森岡毅著~苦しかった時の話をしようか~ | すざかシート 「職人の覚悟」  Suzaka Seat Blog

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室内装飾に携わって30年余り。仕事のありかたに正面から向き合って、経験に基づいた知識、ノウハウも織り込んで・・・・・・・・

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 あれほど春を思わせるような陽気が一変、真冬に戻ってしまった陽気が続くショボーン。今年はこんな事の繰り返しで春を迎えるのかもしれない。2週間ほどの予報を見ればまだまだ一桁台と気温の低い陽気が続くようだ。三寒四温はいつの事か・・・

 ずっと懸念事項であった仕事も最終点検を残すのみと、こちらは気の張り詰めた日々からは解放されたもののニコニコ、同時進行で進めている案件のいくつかが思ったように進まないショボーン。自分の感覚から行くと もうとっくに終わってて不思議はないはずなんだけど そういった感情を押し付けるのもなんだかなぁ~と思う質(たち)なので遠巻きにして眺めてはいるものの これはこれで中々どうしてストレスのかかるものであるえーん

 

 例えば天気の良い日に幼子が外に遊びに出たとする。楽しさを全身に表して喜び、行動へと移す。広いスペースがあったりすれば駆けてはしゃぎまわるだろう照れ。そんな微笑ましい姿も親であればまた違う。全体が芝に覆われ転んだところで芝生や柔らかな土がクッション代わりとなって大きなけがをすることも無い。一時的に泣くようなことがあっても、それは単純に驚きが勝っているだけで「大丈夫~?」「平気平気」とママが笑顔で抱きかかえてあげれば「泣いた烏がもう笑った」で事なきを得る照れ

 それが川沿いだったり硬いコンクリートだったりと 勢いよく転んだりなんかしたもんなら大事である。そんなところでは「走っちゃダメ!ムキー」と大きな怪我などをする前に、それこそ一歩でも走りだそうとする仕草から発せられる。経験がないが故にこうなるであろうと予測する力に欠け子供たちがよくする失敗である。昔の人(自分たちの親世代)なら痛い思いをすれば身に染みるだろうぐらいに横柄に構えていたものである。おかげで体中痣だらけで過ごした幼少期の甲斐あってか僕も運動神経だけは良くなったてへぺろ

 どちらに付け、本人が(子供だろうが大人だろうが)本当の意味でわからない限りは必ずと言っていいほどに無茶もすれば周りが冷や冷やとするような事ばかりで、意見をされないようになるにはよっぽどの事自覚をするしかない。どうもこれが本当に難しいようである。

 

 こういった流れは大人になればなるほど顕著である。当然のごとく仕事に当てはめる事が出来るだろう。特に生きる経験が浅かったり学びの時代に広い視野で社会を見る事の無かった彼、彼女らは、大きな勘違いをしてるように感じる。うちに来ていた何人かの弟子を例にとってみよう。

 

 職人(内装屋)に憧れ当店に入ったものの、3か月ばかりの経過でやる気がある無いにかかわらず何となく仕事は覚え始めていき、少しづつだが貼る作業に関わっていく。習得出来た内容によってはこちらも 次のステップまた次のステップと段階を上げていくのだが 今迄何度も転職を重ねてきた者は大体この辺りで一度いきずまっていくキョロキョロ

 

 折を見て聞いてみる事がある。~どうして3度も4度も仕事を変えて来たのかわかるか?~

 

 彼らは考え込む。そして「自分にあっていなかったから」と答えて寄こす。だから僕は決まって言うのが 

 

 ~自分を高く見すぎてるんだよ。自分ならもっとできる。自分ならもっとできるからもっと給料をもらってもいいはずだ。この3か月見てきててお前はどれだけの事が出来るようになった?そりゃぁ 個人差はあって当たり前だけど この3か月の自分の事を振り返ってみた事ある?多分だけど、お前はどこへ行っても変わらないよ。自分を知らない限りキョロキョロ

 

 

 こんな風に偉そうに語ったとしても 自身としてはこの事に気付かされたのは東京で遊んでいた頃だからそう大したことはない。二十歳を過ぎたばかりの頃は自分でも もっとできる、もっとできるはずだと大した努力もしていないくせに、でかい夢だけを持っておかしな自信を携えていた。鼻の頭をペチャンとされたのが21の頃で そんな頃からどうすべきか、行く宛てを彷徨い始めた。これといって一生涯を貫こうとするような仕事(当時は知人のレストランや人手が要る店を転々としていた)を持ち合わせてる訳でもなく、現実を直視した人生設計などは夢のまた夢って感じで、ただ惰性的に高校の頃からのバイト(水商売)の延長線上で暮らしていた(周りもそんな人ばかりで居心地が良かった爆  笑

 

 結婚話が出て来た頃、家庭を持つには東京では難しいだろうと親の勧め(母親は僕が生まれた時からミシンを踏み帆布製品、カーテンなどを作る職人だった)もあって今の仕事(内装屋)に就いた。もうこうなると背水の陣である。逃げ場がなくなり技術を習得するが為 仕事にのめり込む事が唯一の道だったキョロキョロ

 

 内装を選んだのはもう一つの理由があった。飲食店に16の頃から携わってきて、暇なのか忙しいのかの極端な毎日でただ(お客を)待っている商売に疑問を感じていた(どうせなら実入りが多い方がありがたいんで笑い泣き)。それならば自ら仕事を取ってくる事の出来る商売もいいのかもしれない。しかも手に職があれば食いっぱぐれる心配もないだろう真顔

 正解なのか不正解だったのかもわからずに実に41年の歳月が流れたびっくり。長く続けて来られたのは性に合っていた事も要因だろうおねがい。先日、多重下請け構造の際に宅配便の事にも触れ 購入した本がまだ届かないなんてことも書き記した。その本と言うのが

 

 森岡毅著「苦しかった時の話をしようか」。これは森岡さんの娘さんが大学の卒業を前に就職先(仕事、著書の中では職能と言う言い方をしている)をどうするか悩んでいた際に ご自身の経験を手帳に書きとめておいたものを 出版社の担当者さんが目にされ世に送り出されたものだそうだ。森岡さんと言えば誰もがご存じなのが あのUSJを再建させた立役所である。マーケティングではプロ中のプロ、大御所である。この本は会社(仕事・職能)の選び方が主な内容であり、あ~僕もあの頃(21才)にこれを読んでいればもっと違う選択をしていたかもしれないと3分の2ほど読み(この間のネガティブ~と同じで一行一行大事に読んでるので中々進まない)進み感じている事である真顔

 

 ただ、ただ一つ。弟子入りに来ていた若いもんに話してきてた事と通じるものがあり、生きてきた形跡はあながち間違いではないと感じている。それはそれでホッとしているのである照れ