振り返れば明日がわかってくる
「泥棒するぐらいだったら、飢え死にしたほうがましです」。
フィリピン・ケソン市郊外パヤタスのゴミ捨て場に住む12歳の少女が、ドキュメンタリー映画『神の子たち』を撮影中に語ったという。
さらに別のゴミ捨て場で生まれ育った少女に、「幸せかな?」と質問したら、その子はニコッと笑いながら「いつも家族が一緒で、1日3回食べていけるから幸せです」と答えたという。
昨今、日本の各新聞社社会面に出るのは、無差別・無意識殺人、残酷な子殺し、親殺し、いじめ、家庭崩壊、社会崩壊の数々・・・。日本は別の意味の『心のゴミ捨て場』状態になっていると思えてならない。
ふと思い出すのは、インドのノーベル平和賞を受けたキリスト教徒の故マザーテレサが2~3度来日した時、その度に語った中に
「この国には物は溢れて一見豊かに見えるが、心がない・・・!」
「もっといい物を食べたい。もっともっといい物を食べたい。もっといい物を着たい、もっともっといい物を着たい。もっといい暮らしをしたい、もっともっといい家に住みたい。何と心貧しい国でしょう・・・」
考えてみれば、痛く心を突かれた感じがする。昨今の政治・社会面の人心の乱れや狂いは何と言ったらいいだろうか。
とにかく「振り返れば未来がみえる」はずだ。そういえば大正時代や昭和初期、世界的に有名な人たちが来日し、数々の感動した感想を述べている。アインシュタイン(夫妻)は、日本人の心の優しさや純粋さに感動すると共に東大や慶大等々、色々な所での講演で語っている。「このような日本人を神が残してくれたことを神に感謝する」「世界の戦争や紛争に疲れた人々の多くは日本のような国があることに神に感謝するであろう・・・」。
当時の喜劇王チャップリン等は第1回の来日で日本国・日本人に触れ、あまりの素晴らしさに感動し、その後2度も来日した。但し、残念ながら3度目は、帰国まで一歩もホテルから出なかったとなっている。理由が悲しい。
それは今のような日本のかたちが人心に溢れていたからだったとか・・・。
夢や希望を失った社会を作り出した事々を批判、追求することよりも、静かな気持ちの中で自らの国の先人の歩み、かたちなど、わが国の『歴史』を学ばねばとしみじみ思う。今なお続いているこの日本の良いかたちや先人たちが培ってきた地方各地にあるかたちや細かい作業がなされた事々、精神文化等々を知るために本気で本を読むこと、のこされている事々の数々をたずね、それぞれを大切に見直したいと思う。
皆さんのご意見もお聞きしたいものですね。
脳から母に還る
人間の体の器官の中で、とりわけ重要な役割を果たしているのは脳である。最近では脳の仕組みについての研究もかなり進んできた。
脳は、とにかく酸素を大量に必要とするが、同時に「脳は酸素の次にブドウ糖を必要とする」という。「脳の方程式ぷらす・あるふぁ」や「脳の方程式いち・たす・いち」(いずれも中田力著・紀伊国屋書店刊)によれば、脳の形式や脳のメカニズム、脳内の日常をひとつひとつ追っていくことでわかる圧倒的な事実だ。脳を知る上で貴重な情報の一部である。
先頃、岡山大学・松井秀樹教授(細胞生理学)らのグループが、「赤ちゃんが乳頭をくわえると母親の脳から分泌されるオキシトシンというホルモンが、母親の記憶・学習能力を高める効果がある」ことを突きとめた。「授乳時に赤ちゃんの記憶が母親の脳にすりこまれ、母性を強くしていくのではないか」(松井教授)という。
赤ちゃんは出来るだけ母乳で育てて、添い寝をしたり背負ったり、言葉をかけてあやしたりすることから親子の「信頼」関係が生まれる。安らかな、つまり安心安全の気持ちの交流の中から人格形成の素になるということもわかってくる。実に意味深いものを感じる。記憶のメカニズムをつかさどる「記憶の遺伝子」だけでは解明されない部分でもあろうか。しかし母親のお腹の中は大切な第一歩。
「3つ子の魂100までも・・・!」の意味は、母親の母体の中に育まれている時も重要だということ。その子の「人生の大きな礎」ともなる。
例えばやさしく撫でられ、声をかけられ、時に歌声も聞き、母親と添い寝の安らかさや栄養や血流、精神的にも栄養学的にも大変な「時間」だ。
私たちも、今一度、自分、家族、未来を創りゆく若者たちのことをゆっくりと見回してみようではないか。
ふる里への志とは?
「今 私は 夢を見ているようです 人々の心 山 川 谷 みんな温かく 美しく見えます 空も 土地も 木も 私にささやく 『お帰りなさい・・・』」。
新潟県佐渡出身の曽我ひとみさんが、北朝鮮から帰国した直後に読み上げた詩だ。思い起こすと童謡「ふる里」の三番に、「志をはたして いつの日にか帰らん 山は青きふる里 水は清きふる里」という歌詞がある。戦争の良し悪しは別にして、先の戦争で散った若き特攻隊員たちが、飛び立ち行く上空で眼下に広がる祖国を後にする時、翼をゆっくり上下に振りながら機上で涙声の大声で歌ったのが童謡「ふるさと」。この歌が殆どだったという。
「国破れて山河あり・・・星美しくして、情厚し・・・」というように、いつまでも美しくあるべき祖国・日本の山河を、便利・快適・豊かさを追い求めてズタズタにし、真の価値観等々、国の建て直しは後回しにした。あの若き青年たちの思い、夢、希望、願い、訴えの「(童謡ふる里三番)山は青きふる里、水は清きふる里」はどこにあるのか。私たちは、本当に彼らの生命を捨てた祖国日本への願い、祈りに答えていない。ゼネコンのみでなく、お金になればズサンな計画性や未来も考えず多くの人々は日本開発計画を超過度に進めていったのは、「一体全体」誰だったろうか。
せめて心情だけは美しく整え、良き方向、国のあり様、道を取り戻したいものだ。「人生・意味ある生き方」とは何だろうか、といつも考える。過去を振り返りつつ“今”を生きる中で、足元や歩く先をみつめながら・・・。
あっ!声なき声の方々も、持っている方々も集まってまずは、ただただ語り合いたいものですね。いかがですか?
GW(お金)からGW(緑)に
今年も、もう5月。気がつけば我が家の玄関先に立っている15メートルほどの木も鮮やかな緑に彩られている。周辺の閑静な住宅街を歩くと大変緑が美しい。力強くさわやかな正に新緑の季節だ。
しかしここ数年で随分と景色も変わり、新築の建物がかなり増えている。それに伴って以前はあった木々がなくなっている。
2年前、我が家の隣の家の庭にはとても立派な大木が聳え立っていた。しかし、保護樹林に指定されていたにも関わらず、新しい家が建つことになり無残にも切り倒されてしまった。とても残念であった。
今世界的に森林が急速に減少している中で、自分の側でも緑が次々と失われていくのを見ると、自分の年齢と共に心の問題や世情についても、いろいろ考えざるを得なくなる。
小学生並ともいわれるが例えば、木々は人間が生きる上で欠かせない酸素を供給し、二酸化炭素を吸収してくれる。それ以外でも緑は根っこに多くの水を貯えているし、土を相互に生かし合うなど様々な意味で重要な役割を担っている。このままで良いはずがない。
子供の頃、兵庫県に住んでいた時、休みの日に家族で田舎のきれいな川辺に遊びに行ったことを思い出す。川の周辺は沢山の緑に色取られていた。美しい川の流れと緑を見ながら、岸辺の岩の上で弁当を食べた。随分前のことだがその時みた景色は鮮明に記憶に残っている。大人になっても自分の童話のように間違いなく子供時代の「ふる里」の心象風景として情緒を育むにはいい。風景、風土は木や川やその匂いで私たちに活き活きと想い出も創ってくれる。
「GW(ゴールデンウィーク)をGW(グリーンウィーク)に」。直に自然に触れることで子供たちは、その大切さを知ることになるし、大人も改めて環境問題に意識を向けることになる。1年に一回でもよい。皆でそうしたいものだ。
このままでいいのか!未来
私は仕事柄、子供の描いた絵を見る事が多い。それは「国連ポスター原画コンテスト」で、地球の環境問題をテーマに副題では「未来に残そう!、美しい海、空、森!!」が描かれたものだ。日本だけでなく世界各国の子供たちが描いた絵である。
小学生から中学生までだが、審査をして優秀な作品には賞が与えられる。受賞した作品は繰り返し見ることが多い。その作品を見て強く思うことは、子供たちの感受性と想像力だ。
もちろん父兄や学校の先生方の指導もあるのだろうが、それにしても表現の自由さ、豊かさ、発想などにいつも新鮮な驚きをおぼえる。これが子供の描いたものかと。何しろ創意工夫が素晴らしいのだ。
今大人である自分が、環境問題をテーマにポスター原画を描いたら、どうなるだろうか?多分、実に説明くさいあたりまえの絵になってしまうだろう。
人間の感受性はやはり、子供の頃が一番大切に育まれる時なのだ。思いっきり自由に描く。よく「神童も大人になればただの人」などと言われるが、あながち嘘ではない気がする。大人に感受性がないと言う訳ではないが・・・。
とにかく子供たちが、幼心に地球の未来に大きくかかわる環境問題に危機感を重大に感じ取っているのが心に伝わってくる。
子供たちは未来という時間を持っている。意識や価値観を変えれば可能性の全てがそれなりに具体化し変わりうる。「時代」さえ動かせる。今のままの環境努力化の道では、今の状況悪化が比例的に延び、大人になり社会のかたち、国のあり様、生活、生き方など真剣に向き合わざるを得ない。その時の地球の未来、環境は本当にどうなっているだろうか?
今現在、大人である私たちが少しでも次世代のためにと想像してみると重大な責任を負っていることが解る。例えば、世界的な水不足。中国の黄河等の水は、すでに殆ど海に届かない状況。砂漠化は次々と進んでいる。畑は熱風、塩分でやられる。木々は切られ、温暖化や紙不足。エネルギー問題など、何しろ、人類のみならず生きとし生けるもの全ての生存を考えれば、地球の環境問題に大至急に取り組まねばならない。
とにかく、この先、いくら世界の経済が回復しても、環境問題が第一義改善されない限り、明るい未来は見えない。今のままでは、人類の存続は危機的だ。地球が人間の住める環境でなくなれば全てがオワリ!!。
子供たちの絵を見ていて、しばらく言葉を失ってしまった。
「インゲンのつる」は語る
国際的な世情の乱風、迅雷は今、日本でも正に多くの人々の”生活”や将来を不安に、また激変させている。そのためか、大変困難な要因を持つ人が急増中である。
自殺者もジャンボ機が何と毎日満席にして6機を越える勢いで墜落している状況を生み出している。
この流れの中で特に数年前から顕著になって来たのが「引きこもり」だ。
引きこもりになるのは、性格的には感性豊かな人や敏感で静かな優しい性格の人が多いという。症状を切り抜けた人々の多くが、男女ともに「家族や友人によって救われた」という。続いて「趣味(読書、音楽鑑賞、映画)やスポーツ」。中でも注目したいのが「本や人との出会いによって元気、勇気がわいてきた」という事例である。
それはTVの会話かも知れないし、歌かも知れない。誰かの一言かも知れない。
また毎日の生活の中で、多くの感動や気づきがある人々は、実に前向きに生きているようだ。生きがいや、自分が何かの役に立つこと誰かの役に立つこと等々を見出して、目標、目的が明確になっているためだろう。
ところで、日本人は特に山や川、空、雲、雨、風など「気」の字がついた文字の多さの如く、大自然から多くのことを昔から学び取る名人が多いとも言われる。それだけ観察や心の楽しみ方を知っていたのだろうか。これも自然界の例だが、インゲンのつるは本来は右巻きだが、それを強制的に左巻きにして育てると、収量が二倍になるという。
環境の大変化というストレス要因の中で、ある種の緊張状態は光合成などの代謝系を活発化し、大きなダメージとなるどころか、生長力をより強くするというのである。
さて、かつての先哲の如く、どんなに貧しくても苦しくても、静かに内在する己自身の真の力を信じていきたい。己が己自身を認めていきたい。毎日次々と起こる世情や現象に一つ一つとらわれまい!「地獄の猛火、化して清涼の風となる」(観無量寿経)ような、さわやかな生き方をしたいものだ。
一冊の本との出合い
中学か高校 の頃であったろうか、毎日の通学時間などに本を読んだ。「ゴッホの手紙」(岩波文庫)だ。
ゴッホは19世紀のオランダの画家で、今でもその作品は日本でも人気がある。主に代表作はフランスで描かれた。
ゴッホが弟のテオに宛てて書いた書簡をまとめた「ゴッホの手紙」は、内容は生活のことや今こんな絵を書いている、またはこんな構想があるなど様々である。絵の具の注文や生活資金の要請も書かれている。
当時、売れない画家であったゴッホは弟を非常に頼りにしていたことが分かる。しかし苦しい生活の中でも絵の話になると、とても活き活きとした感情が溢れすぎるほど熱い。ゴッホの「生きる全力」が見える気がした。文庫本には絵の下書きの挿絵も載っている。読んでいるとこちらの想像力がふつふつと膨らんできて非常に楽しいのだ。ゴッホの見ていた風景が今も頭の中でイメージできるほどだ。
生前はその作品がほとんど評価されず、画家ゴーギャンとの共同生活も破綻し、精神病院に入院したり、最後には自らピストル自殺を計り、37才の命を絶った。
しかし短く燃えるような人生を過ごしたゴッホは弟に書いていた。「いつの日かきっと私の作品が評価される日が来るだろう」と。そして今現在、ゴッホの作品は世界の数多くの人に愛されている。それは、まぎれもないゴッホの己自身を信じ続け「生きる全力」をかけた事実だからだ。そしてこの本さえ日本で売られている。
不遇な生活をおくりながらも、また時には精神を病みながらも、自分の天職として、最後まで絵を描くことをやめなかった。強烈な情熱が各所から書簡を通じて伝わってくる。少年のような純真さ、内から湧き出る創作意欲、情熱。私は強く感動するあまり、よく学校遅刻を繰り返したこともある。
「ゴッホの手紙」を読んだことは、その後の自分の人生にも活かされている。今でも仕事などの面で、壁にぶつかったり、迷ったり悩んだりする時も、今はその成果や結果は直ぐに出なくても、いつのまにか自分のための底辺にしっかりと礎となっているのを感じることがある。本当に良い本に出会ったと思う。
ゴッホの生き様を、皆さんはどのように思うだろうか?私は上手く言えないがゴッホを狂人と決めつけバッサリとは切れず強い感銘を受けた1人だ。ありのままに生きる、自然のままに生きる。静かに自分をみれば色々な生き方があるだろう。しかし”夢”をもち、それを未来を通り越してとてつもない強い信念を持ち続けること。それは今の暗雲低迷の時代、難しいことかもしれないが、とても大切だと思っている。
この記事を読まれた方の感想を是非とも聞きたいと思う。
日本の童謡
「お手てつないで」 「春よ来い」 「どんぐりコロコロ」 「どこかで春が」
世界の中で子供たちと唱える歌、子供の歌、つまり「童謡」が多いのは、調べてみると圧倒的に日本が多い!本当にだ。何故だ。何故だろう!
昔々から歌われた歌もたくさんある。
思えば日本にはかつて寺子屋というものがあったように、昔から子供たちの教育に熱心であるように思う。今でこそゆとり教育などといわれる事もあるが、昔から教育の水準は高かったと言ってもよいだろう。
そういった環境の中で育った日本の子供たちは、大人達から、様々なことを学んできた。歌い継がれてきた童謡も、その教育のひとつの手段ではないか?
童謡には人生の教訓であるとか、自然の大切さなどが織り込まれているように思う。日本は四季の移り変わりがはっきりしていて、季節を通して自然を歌う童謡が多いのもうなずける。「春の歌」にしても数々と挙げられる。
日本に童謡が多いのは、日本人の教育熱心なまじめな気質と、日本独自の自然の豊かさ、四季の変化が関係しているのかもしれない。
さて皆さんはどう思われるだろうか?子供の頃何気なく歌っていた童謡を思い出して口ずさんでみてはいかがだろうか。自分の失ってしまった「幼な心」をたどりながら今になってとてつもなく大切なことに気づくことがあるかもしれない。
喜怒哀楽の効用
「笑うかどには福来る」と昔から言い伝えられる。きっと素晴らしい力があるに違いない。
「笑いと免疫力」の作者・吉野愼一教授(日本医大)は、関節リウマチ患者に落語を聞かせて笑ってもらうと、炎症を悪化させる物質が低下することをつきとめ、「笑い療法」を世に広めた。
ところが「泣き」も「笑い」と同様に心身の状態を改善するということがわかったという。米国の生化学者・ウィリアム・フレイ2世の研究で、「心が揺さぶられた際の涙」の成分を分析して解明された。いかに人の身体の中は、「生命」をめぐって健全正常であろうとしているか、ノイローゼやストレスの事々まで影響が強いことが解る。
心身の疲れやストレスなどから「心身浄化・毒出し」をするカギは、感情や意識をバランスのとれた精神状態においておくことにありそうだ。
心豊かにゆったりと、小さなことにも感動し、生かされていることに感謝して、プラス志向で楽しく朗らかに、一日一日を大切に過ごしたいものである。
いずれにしても人間の身体の不思議さ、つまり「生命」の不思議さ、地球の不思議さを深く深く思わざるを得ない。
何回同じ曲を弾いても、同じ演奏は無い!
4回目にクラシックCDの記事を書いたが、クラシックに詳しくない方でも、ベートーヴェンは知っているはず。そのベートーヴェンの作品の中で、最もポピュラーな作品は交響曲第5番「運命」であろう。
「運命」の冒頭の部分、ダダダダーンの動機は聴いた事があるのではないか。言わずと知れた代表作である。
往年の名指揮者、フルトヴェングラーが、ある時この「運命」の演奏のリハーサルの時に、ある名門オーケストラに対して言った言葉がある。
「あなた方は、この曲をもう100回以上、演奏している。しかしその事を、誰にも気づかせてはならない!」と。
つまり、惰性で演奏するな、この曲の初演のような気持ちで演奏しなさい、と言いたかったのではないか。聴衆の良く知ってる曲だからこそ、まるで今生まれた音楽のように。
クラシック音楽が生まれてから何百年も経った現在でも、毎年、世界各地で演奏会が行われ、新しい録音のCDが発売されている。
人それぞれ感性や好みも違う。ある評論家が酷評した演奏でも、他の誰かは絶賛することもある。ひとつの演奏に対する受け止め方は千差万別なのだ。
演奏家も世界に星の数ほど存在し、その曲に対する考えや解釈、表現は、当然異なる。同じ演奏はひとつもない。日本でも人気のあった指揮者、カラヤンはベートーヴェンの交響曲全集を生涯に3回も録音している。年齢を経るごとに、以前よりもっと良い演奏ができると考えたのかもしれない。
そこにクラッシク音楽を聴く醍醐味、楽しみがあると思う。同曲異演こそ演奏芸術の楽しみではないか。
ベートーヴェンの「運命」のCDは以前調べた時に500種類以上あると知った。もちろん他の曲も同様に、何回も繰り返し演奏され、録音されてきた。
聴き手はその中から自分の気に入ったものを探したり、聴き比べたりする。
前述のフルトヴェングラーの言葉は演奏芸術の奥深さを表していると思う。クラッシク音楽、その世界は本当に奥が深く飽きることがないのである。
1年の中で、春になれば緑になり、秋になれば紅くなる。そういった四季の移り変わりの節目節目に私は、上記のような事を胸に刻み、日々大切に生きている。