2012年01月26日

桶屋 と 徳川家康 と 真田幸村 ~算命学と奈良歴史 漢國神社 春日大社(再掲載)

テーマ:奈良 歴史人物

連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】


第八弾、 徳川家康


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近鉄奈良駅から、大阪方面へ大通りに歩き、
三条通りと交差する、やすらぎの道へと進みます。
やがて、町の中の小道に大きな鳥居が現れます。

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その先には”漢國神社”があります。
園神として大物主命
韓神として大己貴命少彦名命を祀っています。


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境内の一角に林神社(りんじんじゃ)があります。
貞和5年(1349)、中国から渡来した林浄因(リンジョンイン)が、漢国神社で、日本初の饅頭(まんじゅう)を作ったと伝えられています。
この由来から、日本唯一の饅頭の神社として製菓業者の信仰を集めています。
林浄因の命日である4月19日には、全国の製菓業者が集まり、「饅頭祭」が開催されます。

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さて、この漢國神社には「桶屋と徳川家康」のお話が伝えられています。

豊臣秀吉が亡き跡、世は再び乱れようとしていました。
豊臣、徳川と軍がわかれ、関ヶ原の合戦、そして大坂の陣を迎えることとなります。

慶長19年(1614)、大坂の陣(大坂冬の陣)の緒戦の頃。
徳川家康の軍は、二条城を後にし、何故か奈良を経由します。
法隆寺をまわり、摂津から住吉に詣で大坂の茶臼山の陣に向かいます。

このお話は、奈良に立ち寄った時に起こったものと推察されます。

木津の戦い徳川家康は、真田幸村に大敗を喫し、奈良まで逃げ込みます。

そんな戦乱の最中のことでした。

漢國神社の前で、桶屋が桶をなおしていました。
すると、なにやら物々しい騒ぎが方々から聞こえてきます。
戸を叩く音に、なんだろうと思い戸を開きます。
真っ青な顔の鎧武者でした。
大将らしき武者をおぶさり中を見回すと言いました

「その桶の内に、我らが殿を隠してはくれぬか」
その殿こそ、誰であろう、徳川家康、その人でした。

驚いた桶屋でしたが、快く承知しました。
そして何食わぬ顔で、再びトントントン・・・と桶の修理にかかります。

このとき家康は齢70を超えています。

真田幸村は、得意の占いで漢國神社の前まで追ってきました。
しかし不思議なことに、ここで家康の気配を見失います。
家来に命じ、村中を探させますが、果たして見つけだすことができませんでした。
危うくのところを命拾いをした家康でした。

しかし、家康は、また真田幸村に追われます。
次に、春日大社へ逃げ込みました。

今度は真田幸村自ら先頭に立ち境内を探索します。
ふと気配を感じ取り、あろうことに幸村は、祠に槍を突き立てます。
手ごたえなしとみると、次々と祠を突きます。
最後に、残ったのは本殿の祠でした。
ここに家康が身をひそめていました。

幸村は、本殿の祠である遠慮から躊躇します。
やがて槍をおさめ引き揚げてしまいました。

奈良で九死に一生を得た家康。

大坂の陣を終え、世の中は徳川の天下となります。
家康は命を助けてくれた桶屋に沢山の褒美を与え、漢國神社に自らの鎧を奉納したのでした。
(現在は、奈良国立博物館に展示。)
また、春日大社に二万五千石の社領を与え、徳川が保護することになったのでした。
 
 
■山の寺念佛寺
表通りから外れた路地奥に、「念佛寺」があります。

奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-山の寺念佛寺

漢國神社の真裏手にあたります。
元和8年(1622)松平定勝が、油坂漢国町を買い受けました。
袋中上人を開山として山の寺「念仏寺」を建立しました。
山門には、葵の紋があります。

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こちらの掲示板に、先のお話が記されていました。
奈良ふしぎ歴史徹底攻略! 学校・教科書では教えてくれない奈良を親子でも100倍楽しめる観光ガイドブックブログ-山の寺念佛寺
(クリックすると拡大します。)

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大阪の陣の戦史には、見受けられないお話のようです。
それでも伝承として残された所以はなんであるのでしょうね。
民間人が家康を助け、そのため特権を許されたお話は多くあります。
これも何かの役目を果たした者の経緯が、逸話として残されたのでしょうか。

しかし、春日大社をあらした真田幸村の豊臣方と、春日の神様の庇護を受けた徳川家康。
互いの勝敗と命運を示唆するようなお話ですね。
 

目算命学カウンセラー紅星くれないぼし先生の鑑定結果は、こちら。

連動企画【算命学で見た、奈良・歴史上の人物とミステリー】


第八弾 「徳川家康  







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関連情報:


目紅星先生との連動企画で紹介した歴史上の人物はこちら。

 第一弾、豊臣秀長

 第二弾、筒井順慶

 第三弾、吉村寅太郎

 第四弾、菅原道真

 第五弾、中将姫

 第六弾、聖徳太子。

 第七弾、志賀直哉。





 

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コメント

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1 ■こんばんは☆

奈良にはまだ一度も行ったことがありません。

でも、生まれ変わったら、橿原で発掘生活を送ってみたいです。

2 ■家康って・・・

たぬきじじい とか言われて あまり

いいイメージではないと おもっていたんですが

本当は いいところが 沢山あったんでしょうか

いろんな 所で 助けられていたんですね

人徳ですか・・・

3 ■Re:こんばんは☆

>ちい★さん
現世のうちに、一度、訪れてみてくださいね。
(^_^)v

4 ■Re:家康って・・・

>banmamaさん
有名なお話では、本能寺の変の直後、堺にいた徳川家康が、明智光秀の手からのがれるため、伊賀越えをしたときの話ですね。

伊賀忍者や、伊賀の百姓たちが、家康を助けたとあります。

武将同士の駆け引きはさることながら、

あちこちで民衆に助けられ、その恩を後に返した話は沢山ありますね。

5 ■無題

漢国神社の宮司は、同じ年に勤めだした同僚の先生です。
前にお伺いした時には、鎧は漢国神社で展示されていましたが、今は博物館ですか。
秋の節用集には毎年参加をしています。

6 ■ホー(*゚∀゚)*。_。)

家康って奈良に縁があるんですね。もし桶屋が助けてなかったら首都は大阪になってたかも(笑)
いつも歴史本を読むとそう考えてしまうひねくれたシンチャでした。煜

7 ■春日大社

徳川家と関係のない藤原氏の神社なのに、春日の局の名前とか桂昌院が莫大な寄進をしたことや、徳川家が春日大社を保護してきた理由があるんですね。

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