奈良の大仏炎上と再興~戦国の鷹山氏と江戸時代の公慶上人。生駒・茶筅の里から東大寺 大仏殿の因縁
奈良では城が100以上も存在しています。
大半は”城跡”になっていますね。
それだけ、大和国には国主・豪族があふれかえっていたのですね。
さて、生駒市高山町は、かつて鷹山(たかやま)氏が治めていました。
そのお城は、今では高山城跡として残されています。
実は、私が住んでいるのが生駒市。
お隣の町なんですね。
生駒市高山町は茶筅の里として名を馳せております。
茶筅の全国シェア90%を占めています。
そもそも茶筅は室町時代に鷹山氏(たかやまし)が考案したものです。
鷹山氏が没落した後、家臣たちや、多くが武士は帰農します。
中には茶筅師に転じ、今にその伝統を伝えているということです。
鷹山氏は、清和源氏の流れを汲むとされる名家です。
応仁の乱から戦国時代にかけては、大和の一大勢力であった越智・古市氏に与していました。
さて”奈良の大仏”として親しまれる東大寺。
これを建立したのが平城京遷都し、平城京を治めていた聖武天皇です。
修学旅行でもみなさん、訪れたことがあるのではないでしょうか。
ところが戦国時代、松永久秀によって、奈良の大仏が、無残にも焼き払われてしまいました 。
・・・
永禄10年(1567)10月10日、深夜。
松永久秀と、三好三人衆と筒井順慶との戦いで、東大寺は炎上します。
大仏は猛火によって溶け崩れ、頭部は像の背後に落下しました。
松永久秀と組んでいたのがこの鷹山氏です。
天正5年(1577)10月10日。
松永久秀は、信貴山城で織田と筒井順慶の軍によって滅ぼされます。
鷹山氏もこのとき、筒井氏に攻められ滅亡します。
・・・
時は流れ・・・江戸時代。
鷹山氏を先祖とする「 公慶上人(こうけいしょうにん)」が現れます。
大仏殿の大仏は、江戸時代まで鎌倉の大仏のように雨ざらしの状態であったそうです。
それを再興したのが、この公慶上人でした。
・・・
東大寺が炎上して、およそ100年後のことです。
東大寺に修業にはいった13歳の公慶上人。
このとき強い雨が降っていました。
そこで公慶上人は、風雨にさらされた大仏さまを目の当たりにし涙したとあります。
そして、大仏殿再興を心に誓ったそうです。
貞享1年(1684)。
大願を心に秘めた公慶上人
幕府に大仏修復を願い出ましたが、幕府は協力を拒みます。
ただ一つ、東大寺が寄付をもとめ勧進するのは容認しただけでした。
公慶上人は、勧進を開始し、翌年には復興着手した。
1689年12月、松尾芭蕉が東大寺を訪れました。
このときの大仏の様子をこう俳句を詠みました。
「初雪やいつ大仏の柱立て」
いつになったら大仏殿は再興するのだろうと嘆いた歌でした。
芭蕉の心配をよそに、着々と大仏の修復が進められます。
元禄5年(1692)3月8日。
大仏開眼供養が盛大に営まれました。
いよいよ大仏殿の復興です。
公慶上人の熱い思いが将軍に伝わり、徳川綱吉公と桂昌院の支援を受けることがかないました。
宝永2年(1705)4月。
無事、大仏殿上棟式が執り行われ、ここに再興したのでした。
同年7月、公慶上人は疲労がたたり亡くなります。
焼き払ったのが松永久秀、そして加担した鷹山氏。
その業を、子孫の公慶上人が償うかのように再興する。
ちょっと因縁めいたものを感じますね。
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2.日本最初の福祉。光明皇后 法華寺
3.呪われた都・平城京。権力闘争の果てに
4.行基登場。世界初の黄金大仏を建立。
5.ガンダムを超える奇跡!大仏開眼!
★奈良の武将「筒井順慶」と観光のお話です。
「奈良・大和 王道の武将、筒井順慶」
その1
その2
その3
★もうひとりの奈良の武将、鷹山氏(たかやまし)についてのお話です。
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1.茶せんの里、生駒市高山町。竹の名産地と茶道具の歴史
2.高山城跡を訪れました。
3.高山城跡と東大寺大仏殿との意外な関係
4.素朴な味のお菓子。 高山製菓 ~生駒市高山町
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実は、私が住んでいるのが生駒市。
お隣の町なんですね。
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茶筅の全国シェア90%を占めています。
そもそも茶筅は室町時代に鷹山氏(たかやまし)が考案したものです。
鷹山氏が没落した後、家臣たちや、多くが武士は帰農します。
中には茶筅師に転じ、今にその伝統を伝えているということです。
鷹山氏は、清和源氏の流れを汲むとされる名家です。
応仁の乱から戦国時代にかけては、大和の一大勢力であった越智・古市氏に与していました。
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これを建立したのが平城京遷都し、平城京を治めていた聖武天皇です。
修学旅行でもみなさん、訪れたことがあるのではないでしょうか。
ところが戦国時代、松永久秀によって、奈良の大仏が、無残にも焼き払われてしまいました 。
・・・
永禄10年(1567)10月10日、深夜。
松永久秀と、三好三人衆と筒井順慶との戦いで、東大寺は炎上します。
大仏は猛火によって溶け崩れ、頭部は像の背後に落下しました。
松永久秀と組んでいたのがこの鷹山氏です。
天正5年(1577)10月10日。
松永久秀は、信貴山城で織田と筒井順慶の軍によって滅ぼされます。
鷹山氏もこのとき、筒井氏に攻められ滅亡します。
・・・
時は流れ・・・江戸時代。
鷹山氏を先祖とする「 公慶上人(こうけいしょうにん)」が現れます。
大仏殿の大仏は、江戸時代まで鎌倉の大仏のように雨ざらしの状態であったそうです。
それを再興したのが、この公慶上人でした。
・・・
東大寺が炎上して、およそ100年後のことです。
東大寺に修業にはいった13歳の公慶上人。
このとき強い雨が降っていました。
そこで公慶上人は、風雨にさらされた大仏さまを目の当たりにし涙したとあります。
そして、大仏殿再興を心に誓ったそうです。
貞享1年(1684)。
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ただ一つ、東大寺が寄付をもとめ勧進するのは容認しただけでした。
公慶上人は、勧進を開始し、翌年には復興着手した。
1689年12月、松尾芭蕉が東大寺を訪れました。
このときの大仏の様子をこう俳句を詠みました。
「初雪やいつ大仏の柱立て」
いつになったら大仏殿は再興するのだろうと嘆いた歌でした。
芭蕉の心配をよそに、着々と大仏の修復が進められます。
元禄5年(1692)3月8日。
大仏開眼供養が盛大に営まれました。
いよいよ大仏殿の復興です。
公慶上人の熱い思いが将軍に伝わり、徳川綱吉公と桂昌院の支援を受けることがかないました。
宝永2年(1705)4月。
無事、大仏殿上棟式が執り行われ、ここに再興したのでした。
同年7月、公慶上人は疲労がたたり亡くなります。
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