次に行ったのが、荻野吟子記念館でした。
昔、埼玉郷土カルタの中で荻野吟子さんを知っていましたが、その生涯は知らず
そして、行ったらまた誰もいないけど、記帳には5名ぐら書かれていて
そしてガイドのおじさんが詳しく説明してくれました
荻野吟子さんは早くに結婚したようですが、そのなかで、婦人科治療で医者にかかることがあり、その時に男性医師しかいなくてとても恥ずかしい思いをしたようで、自分が女性医師を目指すことにしたようです
まずは、現在のお茶の水女子大を卒業し、そこから医者の学校である好寿院に入り、優秀な成績で卒業しました
しかし、卒業したものの、その当時は女性に医術開業試験が認められていませんでした。
医師への道を閉ざされていた吟子を救ったのは
「令義解」という平安時代の法律の解説書でした。その多くは散逸していましたが、塙保己一さんがこの書の復元を試み、和学講談所にて10巻刊行をしていました。
その中で、「医疾令」という法律が収められており、女医に関する規定が記載されており、
それには「日本にも女性医師がいた」という記述がなされていました。
これを吟子が主張して、ついに日本最初の公認女性医師となることができました
すでに35歳。
ここで時を超えて、塙氏と荻野氏がつながったのです。もし、塙さんがこれを刊行してくれていなかったら吟子さんは医師になれてなかったかもしれません

まさに、縁は異なもの味なものですね
。
しかも同じ埼玉という。
埼玉が誇れる偉人となるのも納得しますよね。
そして、吟子さんは湯島に医員を開業して、
40歳で北海道に再婚して、行ってしまうので、そのあとの詳細はあまりしられていなかったのですが北海道でも医院を開業して、後に夫がなくなり、また東京に戻ってきたようです。
北海道で医師であった、渡辺淳一さんが、吟子さんの養子であったトミさんから話を聞いて、
まとめた本があり、一躍荻野さんのことが知れ渡ったこともあります
これも縁ですね
それにしても35歳で女性初の公認医師となり、その後も女性の地位向上に一石を投じた吟子さんは女性の誇りですよね
今では女性医師は当たり前のようにいますが、こういった人達のおかげで今があるということを。そして
その当時は男尊女卑が当たり前の世の中で、立ち向かっていた吟子さんの強さに惹かれます。
保己一さんも吟子さんも、幼い頃から優秀だったようですが、それプラス自分の好きなこと、やりたいことを貫いたこと
未来ある娘に少しでも思いが届いたでしょうか?
何事もまず、思わなきゃ始まりませんね。これは子供だけでなく、大人もしかり
まさに表題で「医師ではなく意志あるところに道は開ける」ですね