【お報せ】台風2号到来のため畑作業は延期です。~NPOつげ×奈良県立大学 村田ゼミ 都祁班の活動
こんにちは。
奈良歴史ミステリーハンターです。
先日のこの記事「畑をはじめます。―都祁においでよ 」で、
都祁のとある場所で、畑をはじめることを宣言しました。
予定では、本日(5月29日)、畑を耕しタネイモを植える予定でした。
しかし、
台風2号到来のため中止にします。
今回、参加表明いただきました方、ご了承ください。
「畑がはじまります。― 都祁においでよ 」へつづきます。
>20年後の世界 ― 国津神社の御造営
>ふたつの国津神社の伝説
奈良歴史ミステリーハンターです。
先日のこの記事「畑をはじめます。―都祁においでよ 」で、
都祁のとある場所で、畑をはじめることを宣言しました。
予定では、本日(5月29日)、畑を耕しタネイモを植える予定でした。
しかし、
台風2号到来のため中止にします。今回、参加表明いただきました方、ご了承ください。
「畑がはじまります。― 都祁においでよ 」へつづきます。
>20年後の世界 ― 国津神社の御造営
>ふたつの国津神社の伝説
空からおちてきたのは・・・? 空鞘稲生神社 ~ 毛利輝元公も崇拝した神社 広島市中区本川町
こんにちは。
広島在住の広島歴史ミステリーハンターです。
原爆ドームで有名な広島平和記念公園は、川の中州に位置します。
そのやや上流に、空鞘稲生神社(そらさやいなうじんじゃ)はあります。
天文年間(1532~1555)の創建と伝えられています。
御祭神は、
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇気母智神(うけもちのかみ)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)
この近辺の産土神様です。

地図をしらべていたときに、「空鞘」とは不思議な名前だなぁと思いました。
近くには「空鞘通り」、「空鞘橋」があります。
現在は、本川町ですが、昭和40年の町名改正までは、このあたりは空鞘町(そらさやちょう)と称していました。
「空鞘」の由来は、その昔、社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛っていたことから、社名となったと伝えられています。
それがそのまま周辺の町名となっていたのですね。
広島城を築城した毛利輝元公の崇敬厚くかなりの社領も有していました。
早朝、おとずれたところ、近所の人がかわるがわる、この神社に参拝する姿をみうけられましたね。
「広島城と広島東洋カープの意外なカンケイ
~毛利元就が愛した広島。輝元の平和への誓い」へつづきます。
広島紀行「広島の初夏。広島歴史ミステリーハンター★鈴木です。(^O^)/」より
広島在住の広島歴史ミステリーハンターです。
原爆ドームで有名な広島平和記念公園は、川の中州に位置します。
そのやや上流に、空鞘稲生神社(そらさやいなうじんじゃ)はあります。
天文年間(1532~1555)の創建と伝えられています。
御祭神は、
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
宇気母智神(うけもちのかみ)
和久産巣日神(わくむすびのかみ)
この近辺の産土神様です。

地図をしらべていたときに、「空鞘」とは不思議な名前だなぁと思いました。
近くには「空鞘通り」、「空鞘橋」があります。
現在は、本川町ですが、昭和40年の町名改正までは、このあたりは空鞘町(そらさやちょう)と称していました。
「空鞘」の由来は、その昔、社頭の松の大木に刀の鞘のみが掛っていたことから、社名となったと伝えられています。
それがそのまま周辺の町名となっていたのですね。
広島城を築城した毛利輝元公の崇敬厚くかなりの社領も有していました。
早朝、おとずれたところ、近所の人がかわるがわる、この神社に参拝する姿をみうけられましたね。
「広島城と広島東洋カープの意外なカンケイ
~毛利元就が愛した広島。輝元の平和への誓い」へつづきます。
広島紀行「広島の初夏。広島歴史ミステリーハンター★鈴木です。(^O^)/」より
- るるぶ広島 宮島 尾道 呉 鞆の浦 岩国’11 (るるぶ情報版地域)/著者不明

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真実は時の彼方。漢国神社に伝わる徳川家康の鎧伝説 ~ 戦国 漢国神社
漢国神社での伝説に「桶屋と徳川家康と真田幸村
」があります。
慶長19年(1614)、大坂の陣(大坂冬の陣)の緒戦の頃。
徳川家康は、 木津の戦いで真田幸村に大敗を喫し、奈良まで逃げ込みます。
このとき漢國神社の前の桶屋にかくまってもらい、九死に一生を得ます。
大坂の陣を終えた後、家康は命を助けてくれた桶屋に沢山の褒美を与え、漢國神社に自らの鎧と兜を奉納したのでした。
【詳しくは「桶屋と徳川家康と真田幸村 」を参照ください。】
その鎧(復元)がこちらです。
漢国神社の境内にある社務所脇に展示されています。
本物は、現在、奈良国立博物館に保管されています。
兜はいつの時代かに破損し破棄されたとか。
破棄された兜がどんな形をしていたかは記録にはないそうです。
・・・
しかし家康が眞田幸村に大敗を喫し奈良に逃げ込んだなどと、
大阪の陣の戦史には、見受けられないお話のようです。
その点を禰宜の方に伺ったところ、
「そういいはる人も多くいらっしゃいます。
だけど実際に物が贈られているんですね。
まったく否定はできへんと思いますよ。」
と穏やかに返されました。
おっしゃる通り、伝承として残された所以には、何かあるのでしょうね。
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桶屋と徳川家康と真田幸村
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大坂の陣を終えた後、家康は命を助けてくれた桶屋に沢山の褒美を与え、漢國神社に自らの鎧と兜を奉納したのでした。
【詳しくは「桶屋と徳川家康と真田幸村 」を参照ください。】
その鎧(復元)がこちらです。
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本物は、現在、奈良国立博物館に保管されています。
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破棄された兜がどんな形をしていたかは記録にはないそうです。
・・・
しかし家康が眞田幸村に大敗を喫し奈良に逃げ込んだなどと、
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その点を禰宜の方に伺ったところ、
「そういいはる人も多くいらっしゃいます。
だけど実際に物が贈られているんですね。
まったく否定はできへんと思いますよ。」
と穏やかに返されました。
おっしゃる通り、伝承として残された所以には、何かあるのでしょうね。
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