高山城跡と東大寺大仏殿との意外な関係 ~ 茶せんの里、生駒市高山町
前回、大和郡山城について調べていた時に知ったのですが、
(参考:戦国奈良!奈良のお城・郡山城のなりたち )
奈良では城が100以上も存在しているそうです。
・・・大半は”城跡”になっていますが。
それだけ、大和国には国主・豪族があふれかえっていたのですね。
さて、生駒市高山町は、かつて鷹山(たかやま)氏が治めていました。
そのお城は、今では高山城跡として残されています。

鷹山氏は、清和源氏の流れを汲むとされ、鷹山頼重が祖とされます。
応仁の乱から戦国時代にかけては、大和の一大勢力であった越智・古市氏に与していました。
戦国末期には、松永久秀と与し、しかし久秀が滅亡後、
天正5年(1577)筒井氏に攻められ滅亡します。
江戸時代には、この鷹山氏の子孫に「公慶上人(こうけいしょうにん)」が現れます。
鷹山氏与した松永久秀が焼き払った大仏殿の大仏は、江戸時代まで鎌倉の大仏のように雨ざらしの状態であったそうです。
それを再興したのが、この公慶上人でした。
ちょっと因縁めいたものを感じましたね。
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算明学の先生が筒井順慶を鑑定しています。
「奈良・大和 王道の武将、筒井順慶」
その1 、 その2 、 その3
(参考:戦国奈良!奈良のお城・郡山城のなりたち )
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それを再興したのが、この公慶上人でした。
ちょっと因縁めいたものを感じましたね。
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