前だし、
何かしらの取っ掛かりが無ければ始まらない。
で、スタートを切り、走り出した訳だろうが、
そこで考えて欲しい。
「出来る事」はあくまでスタートのきっかけだ
実際に活動を始めて、他の共演者などを観て、
そこにある力量の差や、ステージの完成度の違いなど、
「やるべき事」の多さに愕然としてはいないだろうか?
他の人は他の人、と切り離せる脳天気さを持っているのなら、
まあ、ある意味結構なのだが、
大概の人は「よし、アレもやろう、コレもやろう」
「だが今はまだその時じゃない」と後回しにし、
結局変わらないステージを繰り返している。
それでも変化や改善の必要性は痛いほど感じているはずだ。
それではこの季節の変わり目に乗っかるのはどうだろう?

 

とにかく何かしらの新しい試みや、工夫、取り組みを試してみよう。
例えば、思い切って前から欲しかったギターを購入する。
そしたら間違いなく必死に練習するはずだ。
路上ライブのセットを買って、街に出て行く。
SNSで告知しながら定期的に行うのが効果的だ。
月に1曲は新曲をライブに降ろす、を自分に課す。
レパートリーを質量共に豊かにする事は、ステージのレベルも上げてくれる。
仲間や共演者を誘って、行ったことの無い土地へ進出してみる。
交渉次第では、各地方のライブハウスも
地元のアーティストとのイベントを組んでくれる可能性もある。
また仲間や共演者がそれぞれの出身地でのライブを組んで、
一緒にツアーを回る手もある。
そしてもし本気で取り組むのなら、心機一転やってみるなら、
池袋フィールドの「音翼塾」に入塾し、上を目指そう。
スクールとしての機能はもちろんだが、
バックアップする態勢とそこにいる仲間も財産になる。
一人で出来る事には限界がある、
その限界を越えるために、フィールドの音翼塾はある。

 

さあ、春だ。
やれる事は全部やってみよう。
日々自分を新しく変えて行く心意気を持とう。
春にはきっと自分を動かしくれるパワーがある。
それを信じて一歩を踏み出すんだ。
その先にはきっと昨日とは別の自分がいる。
さあ、春だ。
満開の桜を見上げ、決心する時だ。