母のいない日常 | 在宅介護から特養への日々

在宅介護から特養への日々

一人暮らしの母が83才で脳梗塞で倒れ半身麻痺になり車椅子生活になり、施設は断固拒否のワガママな母を引き取り同居。姉は介護拒否で音信不通。
介護離職して家族に助けてもらいながら在宅介護を8年。
2024年5月から特養ロングステイ。

GWが終わって10日あまり過ぎて、母のいない日常にも少しずつ慣れてきた。


電話も火曜日に忙しなさそうに切られたから、2日間かけてない。


母からも電話はかかってこない。


心配した程に泣き言は続かなかったし、施設からも何ひとつ連絡が無い。


認知症の母親を抱える学生時代の友人が母の施設入所を知ると複雑な返信。


分かる、本当に分かる。


姉妹がいても協力も無く、在宅介護で仕事を辞めて、認知症の母親の介護だけで日常を過ごして3年の友人。


同じ立場の介護者が肩の荷を下ろすと、一抹の寂しさを私も感じてきた。


自分の貴重な時間をただ介護のみに費やす日々を、先に卒業していく面々に羨ましさを感じなかったことが無い。


それ程に半身麻痺で車椅子の母の介護は心身を疲弊させた。


親としての威厳を振りかざしながら、私にシモの世話をさせて、食事の支度もさせて、着替えすら一人ではままならなかった母。


起きてから寝るまで手のかかる母が「早くお迎えに来て欲しい」と父の遺影に大声で叫ぶ時は、私への介護の至らなさや不満がある時だった。


「迷惑かけて申し訳ない」なんて言葉も態度も無く、悪びれる事なくビールを飲み干してきた母。


欲しい物は気配りで出さなければならず、母が気に入らなかったら泣かれるだけ。


姉弟の中で私一人、習い事も大学進学もさせてもらえなかったのに、高卒で働いてから私が進学を断ったと身内や親戚や友人にふれまわった母。


「アンタはいらんかった子」と言って、私だけ家のことをさせられても後ろめたさで文句も言えず。


幼い頃の虐待は未だに心の中から消えていない。


暗闇が嫌いな私は明かりをつけたままでしか今も眠れない。


グルグル巻きにされて暗い押し入れに放り込まれて放置されたり、3才にもならない私を父が帰る前まで暗闇の外に放り出したりした母。

入浴中に弟の体を洗いながら、洗面器からお湯を顔にぶっかけられたりした。


私がアニメソングを歌っていた事が怒りに火つけたらしい。


「何が楽しいねん!!」


鬼の形相の母が優しく弟の体は洗ってた。



ハタキや衣紋掛けや布団叩きで殴られ続けた日々。


告げ口が出来る年齢になったら大声で脅すだけになったけど、今でも夜道は嫌い。


結婚してから産後の私の健診で小さい娘を預けた時に、娘が火のついたように泣いた時があった。


私が玄関を出る一歩前に娘をつねったのか、「ぎゃーっ」と泣いた娘の声は忘れない。


健診時間が迫り、泣く泣く実家を後にしたことがあった。



それ以来、父の居ない日に幼い娘を預けることは止めた。




介護が必要になった母に仕返しをせずに済んで本当に良かった。


家族に恵まれたおかげで、母の手を取ることが出来た。


私一人だったら長くは続かなかった。


一人で母親を介護する友人には頭が下がる。


私よりずっと、私よりもっと、たくさんの苦悩を抱えてるはず。


明日は母の面会に行こうと思ってる。