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池袋フィールドのブログ

ライブハウス 池袋フィールドです。
アーティストとしても活動中の店長・山石敬之が
日々の出会いやエピソードを語っていきます。

先日の私自身ののライブで、一曲目で喉を潰してしまった。

池袋フィールドから出て、外のライブハウスに出演した場合、

通常とは環境が変わるため、気をつけてはいたが、

本番になり、モニターのちょっとした変化で、

若干声が聞こえづらく、押し返すように唄ったためだ。

ステージの後半で潰してしまった事は過去にもあり、

「調子に乗らない」よう気をつけては来たが、

ステージ頭で、と言うのは初めての経験だった。

歌いながら「ここから16曲ほど唄い切れるのか?」と

なかなかの恐怖を覚えたが、

これまで培って来たテクニックや理論を総動員して、

「唄いながら喉を治す」という荒技に挑戦した。

 

状況としては、まだ唄い始めだったので、

ファルセットは残っており、、高い音程も短くならまあ出る。

だが中域あたりがかすれたり、ひっくり返りやすく、

また張ってのロングトーンは途中で途切れる。

で、まずやったのは「アクセルを緩める」事。

声量を7~8割程度に落とした。とにかく身体の力を抜く事が肝心だ。

だがそれだけでは弱々しい歌になってしまう。

前半はオケを使用していたため「潜って」しまう訳にも行かない。

で、息混じりにし、子音でアタックを強調する。

そして母音にはしっかり「乗って」音程を安定させた。

コツとしては、そのフレーズ全部というより、

「単語単位」を一つ一つ丁寧に積み重ねて行く感じだ。

そうして喉への負担を減らした状態で、最初のブロックを乗り切った。

 

MCで休めるか、と言うと、そうでも無い。

ここがある意味最大のポイントだが、

喋るのは特に日本語の場合、喉のみを使う。

だから喉にダメージがあると話しづらくなる。

逆にまともに喋れなくても、歌は唄える。

唄は、身体のアチコチを使って「響かせる」からだ。

風邪をひいて喉が腫れ、話しづらくなった状態でも、

歌はまあ唄える。(無理な発声だと厳しいが)

私は過去、風邪っぴきの状態の方が、調子が良かった経験が多々ある。

つまり喉の負担を減らし、身体全体で唄うよう心掛けるからだ。

風邪に限らず、体調の悪い時ほど、

丁寧に取り組めば、正しい発声を掴むチャンスだ。

で、最初のMCでは、なかなか話しづらく、

「あ、喉がヤバそう」はバレバレだったかもしれない。

だが、一切その事には触れずに通常のMCを続けた。

フワッと話す程度なら、そんなに遜色は無かったはずだ。

こちらが気にして無い雰囲気なら、客も「大丈夫なんだろう」と思うはずだ。

ステージ内で治す自信もあった。

客に余計な心配を掛ければ、曲に没頭しにくくなる。

気付けば「普通に」ライブが進行している、という状態を作りたかった。

 

MC後は、ピアノのみの弾き語りが5曲続く。

音量やダイナミクスを調整しやすい。

平唄は、息混じりを増やし対処。

サビのハイボイスに関しては、

音域が高いと言っても、音形の全てが高いままでは無い。

低めの音はたっぷりで唄い、高い部分は「細く出す」事で安定する。

これは調子が悪いから、と言うよりも、やるべき正しい発声だ。

調子が良ければ「力んで」出す事も出来るが、

本来はこのようにすべきで、今回はそれを徹底した。

ただ油断するとロングトーンはまだ途切れるので、

伸ばす事は少し避けながら、様子を見た。

終盤はまたオケ使用で、激しくなるが、

そうこうする内に、かなり修復は進んだようで、

ラストのバラードは、もう何も考えなくても普通に唄えた。

 

油断が招いたピンチで、本来あってはならない。

発声についてアレコレ考えながらの演奏も、本番ではあってはならない。

だが、実際ピンチは訪れる。ステージを投げ出す訳には行かない。

正しい方法論を持っていれば、ピンチを乗り切れるのだ。

状態が悪い時は基本的に「バランスを崩して」いる。

そのバランスを正しく修正すれば良いのだ。

落ち着いて取り組めば、出来ない事では無い。

だが実際には「知識」だけでは難しいかもしれない。

その知識や理論を常日頃自分の身体を使って実践しておく事が大切だ。

その感覚や手応えを掴んでいないと、

いざという時慌てるばかりで、対応は難しいだろう。

それでも今回理論が救ってくれたのは確かだ。

取り組んでおいて良かった、と心から思った。

ピンチは誰にでもいつか突然やって来るものだ。

何にせよ、正しい道を真っ直ぐ進んでいれば、

窮地からの脱出はもちろん、得難い経験も積める。

そしてそれは大きな自信へと繋がるのだ。

何が来ても大丈夫だ、と。

 

技術は一朝一夕では手に入らない。

知識があっても実践が無ければ、それは「絵に描いた餅」だ。

それでも日々何らかの活動をしているのなら、

毎日のちょっとした工夫や集中力で、

自分なりの技術は、小さく手に入れ続ける事は可能だと思う。

そういう意識でいる事が、日々君を伸ばして行くんだ。

ただ無目的に過ごさず、自分の出している音をよく聞き、身体を覗こう。

「そんな事?」って思うかもしれないが、

「そんな事」を実際にはみんな、していない。

上に登るための階段は、自分自身で積み上げるのだ。

それがどんなに小さく見え難くても、

ひとつ、ひとつ。

 

 

 

 

 

池袋フィールドの「男性ギター弾き語り」というカテゴリーにおいて、

この2人は頭1つ抜けている。

2人共に創業以来の付き合いで、長年活動を見つめて来た。

道に迷いそうな時期もあったが、

結局はしっかりと地に足を付けて活動を続けている。

メッセージ色の濃い楽曲、という意味では近い存在だが、

音楽的には全く違う。

人間性も活動方針も違うこの2人だが、

多分お互いの存在を意識し合っているのは確か。

ある意味、良きライバルだ。

 

「阿部浩二」は孤高の詩人だ。

そのメッセージは、切れ味鋭く、そして孤独だ。

各曲に込められたそれらは、スピード感に富み、

掴み損ねると置いていかれる危険性さえある。

基本的には「しょーもない自分」を見つめつつ、

だが社会や大衆を厳しく眺め、切って行く。

人に寄り添う「甘さ」は存在しない。

街の片隅にうずくまり、飢えた目で光を探している。

そこに夢はあるのか?希望はあるのか?

結論は出ないまま彷徨っている。

演奏中の彼は「狂犬」の危うさを持つが、

唄い終わると、柔らかな一面も覗かせる。

叫びに近い歌唱も、しっかりとした実力に裏打ちされているのが分かる。

恐ろしく詰め込んだ歌詞を、淀みなく唄い切る。

日本中をギターだけを頼りに旅して暮らしている。

その覚悟は、演奏に「凄み」を加える。

 

一方「田森理生」は皆んなの兄貴だ。

誰もが持つ社会や未来への不安、焦りを代弁する。

しかしそこに「絶望」は無い。

弱い自分、ダメな自分と向き合い、

だが「前」へと進む事を説く。

そこにうずくまっていても何も始まらない。

「さあ、行こう!」と唄う。

皆んなをグイグイ引っ張るのでは無く、

肩を組んで、共に進んで行こうとする。

彼の歌に包まれれば、「一人じゃ無い事」に気付くだろう。

ステージには常に笑顔と拍手が溢れている。

スケール感のある歌唱は、我々を別世界へと連れて行く。

闇の向こうにある「光」を見せてくれる。

HipHopとアコースティックを融合させたサウンドは、

彼独特の持ち味で、それは斬新で人をワクワクさせる。

彼自身の受容性、許容性の広さが、聞く者を選ばず、

新しい可能性を感じさせ、「次」への期待を高めてくれる。

メッセージと共に、音楽そのものが豊かで、そして心地よい。

 

池袋フィールドを代表するこの2組が、

初めてガチの2マン・ライブを行う。

演奏形態も、バンドだったり、サポートを付けたりと

工夫を続けて来ている両者だが、

今回はギター1本だけでの勝負だ。

脚を止めて、打ち合ってもらう。

 

2017年6月4日(日)

「対-the 2man show-」

開場/18:00 開演/18:30

チケット代2000円円プラスドリンク代500円。

 

きっとこの東京には、

もっと凄いアーティストがいるのかも知れない。

たかだか池袋の小さなライブハウスでの出来事だ。

だが、のたうち回りながら活動している若きアーティスト達には、

この2組を観るよう勧めている。

別に何かを真似なさい、という事じゃない。

音楽の持つパワーや可能性、ワクワクする、という意味を知って欲しい。

自分の中に渦巻く情熱をもう一度見つめて欲しい、という願いだ。

さらにそこから何かを受け止める感受性があるのか?を

試してみて欲しいのだ。

2017年6月4日が、池袋フィールドにとって、

大切な夜になるのは確かだ。

その日、そこでは間違いなく「何か」が起こる。

 

ぜひ、目撃して欲しい。

 

 

 

ミュージシャンが持っている能力に、

「楽器で会話が出来る」という物がある。

それはちょっとした「超能力」みたいに聞こえるかも知れないが、

実際には真っ当に音楽に取り組んでいれば、

自然と当たり前のように出来るようになる。

それは言い換えれば「空気を読む」力だ。

一つ一つの「音の粒」にはメッセージが託されている。

漂うそいつらを読み取りながら、こちらも発信して行く。

演奏中は、そんな「お喋りの場」でもある。

恐ろしい事に、気が抜けてたり、他に気を取られているのもバレバレだ。

もちろん「ココはこう行きたい」とか、

「テンポを上げたい、下げたい」

「ゆったり壮大な感じ」「スリリングで激しく」とか

様々なメッセージが行き交っている。

そして「無心」な状態な奴が出現すれば、そいつが最強だ。

その場合こちらはひたすら黙って付いて行くしかない。

ま、そこまで「神掛かった」瞬間はなかなか訪れないが、

音楽人生の中で無くはない。

ただ注意して欲しいのは、「無心」と「何も考えて無い」は、

似て非なるもの、だ。

 

今回話したいのは、そこまで難しい話じゃない。

我々は日常的に「空気」を読んで暮らしている。

車の運転をすれば、前方車両のちょっとした動きで、

「あ、こいつ道に迷ってるな」とか

「お、右折する気だ」とか分かる。

彼氏や彼女のいつもと違う態度に、

隠し事や悩み事を察知出来る。

飲み会で一斉にダレる瞬間があり、

「では、そろそろお開きに」ってなり、

次に行きたい人と、帰りたい人は、まあ分かる。

それは我々にとってごく当たり前の能力だが、

実際には「注意力」や「観察眼」が無ければ

気付けない場合も多い。

そしてアーティストにとって大切な作業の一つが、

客席の空気を読む事。

そしてさらに客席の「空気を作る」事だ。

これは「読む」以上の高いハードルだが、

どうしても必要な要素の一つだ。

 

実際、客席の空気はアーティストが完全に掌握すべきものだ。

オーディエンスは、ある意味「任せた」状態で座っている。

「何を見せてくれる?」

「どんな気分にさせてくれる?」

「どこに連れてってくれる?」

などなど、期待でドキドキしながら待っているのだ。

だからまずは弱気になってはいけない。

どんなに「アウェイ」な状況下でも、

その時間は君の物だ。君が「支配者」だ。

対バンのアーティストを観に来た人達さえも、

そこにいる以上、せっかくだから楽しみたい。

意外な発見をして「得」して帰りたいものだ。

だったら「自分の色」を最大限に発揮して、

「自分に会えて良かったでしょ?」って態度で臨もう。

この意識があれば空気は作れる。

そしてそうなればライブ後、確実に物販は売れる。

 

ここではいつもの「演奏力」の話は棚に上げておく。

アーティストは常に上からで良い。

高さの差はあるにせよ、物理的にステージは客席よりも上がっている。

その「高さ」こそが一般人とアーティストを分ける「境界線」だ。

そう意識しよう。

我々は「音楽」と言う名の「マジック」を見せる手品師だ。

「では、行きますよ」と構えれば、人は固唾を呑む。

その瞬間、空気は君を中心に回り、自由自在だ。

張り詰めた糸を「ピンピン」鳴らして楽しもう。

しかしそんな張り詰めた空気に、もし君自身が負ければ、

客席は一瞬でシラケる。

一度失った空気感を取り戻すのは、作る事の倍難しい。

つまり自信に満ち溢れた態度に人は付いて行く。

自分を疑っていない態度が安心感を生み、

この時間を君に託そう、って気持ちにさせるのだ。

手拍子やコール&レスポンスにしても、

「叩きたいでしょ?」「一緒に唄いたいでしょ?」が前提でなければ、

それは「お願い」になり、その段階で「上から」では無くなる。

 

客席の空気を作るのが上手いアーティストは、

基本的にこういった発想の流れだ。

もちろん「人間性」もあるが、

それを言っていては何も始まらない。

誰でもが意識の持ち方で、客席を「支配」出来るのだ。

そしてそこでやっぱり必要なのは「自信」だ。

もちろん根拠の無い自信でも無いよりは良いが、

根拠の無いものは実際は、脆い。

つまり「自分に会えて良かったでしょ?」と胸を張れる根拠が、

結果、「空気を作る」のだ。

ではその根拠とは?

もう、分かるね?

 

 

 

 

 

今年に入って池袋フィールド行われたイベントの中でも

特に心に残ったのは、ある「地下アイドル」のイベントだ。

彼女達はある事務所に所属していて、

去年は月一ペースでフィールドに出演していた。

事務所の教育だろうが、礼儀正しく、しっかりしたパフォーマンスだし、

特に問題は無かったが、若干個性には欠け、

なかなか顔と名前が一致しなかった。

それでも一年も通えば、やっと覚え始めてはいた。

だが、今年に入ってからはイベント開催の連絡も途絶え、

どうやらあまり活動していなかったらしい。

 

そんな中、メンバーの1人から個人的にイベントを組みたい、とメールが来た。

どうやら事務所には内緒らしい。

告知等は近くなるまでしないよう指示もあった。

どういう事情かは分からないまま、当日は来た。

つまりは事務所を辞め、独立するらしい。

よく出ていた3人プラス3人の計6人によるイベントだった。

 

てっきり誰かのバースデー・イベントだろう、くらいに思っていたが、

実際にはかなり気合の入ったイベントだった。

来場者も多く、演者と共に「想いの溢れた」ステージになった。

そこにあった一体感は、彼女達の「覚悟」が作った奇跡のような時間だ。

最後の「ありがとうございます!」は、

聞いた事も無いくらいの本気の謝辞だった。

正直胸に込み上げる物があった。

 

「想いの溢れたステージ」ほど人を感動させるものは無い。

当然準備段階から様々な工夫がされ、時間も掛けたはずだ。

その一点を見つめ、日々を過ごして来たのだろう。

誰もが「ここぞのワンマン」ではそうしているはずだが、

それでもどこまで「覚悟」を持って取り組んで来たかで、

差は出る。

実際なかなか想いは「溢れない」

それを日々のライブにも求めるのは無理な注文かも知れない。

だが、だからと言って「流して」良いはずはない

30分のステージでも120分のワンマンでも

持てる全てを出し尽くしたステージを毎回作りたい。

一曲一曲にどれだけ取り組み、工夫とチャレンジを繰り返すか、

そんな姿勢があれば、想いはだんだんと溜まり、やがて溢れる。

音楽はオーディエンスに「手渡す」プレゼントだ。

中身はもちろんパッケージも含めて準備する物だ。

そんな素敵なプレゼントは、受け取る側も贈る側もワクワクする。

そこに奇跡の瞬間が生まれる。

 

正直「地下アイドル」にこんなに大切な事を

再認識させられるとは、思いもしなかった。

メッセージ色の強い弾き語り系アーティストの出演が多い中、

お客様との絆の強さでは、アイドルのみんなの方が勝る場合もある。

もちろん彼女達でさえ、常にそんな高いテンションで

活動し続けて来た訳では無い。

練習不足で歌詞が入り切って無いパフォーマンスもあった。

気持ちの「ダレ」はステージに直で出る。

だが、経験値として今回のようなステージを作れれば、

皮膚感覚が覚えたはずだ。

「感動」を。「奇跡の瞬間」を。

演劇人に言わせたら笑っちゃうような話かも知れないが、

ステージを作る上での「取り組み」が何をもたらすか、

一度でもそれを知れば「もう一回」を、「もっと」を

追い求める「欲」が生まれ、上を目指すようになるはずだ。

少なくとも「出来て無い」は分かるようになる。

ステージを作るとは、そんな物凄く面倒な作業なのだ。

突き詰めればキリの無い、果てしなく心を擦り減らす作業なのだ。

しかしその先にある「光」を知った時、見えた時、

そんな努力は、当たり前になる。

必死にそこに手を伸ばし、掴み取りたくなる。

 

「感動」はどこにでも誰にでも、起き得る。

「奇跡」は起こる理由があって起こる。

そこに確かな「覚悟」さえあれば。

そこに「想い」さえあれば。

 

今更だが、改めて「池袋フィールド」を自己分析してみようと思う。

ここまで4年半やって来て、当初の思惑とはだいぶ離れ、

そして考えもしなかった役割を担い、新しい可能性を模索している。

気づく事、それによる修正を繰り返して来た事で、

振り返ってみれば、随分紆余曲折な日々だった。

もちろん自分の読みや考えの甘さを痛感する年月でもあった。

「音楽」というカテゴリーではプロフェッショナルでも

「経営」という分野では、ド素人だった。

ただ守ったのは、開業当初に相談に行った「吉祥寺・マンダラ2」の

中野店長の「信念を貫く事」という言葉だ。

実は意外な言葉だった「え?そういう事?」って。

だが、今は分かる。

どの分野でもそうだろうが、揺らがない「芯」が無ければ、

船は迷走し、やがて沈没する。

 

池袋フィールドは出演者にとって「理想の小屋」であろうとした。

サイズの小ささ、キャパの少なさは如何ともしがたいが、

それでも出来る限りのスペックの音響と照明。

このサイズの小屋では他に類を見ないクオリティーだと自負している。

爆音のバンドにも対応出来るよう完璧な防音工事。

楽器類はもちろん、ワイヤレスマイクやプロジェクターなど

必要と思われる機材も全て揃えた。

イチイチ機材費を取ったりもしない。

何故なら揃えた機材は全て、出演者のために用意した物だからだ。

内装も細かい工夫に溢れているし、「丁寧」に作った。

全て手作りだが、納得が行かなければ何度でもやり直した。

「後悔」は「失敗」と同義だ、と肝に銘じていた。

そして「ノルマ制度」はフィールドには無い。

これは単に「意地」のようなものだが、

正直これが経営を圧迫しているのも事実。

だが、必ず工夫で乗り越えられる、と今も信じている。

そして実はこれが一番大きいと思っているが、

私を含めスタッフは、ライブ経験という意味ではベテランだ。

様々な現場での大小トラブルを乗り越えて来た。

「こうしたい」をアーティストが求めた時、かなりの確率で実現出来る。

本人が諦めかけても、こちらが諦めず、どうにか実現に結びつけて来た。

ステージは「夢」を現実化する魔法の場所だ。

思い描く「やってみたい」を、とにかく手伝いたい。

 

ここまでやって失敗する訳が無い、と思っていた。

だって「理想のライブハウス」なのだから。

だが現実はなかなか想いに間に合わない。

一向に上を向く気配は無かった。(良かったりダメを繰り返した)

赤字の補填に右往左往する日々。

ある人には「創業一年を越えて赤字なら失敗だよ」と言われた。

それを遥かに超え、もう4年半だ。

ライブハウス経営は決して楽勝な商売では無い。

だが薄氷を踏みながらも、今日も営業している。

 

池袋フィールドがターゲットとしたのは、

私のようなワンマンが基本で、東京で自在にしかも、

「世界観」をしっかり表現したいアーティスト達だ。

だが実際に集まったのは、

駆け出しのまだ実力が未知数のアーティストばかりだった。

そんな彼らにとってこのスペックは、特に必要なものでは無かった。

彼らが価値を見出すのは「共演者のクオリティー」つまり

「動員力」だ。

自分じゃちっとも呼べないが、一緒に出るアーティストさんは、

たくさん動員出来る人であって欲しい。そういう小屋に出たい。

そんな「はぁ?」な発想の人々にとって池袋フィールドは

あまり魅力的なライブハウスではなかったらしい。

それでも現在レギュラーになってくれてるのは、

男女問わず「一癖ある」アーティスト達だ。

自分を表現したい、という欲求が強い人にとって、

池袋フィールドは、合っている。

 

現在はホールレンタルも含めリターン率がとにかく高い。

確かに池袋フィールドには癖がある。

が、合う人々には「ちょうど良い」ライブハウスだ。

やっとそういうアーティストに届き始めた、という実感がある。

志しあるアーティストにとっての「ホーム」でありたいと願っている。

曲作りから、歌詞の内容、ギターやピアノのフレーズ、

MCやステージ運び、そして何よりアーティストとしての立ち位置まで、

共に作って行く覚悟だ。

フィールドでしっかり作ってから、試してから、外に出て行く。

そこまでやって初めて「ホーム」だと思っている。

そして「FIELD TV」も含め、「音翼塾」も含め、

ライブハウスがアーティストに出来る事を模索している。

店のサイトのあり方も今後大きく変えるつもりだ。

「私のような」アーティストにとって、だけでは無く、

フィールドに集った全てのアーティストにとっての

「理想のライブハウス」を模索し、成長して行くつもりだ。

 

そしてぜひ知って欲しいのは、

このブログ自体が「池袋フィールド」の姿勢を表している。

私の、そしてスタッフの願いは、

「しょーもない」奴らが、ここで目覚め、育ち、

堂々と立ち去る日を迎える事だ。

本当の自分と出会いたければ、

池袋フィールドをホームとして戦って欲しい。

池袋フィールドは、決して君を見捨てない。