高山城跡を訪れました。~ 茶せんの里、生駒市高山町 鷹山氏と公慶上人
「茶せんの里、生駒市高山町」のつづきです。
生駒市高山町では、茶道、茶せんが伝統産業となっています。
現在では、国内生産の90%を占める茶せんの里として知られています。
古代から高山は、南部、河内、山城の三国境として、さまざまな文化の交流が盛んに行われていました。
中世には興福寺一乗院領の荘園となり、鷹山庄と称されます。
この地を治めていたのが鷹山(たかやま)氏は、南部を中心に活躍していました。
その鷹山氏の高山城跡を訪れてみました。
富雄川そばの道から田圃の中に直接はいっていきます。

この田圃の道を進むと、立て札が見えました。
いやはや、目立っていないのでなかなか見つけにくかったですね。

たった590メートル。楽勝です
・・・と思ったら、

見事な竹林の中の坂をのぼります。

こんな道をすすみます。
さすが茶せんの里。竹づくしの道です。

ぐぃぃぃーーーっとのぼって・・・・
(;^_^A

頂上です
高山城跡です。
・・・つづきます。
関連記事
茶せんの里、生駒市高山町 ~ 竹の名産地と茶道具の歴史
★奈良の大仏炎上と再興~鷹山氏と公慶上人
★奈良の武将「筒井順慶」と観光のお話です。
奈良・大和の鎮護を目指す武将のお話です。
算明学の先生が筒井順慶を鑑定しています。
「奈良・大和 王道の武将、筒井順慶」
その1 、 その2 、 その3
生駒市高山町では、茶道、茶せんが伝統産業となっています。
現在では、国内生産の90%を占める茶せんの里として知られています。
古代から高山は、南部、河内、山城の三国境として、さまざまな文化の交流が盛んに行われていました。
中世には興福寺一乗院領の荘園となり、鷹山庄と称されます。
この地を治めていたのが鷹山(たかやま)氏は、南部を中心に活躍していました。
その鷹山氏の高山城跡を訪れてみました。
富雄川そばの道から田圃の中に直接はいっていきます。

この田圃の道を進むと、立て札が見えました。
いやはや、目立っていないのでなかなか見つけにくかったですね。

たった590メートル。楽勝です

・・・と思ったら、

見事な竹林の中の坂をのぼります。

こんな道をすすみます。
さすが茶せんの里。竹づくしの道です。

ぐぃぃぃーーーっとのぼって・・・・
(;^_^A

頂上です

高山城跡です。
・・・つづきます。
関連記事茶せんの里、生駒市高山町 ~ 竹の名産地と茶道具の歴史
★奈良の大仏炎上と再興~鷹山氏と公慶上人
★奈良の武将「筒井順慶」と観光のお話です。
奈良・大和の鎮護を目指す武将のお話です。
算明学の先生が筒井順慶を鑑定しています。
「奈良・大和 王道の武将、筒井順慶」
その1 、 その2 、 その3