日本の夏 病人の夏 | 線維筋痛症・筋痛性脳脊髄炎・脳動静脈奇形(AVM)・メニエール病・側弯症その他複数の病気を抱えた主婦の(一応)闘病記録

線維筋痛症・筋痛性脳脊髄炎・脳動静脈奇形(AVM)・メニエール病・側弯症その他複数の病気を抱えた主婦の(一応)闘病記録

線維筋痛症、慢性疲労症候群/筋痛性脳脊髄炎(ME/CFS)、脳動静脈奇形、メニエール病、子宮筋腫、椎間板ヘルニア、脊柱管狭窄症があります。
闘病ブログですが、闘病要素少なめです。
病気について参考にしたい人にはほとんど役に立ちません。ご注意下さい。

いつのまにか子どもたちも夏休みに突入し、その夏休みももう後半に。


今年の夏休みは前もって無理をしてでもたくさん遊ぶぞと決めていて。
というのは、なんとなく、自分がもう動けなくなる日が近いような気がするというか、もしかしたらもう死んだりするんじゃないかなという漠然としたタイムリミット的なものを感じていたので。


動けるうちに、子供と(特にまだ小さい下の子と)思い出をたくさん作っておかなければ!というミッションが自分にあったので。


とはいえ旦那が休みの週末以外はほとんど動いてないんですけど。



まず最初の週は前に住んでいたエリアに遊びに行きまして。




近くの大きな公園のじゃぶじゃぶ池で遊んだり、上の子が通っていた幼稚園のママ友のお宅にお邪魔してから一緒にごはん行ったりして、懐かしい場所巡り。



その次の週は、下の子の以前からの夢だった「新幹線に乗りたい」を叶えるため、新幹線で名古屋へ旅行へ。
わたしの体力的に、たぶんこの距離が限界かと…。

旦那的には「何かあったら困るから熱海とかでいいんじゃない?」と言ってたけど、熱海は下の子も行ったことあるし、せっかくならレゴ大好きな下の子のためにレゴランドに行ってあげたかったのである。



のぞみで1時間半ぐらい。
新幹線は快適なのでそこまで辛くもないけど、品川駅着くまでの移動が病人には結構きつい。


生憎行きは台風。
蒸し暑かったり濡れて寒かったりで体温調節が難しい。
体の痛みレベルも高め。


名古屋に着くと予想以上の大雨。

それでもレゴランドに向かうあおなみ線はレゴのペイントで大喜びの娘。






レゴランドは大雨で、レインコートを買う人が長蛇の列。
わたしと娘はレインコート持参してたけど、レインコート持ってなかった旦那は頑張って並んでました。



フードもちゃんとレゴブロックの形で、レゴファンにはたまらないはず。
レゴファンの娘はもちろん大喜び。





翌日帰宅の日は台風一過で良いお天気。
でも凄い暑さ。。。



新幹線までの時間、ひつまぶしを食べて、矢場とんの味噌カツを買って、帰路へ。



新幹線降りてからの移動は行きよりしんどかった。
暑さでやられるし、座れないし、疲れも…。
とにかく無事に家に着いてホッとしました。



ところが、その四日後ぐらいに身体に明らかな異変が。

生々しいので避けますが、宇宙人に拉致されてエイリアンでも産んだような感じとでも言いましょうか…。


病院受診すると「早めに手術しないと、これから毎月輸血が必要になるかもしれない」ということで、手術ができる病院に紹介状を持って行くように言われました。


その時には旦那も付き添うということで「お盆期間中なら午前休ぐらいはできるかも」という旦那の都合に合わせてその頃行こうということに。



その週末は近くの商店街の盆踊りへ。
子供だけ浴衣を着せて、スーパーボールすくいをしてかき氷とわたあめだけ食べてサクッと帰ってきました。



次の週末は横浜へ。

暑いけどほとんど車移動だったのでそこまで負担でもなく。
ポケモンのイベントやってたり、海を見たり、夏らしい雰囲気を子供も楽しんでました。





そしてこの翌日は幼馴染みとビアガーデン!



23年の付き合いの旦那より更に更に長い付き合いの女友達。
お互い全く気を遣わないし、たぶんわたしのあれこれを親や旦那よりいろいろ知ってる。

何を話したのかは全然覚えてないけど、笑い過ぎてお腹痛くなった。




そしてその2日後。
わたしの両親が遊びに来ていて、夕方から貧血が酷くて、両親が帰る時に「あんた、すごく顔色悪いから横になったほうがいいよ」と言われ、たしかにふらつきも酷かったし大人しく横になりました。


旦那が、「晩メシどうする?作るのしんどかったら何か食い行く?」って聞いてきたけど全く食欲なくて、寧ろ気持ち悪かったので「わたしはいいや。○○ちゃん(下の子)連れて行ってきて。」と言いました。

「行くの無理そうなら、弁当でも買ってこようか?」とも聞かれたけど、わたしは食べられそうに無かったし、下の子はもうファミレス行く気満々で帽子被って準備までしていたので「いい。ファミレス行ってきて。」と言いました。


それで、二人が帰ってきたのは覚えてるんです。

旦那と下の子が帰ってきて、下の子がわたしに何か言っていて、その時急に頭に凄い痛みが。

その辺りから意識がない。
旦那いわく、「頭がー」って言いながら頭を押さえてて、そのあと急に「寒い、寒い」と言い出したそうです。


旦那がパニックになりながら、とりあえずブランケットを何枚か掛けたらしい。

それでも寒がっていて、その後今度は全身に痙攣が始まったそうです。

その後全身がダラーンとなって、呼びかけにも反応せず。


旦那が救急車を呼んで、救急車が来て、瞳孔チェックとか、意識レベルのチェックがあって、担架で救急車へ。


救急隊に既往歴を聞かれて、旦那が線維筋痛症はすぐ思い出したらしいんですが、そのほかの病名が出そうで出なかったらしく、「そうだ!ヘルプマークだ!」と気付いたけどヘルプマークが雨とかで擦れて消えている部分があったらしく、救急隊の人に見せても救急隊の人も聞き慣れない病気なので正しく伝わらず。


「線維筋痛症と、筋痛性脳脊髄炎と、子宮筋腫と、女子医大で脳外科にかかっている」という情報が伝わり、とりあえず脳が一番怪しいから脳が診れる受け入れ先を探します!と救急隊があちこちに電話をかけてくださったらしい。


でもとにかく謎の病気をたくさん抱えてるということで、次々断られて、なかなか受け入れ先が決まらず、小一時間家の前、救急車で待機だったらしい。


その間下の子は隣の義両親が見ていてくれて、その間に帰っている途中だったうちの両親も戻ってきて、うちの両親宅に泊まりに行くはずだった上の子も一緒に戻ってきて、それと同時ぐらいにやっと受け入れ先の病院が決まり、救急車発進。



救急車の中でも救急隊や旦那が声をかけ続けたり、意識レベルのチェックをずっとされていたらしい。


その救急車の中で旦那がわたしのバッグの中からお薬手帳と診察券ケースを見つけ、飲んでる薬と通ってる病院名がやっと伝わる。



普段からわたしが倒れた時にはこれを言うんだよ、と病院名や病名やお薬名や担当医の名前をあれほど言っていて、旦那は手帳にメモしていたはずなのに、肝心の自分の手帳の存在を忘れていた旦那。

使えない…。
 


救急車が病院に着いてもわたしの意識はなく、全身が脱力していた状態だったらしい。


救急車が病院に着くと、待っていてくれた病院スタッフが「事件性はありますか?」と救急隊に聞いたとか。
旦那は自分が疑われているのか心配になったという。
うちの旦那は見るからに善人なので、たぶん聞くことになってるんだろうと推察。



脳外科の先生が「わかりますかー?」と声をかけると一瞬目が開いたらしく、すかさず「お名前わかりますかー?」と聞かれるも「…大丈夫です」とだけ言って再び意識がなくなったらしい。

ここでもやっぱり大丈夫グセが出てしまう。


脳外科の先生が「全然大丈夫じゃねーな」と言って、いろんな検査に回されたらしい。


病院に着いたのが23:30頃で、検査が終わって旦那が帰れることになったのが3時頃だったとか。


検査をいろいろしたものの、これと断定できるような何かは見つからず、「てんかんの疑い」という説明があったらしい。


その日はもちろんわたしは入院になり、旦那が帰る時には脈拍や呼吸は安定していたものの、時々うっすら目を開ける程度で焦点も合っていなくて、何か話しかけても応答なしという状態だったらしい。
もちろんこの時の記憶もわたしには無い。



翌日、面会時間始まってすぐ家族が来ると状態は少しだけ良くなっていて、目を開けていられる時間も少し長くなっていたとか。
あと、子どもたちの名前だけポツポツと言っていたらしい。

でも目を開けたり子供の名前を呟いたりするのも数秒で、すぐに眠ってしまっていたとか。



午前の面会時間が終わって一回家族が帰り、午後のニ時頃また面会に来ると突然意識が戻っていて、看護師さんに食事を食べさせてもらっていて、みんなびっくりしていた。


正直この時わたしはまだ自分が何でここにいるのか、ここがどこなのかもよくわかっていなくて、でも何か助かったらしくて、麺を食べていることだけはなんとなくわかった。



その後家族にこれまでの経緯を聞いて、少しずついろんなことがはっきりわかってきた。



意識が戻った直後はまだぼんやりとしていて、病院の名前を聞いてもすぐに忘れてしまい、意識が戻った後にも2〜3時間起きに簡単なせん妄の検査みたいなもので、
「お名前教えてください」
「ここはどこだかわかりますか?」
「生年月日は?」
「ご住所は?」
など聞かれたり、手が前へならえのように上がるか、足が両足とも上がるかなどチェックされましたが、最初のうちは自分の名前もなかなか出てこない、ここがどこの病院かも思い出せないという状態が何度か続き、夜になる頃にやっとまぁまぁスムーズに答えられるようになりました。



翌日脳波の検査があり、問題がなかったのでその翌日に退院してきました。


でもまだ今回の症状の原因がはっきりわかったわけではないので、脳動静脈奇形でかかってる女子医大宛に今回の症状を記録した書面と検査結果のCD-Rを渡され、それを持って早いうちに女子医大の脳外科担当医に診てもらうように言われての退院でした。



退院翌日の今日、女子医大ではなく(エイリアン産んだ感じの症状で)お盆期間中に行く予定だった近くの医大へ紹介状を持って行きました。
旦那は午前休を取って付き添い。


わたしが倒れてから毎日午前休取って面会に来たり退院の手続きしたり病院付き添ったりと忙しい旦那。



医大では婦人科にかかり、紹介状を書いてくれたかかりつけ医の言う通り手術が必要とのことで、10月に手術が決まりました。

問題がなければ三泊四日、出血が多いともう一日か二日延びるらしい。


夏に夏休みを取れなかった旦那が、10月のわたしの手術に合わせて夏休みを取ることになりました。



手術の前にMRI、手術前検査、検査結果を聞くためと三度外来受診が必要で、今月中にMRI、来月初めに手術前検査、その二週間後ぐらいに検査結果を聞くというスケジュールです。



女子医大の脳外科は来週予約が取れたのですが、まだ一人での移動が危なくて要付き添いなので、旦那やわたしの母、上の子にとりあえず聞いてみたものの、旦那は今週午前休取りすぎたため、来週はどうしても時間を取れず、母は父の手術の付き添いで無理で、上の子は特別講義とバイトで無理…。


病院とか誰も付き添えない時はわたし行ってもいいよと言ってくれてた幼馴染みに聞いてみたものの、返事待ちしてる間に旦那が隣の義父にお願いしてしまい、義父快く引き受けてくれたらしく、義父に付き添ってもらうことになりました…。

良かったね!と旦那。

……。

まぁ、ありがたいです…。



病院のスケジュールがキツい。
9月10月は幼稚園の行事や園に行かなきゃいけない機会も多いので、病院と幼稚園のスケジュール、ちゃんとこなせるかが心配。



それでも今月はお祭りとか花火大会とか、夏の楽しみなイベントがまだあるので、とりあえず面倒くさいことは忘れて過ごそうと思ってます。



そんな病人の夏。2019。