今週に入ってから耳の詰まった感じが酷くなり(特に左耳)、自分の声が二重に聞こえ、外の音が耳の奥でぐわんぐわん響いて頭が痛くなるぐらいだったので仕方なく耳鼻科に行きました。
仕方なくっていうのは、
9月に行った耳鼻科で線維筋痛症があることを伝えた途端、そこの耳鼻科医が線維筋痛症をよく知らなかったので詐病扱いされ、その時の聴力検査の結果も「こんなに聞こえないはずはない」と嘘つき扱いで精神科を紹介されそうになったので、それ以来「耳鼻科=めんどくさい」という思考になり、耳鼻科避けてたという経緯があったもんで。
飛行機に乗った時みたいな、耳が塞がった感じが頻繁にあったけど、長くても数時間で治まってたし、めまいの方のお薬は線維筋痛症の病院でももらえてたから耳鼻科行けなくてもまぁいいかと。
でも今週に入ってから耳の塞がった感じがいつまで経っても治らず塞がったままで、左耳がずっとぐわんぐわんしてて不快極まりなかったので、それで仕方なく耳鼻科へ。
今回行ったのは、メニエールの症状が出てから一番初めに行った耳鼻科。
前回詐病扱いされた耳鼻科とは別の耳鼻科。
ここの先生はとても丁寧に見てくれて良い先生なんだけど、薬のチョイスが弱めで、本当に最低限のものから…。
それ故頻繁に受診しなきゃいけないので多少面倒というマイナス面はある…。
とはいえ線維筋痛症のことはご存知なくても偏見を持たず要らんこと言わない。
詐病扱いの医師よりはよっぽど良いので、再受診。
わたしひとりに検査時間一時間ほどかけて、複数の検査をしてくれました。
(他の患者さんには申し訳ない)
その結果、左耳がほとんど機能してないらしい。
高音だけはまぁまぁ聞き取れてるけど、難聴がかなり悪化していたみたい。
ぐわんぐわんと外の音がうるさいぐらいだったのでそれが難聴だとは思ってもいなかったけど、ぐわんぐわんと響いてうるさいのも難聴の症状だそうで。
もっと早期に来れなかった?と言われてしまった。(早期の段階では他の耳鼻科に行っていたことは伏せた)
ここまで悪化してると、元の聴力に戻るのは難しいらしい。
詐病扱いの耳鼻科に通っていた無駄な期間が悔やまれるけど、過ぎたことはしょうがない。
片耳潰れてる状態なので、もちろん平衡感覚もおかしくなっていた。
目を閉じてその場で足踏み50回の検査、自分ではほとんどブレてない自信ありで、ドヤって目を開けたら、部屋の外に出そうな位置に後ろ向きに立ってた。
ぐるぐる回転しながら2メートルほど移動してたらしい。
聴力戻らないと、趣味のほとんどがダメになるなぁ。
一昨年の夏からの罰当たりがエンドレス過ぎる。
とりあえずわずかでも聴こえるうちに髭男のライブ行けるかなぁ。
こんなことならインディーズ時代に行っとけば良かったなぁ。
親子シートとかもあって、普通に取れてたのに。
次女がもう少し騒がなくなったら親子シート一緒に行こうと思ってたのに。
その後メジャーデビューして、あっという間にこんなに売れてしまうなんて知らなかったからなぁ。
あと先月受けた人間ドックで右胸に5×8ミリのしこりが見つかりまして…。
筋腫の手術終わったら精密検査受けに行かないとです。
乳がんだったら、取ることに迷いはさほど無い。
再建する時には元の乳よりちと大きめに豊胸を…。
女性芸能人みたいに、寝ても全く流れない、不自然なまでのお椀型希望。
天然乳は寝ると行方不明になるからね。
私の中で乳がんってことを考えた時に、
術後の自分は何カップかなと
人間ドックの結果を見た時から考えてました。
だからこそ私は
再建ができれば
その術後の巨乳という願望を
叶えられるかどうかという
そこの願いを
私は実現できる可能性のある
主婦だと思います。
〜主婦〜
令和二年二月十日
しこりがあったよとLINEした時も
左耳が死にそうだよとLINEした時も、
旦那がLINEに返信ではなく、わざわざ仕事中に電話してきて…
(夫)「いやー、寒い。ちょっと休憩。コーヒー買いに来たよ。昼食べた?」
(私)「うん」
(夫)「何食べた?」
(私)「チキラー。」
(夫)「うまかった?」
(私)「まぁ。普通。」
(夫)「そういえば、あれだね?耳があんまり良くないんだって?」
…てな感じで、めいいっぱいのさり気なさを装って、休憩のついでに聞いてみた風に電話してきたけど、いや…全くさり気なくなくて、むしろギンギラギンだった。
両親は次から次へと続くわたしの病気報告に、「お祓いしたほうがいいんじゃない?」とか神頼み的なことをよく言ってくるけど、あなたたち(一応)カトリック教徒なのにそれはどうなのさ?と思う。
まぁ、うちの親はかなり無宗教寄りのクリスチャンではあるが。
家の中はマリア像と十字架と神棚と破魔矢まであってカオス。
そして娘の私は神とか全く信じてない。
信じる者以外は救わないよって…器が小さい。神なのに。
信仰したら救ってあげるかも?のギブアンドテイクなスタンスには支配欲が見え隠れする。
実際は信仰心だけじゃなく、お金も要求するしね。
無欲の存在のはずが、そこらの人間よりよっぽど欲深いなと。煩悩まみれじゃないかと。
そして結局救われるのは己の行い次第だよ、って…
結局自分で何とかするしかないなら、信仰もそれにかけたお金も何なんだって思う。
自分を救えるのは自分だけだし、神より己の方がよっぽど信じられる。
自分でどうにもできないことは、さくっと覚悟を決めて防御体勢で少しでも衝撃から身を守るしかない。
人間界にも目に見えないパワー的なものを押し売りしてくる人はたくさんいるけど、そういう人、大抵幸せそうに見えない。
SNSでもいいねの履歴によくいらっしゃる。
ハッピーオーラなんちゃらとか、幸せカウンセラーとか、気で救われる!みたいなやつとか。
だいたいどこ見てんだろう?みたいな斜め45度の角度のサムネで、手を広げがち。
一様に胡散臭い。
ハッピーやら幸せやら健康を売りにしてるわりに、いまいち幸せ感もなく、健康そうにも見えない。
そこいくとうちの姑はいつ見ても幸せそうだし、何喰ったらそんな体を手に入れられるんだ!?ってぐらい元気だ。
新型コロナだって姑の体内に入った途端弱ると思う。間違いなく。
あの人の体を利用したら、ワクチン作れんじゃないかな?と真剣に思う。
姑自身は「あちこちガタが来て…」だの「苦労ばっかり」だの言うが、あちこちガタが来てて苦労ばっかりの人は8駅先まで自転車立ち漕ぎして車を追い越し、飲み会参加して、翌朝5時起きで朝市行って、昼飯食べてからスイーツバイキング行って「全然食べてないのに、全然痩せないのよ…」とか言えない。
ハッピーオーラなんちゃらとか、幸せカウンセラーよりよっぽど幸せそうな生き物がすぐ隣にいるから、その胡散臭い肩書きの斜め45度のドヤ顔には全く説得力を感じない。
そして周りが心配してくれるほど、私自身は落ち込んだり悲しんだりショック受けたりとか無い。
死ぬかもしれない、治ることのない病名を伝えられたら、その直後5分ぐらいは暗いかも。
暗いっていうか、何をどうするか考えてる。
わたしの場合幸いなのは、かれこれ18年前から母として生きてるので、考える軸が自分じゃなくて子供なこと。
だから自分が死ぬかもしれない怖さとか不安とかはさほど感じずに済む。
一番心配するのは、自分亡き後の子供のこと。
それをどうするか考えて、決まったらそのために自分が何をしておいたらいいかリストアップして、それで終了。そこでもう私自身はすっきりしてる。
そこでやっと夫や親に病名などを伝える。
だから伝えた時にはもう気持ちはフラットで、凹みはない。
悩むったって突き詰めればほとんどの場合生きるか死ぬかの二択しか無く、子持ちのわたしは死ぬ選択肢はないので、二択どころか一択。
悩む必要すらないっていうね(笑)
それはラッキーではある。
わたしは今の次女と同じ年の頃に、部屋で一人寝ていたら(両親は遅くまで仕事だった)、頭から血流してビール瓶振りかざしたどこぞのオッサンが真ん前に立ってたという窮地も一人で考えてどうにか生き延びてきたというしぶとい女なのだ。
生まれて数年しか経ってない浅い経験値で、オッサンがわたしに向かってビール瓶振り下ろすまでの数秒で決断して、自分一人でどうにか切り抜けたわけで。
人が飛び降りるのを目の前で見てしまった時も、マンション4階から自分が落ちた時も、クリスマスに火炙りになった時も、ストーカーが実は知り合いで私の部屋のクローゼットに住み着いてたと知らされた時も、中国人客に頸動脈に噛みつかれた時も、エレベーターで襲われた時も、ハワイで突然車で拉致された時も、一昨年から数々の病名を伝えられきた時も、全部一人で考えて一人で動いて切り抜けてきたので…
たぶんわたしはほっといても踏んづけても死なない。
死ぬこと以外はかすり傷ってやつです。
どんな時でも、自分のことは自分で決めたい。
唯一相談持ちかけるのは旦那だけど、その相談も子供絡みのことだけだな。
自分のことは、例え旦那でも決められたくない。
痛いの嫌だなぁとか、入院めんどくさいなぁとかマイナス感情がないわけではないけど。
気にしたってうだうだ悩んだって結局やらなきゃいけないことは一緒だし。
痛い辛い苦しいと嘆いたところで痛さも辛さも苦しさも変わんないしね。
その落ち込んでる時間とか、悲劇のヒロインモードに浸ってる時間がもったいないしめんどくさい。
そんな無駄な時間にできる楽しいこと、気持ち良いことはたくさんあるから、つまんないことに時間を割きたくない。
おばさんが年齢聞かれた時に
「何才に見える?」っていうワンクッション挟むのと同じぐらい無駄だなと思う。
何才に見える?って聞いた時点でばばあなのは確定してる。
若い時にはその無駄な返しはしない。
だからわたしは今も即答だけど、この先45になろうが85になろうが年齢聞かれたら実年齢即答します。
「何才に見えます?」
「えー?いくつだろう…」
「42です。」
「えー!40にしか見えなーい!」という褒めてんのか貶してんのかよくわかんないお世辞?を言わせないためにも。
姑もそうだけど、うちの母などもたまにわたしの旦那に「お義母さんって何才でしたっけ?」と(主に入院の書類を書いたりする時など)聞かれる度、「何才だと思う?」と返す。
それを聞いてるわたしはその度めんどくせーなと思いながら、実年齢より多めに「80ぐらいじゃない?」と横から言う。
すると母が、「やだ、72よぉ!まだ70過ぎたばっかりなんだから」と言うが、その場にいる母以外の全員が脳内で(どうでもいい…)と呟いている。場の空気が少しひんやりする。
これはなかなか身内にも理解してもらえないんだけど、わたしは「もしわたしが死んだらー」とか「わたし亡き後は早めに再婚してね」とか旦那や親に言う。
遺書も常に用意してある。
旦那も親も「そんなこと言わないで」と聞く耳すら持ってくれないが、わたしは別に悲観してるわけでも自暴自棄になってるわけでも無い。
ナオト・インティライミみたいな根拠のない押し売りポジティブではないだけで、常に一番最悪の事態に備えて用意をしてるだけ。
こうなったら、こう。
こう来たら、こう…みたいな。
そうしておけば、とりあえずそれ以降は安心して生きてられるから。
余計なことで悩んだり、無駄に不安に陥らないための対策、的な。
ちょうど長女が生まれた年に9・11のテロがあり、「人生、何が起きるかわからない」って思って、その時から常にこんな感じで生きてます。
もうすっかりバレてると思うが、わたしは性格も口も相当悪い。
高嶋ちさ子の密着を観たことあるけど、家じゃわたしもほぼちさ子である。
8月にてんかんを起こして、公共交通機関控えるように言われてから、それまで行っていた美容室に行けなくなって、子供の習い事の近くの美容室で済ませていた。
でも1月の脳外科受診で公共交通機関(たまになら)OKが出て、久しぶりに前の美容室に行くことにした。
予約の前日に担当の年の近い女性美容師さんが個人的に
「久しぶりにお会いできるの楽しみです。」とメールをくれて、当日行ったら特別にケーキを用意して待っていてくれた。
「他のお客さんが来る前に食べちゃってくださいね」と秘密めいた雰囲気も楽しかった。
「○○さんと話す時は接客忘れてます。こっちが楽しませてもらってます。普通に友達と話してる気分になっちゃうので。」とうれしいことを言ってくださった。
こんな性格も口も悪いわたしにそんなことを思ってくださるのが不思議であり恐縮でもあるのだが、最近そんなことがなぜか続いてる。
お世話になってる女医さん二人にも
「○○さん、一緒に飲んだら絶対おもしろいですよね。完治したら行きましょうよ。」
「○○さんの考え方が個人的にかなり好きです。つい長く話しちゃいます。」と言って頂いたり。
性格と口の悪さは有り難いことに見た目ではわからないからかな。
社交辞令だとしても有り難い。
あんまり女子ウケ良くないので。
男ウケも良くないけど。
ウケるゾーンが極狭なので、こんな体験は貴重。
協調性もなく、社交的でも積極的でもないわたしなのに。
42にして謎のパワーでも手に入れたんですかね?
あまり万人受けする人格ではなく、マニア受けなので、交友関係は狭くディープな付き合いとなっております…。
胸にしこりが見つかったことを友達に報告したら
「ここはやっぱり豊胸?」と返ってきました(笑)
わたしと全く同じアホな発想(笑)
アホ仲間がいるって本当ありがたい。