家内が仕事を辞めてから、私の弁当を作ってくれるようになった。考えてみると、これまで家内に弁当を作ってもらったことは、ほとんどなかったのではないだろうか。少なくとも長く勤めた前の職場では、ほぼ食堂で食べていたし、それ以外でも自分ひとりに対して弁当を作ってくれる機会はなかったはず。確か子供たちがまだ小学生のころは毎日、ママ(家内)の弁当を持って行ってたような気がするが。だからこの歳になって「愛妻弁当」はやや照れくさいが、でも内心は「とうとう俺にもキター」と毎日楽しみにしている。
家内がこうして弁当を作ってくれるのは、もちろん昼食費の節約ということはあるだろうが、おそらく仕事を辞めて「何かしていないと申し訳ない」みたいな気持ちがあるのだと思う。そんなこと気にせず、フリーになった時間をゆったりと過ごせばいいと言ったとしても、結果は同じことになっていたと思う。だから自分は喜んで愛妻弁当を受け入れて、米の一粒一粒を大事に噛み締めて、おかずもしっかりと美味しくいただいて、いつも弁当箱をきれいに空にして家内に返す。その際は、もちろん感謝の気持ちを表すようにしている。なんだか子供に戻ったみたいだが、弁当を作ってくれている家内には本当に感謝しているからだ。
数年前には、自分が弁当を持つなんて考えもしなかった。なにかが少し変わるだけで、またなにかが少し変わる。こうして生活は少しずつ変化している。大したことでないと思っていても、長い時間の流れの中で、我が家の生活もずいぶん変わった。「ああ、ずいぶん遠いところまで来てしまったな」と。ふと振り返るとそう感じる。
身体の不調は続いているけれど、些細だがこんな恵まれたことはないと思っている。これが幸せということなのかもしれない。
