オーストリアの作曲家・指揮者であった、グスタフ・マーラーは
かつて、ブラームスの変奏曲について、1本のすばらしい、
しっかり縁取りされた小川に譬えられ、どんなに蛇行しても、
水は一滴も失われることがないという言葉を残している。
利多さんを撮影し始めて6年になりますが、彼女が表出する
ぶれないモデルとしての姿勢は、まさにブラームスの変奏曲
のように各々のロケ地によって、ヴァリエーションがあっても
核となる内面的なものは、決して揺らぐことがないのです。
それが、私が利多さんを撮影するにあたって、絶大なる信頼
感と安心感を持って、何の躊躇もなく、撮影できることなので
すが、それはまるで、音の無い、静寂の森を歩いているとき、
緩やでもなく、速くもない小さな滝が音も無く流れているような
光景に出会ったような、何か深い水の底へ落ちていくような
感覚にとらわれるのです。
利多さんとの撮影後も、しばらくその滝は、私の中で流れ続け
しかし、深い水の底から、水面へと戻るとき、いつもそれは涙
のような水に変わって、溜まっていた膿のような感情が潮で
流されていき、まっさらの自分がそこに居ることに気づくのです。