石上神宮を参拝。そして石上神宮の歴史~奈良 パワースポット巡り石上神宮と三輪山・大神神社 ―2―
魔法使いかぼす
さんとゆく「奈良 パワースポット巡り石上神宮と三輪山・大神神社」のその2です。
その前の記事です。゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
報告!奈良 パワースポット巡り
その1.作法をしりましょう。
゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆゚・:,。゚・:,。★゚・:,。゚・:,。☆
奈良天理市 石上神宮(いそがみじんぐう)
奈良 パワースポット巡りの最初に訪れた石上神宮では、この日、七五三が執り行われており、親子、祖父母を伴った参拝者が多く、賑やかでした。
鶏たちもあいかわらずでしたね。
一の鳥居の前で、魔法使いかぼす さんから、境内に入る前の作法と、エネルギーの感じ方の説明をいただきました。
一の鳥居をくぐったとき、ひとりひとりが境内のエネルギーの変わり具合を感じるのを試みてみます。
入ってみて、もう一度、引き返し出てみる。
空気の違いを感じてみる。
人によっては、感じ方が違うそうです。
見える人、空気がひんやりして感じる人、ときには、香りで感じる人がいるそうです。
参加者の一人が、「私には分からないですね」と、取り残されたように困った様子でおっしゃいます。
意識していれば、少しずつわかってきますよと優しく諭されます。
さて、鳥居をくぐったら参拝の折に、絶妙なタイミングで、太鼓のがうちならされました。
こういう場合、魔法使いかぼす さんがおっしゃるには、吉兆であると。
つまり神様が我々の来訪を歓迎している印であるということだそうです。
一行が参拝をすませます。
その後は、拝殿の前で、しばし、好きなようにします。
つまり、ぼーーーぅとするのですね。
禁足地を拝んだ後、境内の鶏が、
コケコッコ~~~~~~~~~~~~~~~おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・・・・・・・
と、ありえないくらい、ながぁぁぁぁぁく鳴きつずけていました。
こういうのも、吉兆なのかな。
奈良天理市 石上神宮(いそがみじんぐう)の歴史について少しまとめてみました。

大和朝廷発祥以来の古社です。
布都御魂神(ふつのみたまのかみ)、
布留御魂神(ふるのみたまのかみ)、
布都斯魂神(ふつしみたまのおおかみ)を祭神とする。
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)、
五十瓊敷命(いしきのみこと)、
白河天皇、市川臣を配祀としています。
伝説では、物部氏の祖神、饒速日(ニギハヤヒ)命は、大和朝廷が成立していた以前に、
天磐船(あまのいわふね。天空を飛ぶ船)にのって河内へ降臨し、大和へ遷り住んだとされます。
古事記・日本書紀では天孫降臨(日向族、または天津神の一族)一員と記されますが、
一方では、スサノオウを開祖とする出雲系民族の一族であるとも言われています。
ニギハヤヒは、神武東征 のおり、イワレビコ(神武天皇)に真っ先に帰順しました。
ニギハヤヒ
の子、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)は、瑞宝十種(みずのたからとくさ)を天皇に献上しました。
ニギハヤヒ、そして、ニギハヤヒ
の子、宇摩志麻治命が、後の大豪族・物部氏の祖となります。
宮中で祀られていました瑞宝十種を、「石上大神」として祀ったのが当社の創建となります。
それからは、石上神宮は軍事、政治、祭事にわたって大和朝廷を守護する聖地として機能していました。
もともとは、桜井市三輪の大神神社と同様に本殿のない社です。
かつては拝殿からその背後の禁足地を遥拝していたとされています。
そこに霊剣「布都御霊」が安置されているといいつたえられています。
明治時代に「禁足地」を発掘したところ、御神体をはじめ多数の宝物が出土しました。
伝説の霊剣「布都御霊」は見つかってはいないそうです。
大正時代には、禁足地に本殿が造営され、そこに御神体が安置されました。
同じく神倉に出土した宝物をはじめ、国宝「七支刀」が収められました。
「禁足地!? 石上神宮と石上神宮国宝「七支刀」 」、
「石上神宮に秘められた謎。 死者蘇生の呪文 」より抜粋。
次に一行が訪れたのが、お向かいの出雲武雄神社です。
次回、「光とあそぶ。出雲武雄神社を参拝と歴史 」へ、つづきます。
三輪山、大神神社の目次はこちら。
「大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】 」
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報告!奈良 パワースポット巡り
その1.作法をしりましょう。
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奈良天理市 石上神宮(いそがみじんぐう)
奈良 パワースポット巡りの最初に訪れた石上神宮では、この日、七五三が執り行われており、親子、祖父母を伴った参拝者が多く、賑やかでした。
鶏たちもあいかわらずでしたね。
一の鳥居の前で、魔法使いかぼす さんから、境内に入る前の作法と、エネルギーの感じ方の説明をいただきました。
一の鳥居をくぐったとき、ひとりひとりが境内のエネルギーの変わり具合を感じるのを試みてみます。
入ってみて、もう一度、引き返し出てみる。
空気の違いを感じてみる。
人によっては、感じ方が違うそうです。
見える人、空気がひんやりして感じる人、ときには、香りで感じる人がいるそうです。
参加者の一人が、「私には分からないですね」と、取り残されたように困った様子でおっしゃいます。
意識していれば、少しずつわかってきますよと優しく諭されます。
さて、鳥居をくぐったら参拝の折に、絶妙なタイミングで、太鼓のがうちならされました。
こういう場合、魔法使いかぼす さんがおっしゃるには、吉兆であると。
つまり神様が我々の来訪を歓迎している印であるということだそうです。
一行が参拝をすませます。
その後は、拝殿の前で、しばし、好きなようにします。
つまり、ぼーーーぅとするのですね。
禁足地を拝んだ後、境内の鶏が、
コケコッコ~~~~~~~~~~~~~~~おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・・・・・・・・・・
と、ありえないくらい、ながぁぁぁぁぁく鳴きつずけていました。
こういうのも、吉兆なのかな。
奈良天理市 石上神宮(いそがみじんぐう)の歴史について少しまとめてみました。

大和朝廷発祥以来の古社です。
布都御魂神(ふつのみたまのかみ)、
布留御魂神(ふるのみたまのかみ)、
布都斯魂神(ふつしみたまのおおかみ)を祭神とする。
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)、
五十瓊敷命(いしきのみこと)、
白河天皇、市川臣を配祀としています。
伝説では、物部氏の祖神、饒速日(ニギハヤヒ)命は、大和朝廷が成立していた以前に、
天磐船(あまのいわふね。天空を飛ぶ船)にのって河内へ降臨し、大和へ遷り住んだとされます。
古事記・日本書紀では天孫降臨(日向族、または天津神の一族)一員と記されますが、
一方では、スサノオウを開祖とする出雲系民族の一族であるとも言われています。
ニギハヤヒは、神武東征 のおり、イワレビコ(神武天皇)に真っ先に帰順しました。
ニギハヤヒ
の子、宇摩志麻治命(うましまじのみこと)は、瑞宝十種(みずのたからとくさ)を天皇に献上しました。
ニギハヤヒ、そして、ニギハヤヒ
の子、宇摩志麻治命が、後の大豪族・物部氏の祖となります。
宮中で祀られていました瑞宝十種を、「石上大神」として祀ったのが当社の創建となります。
それからは、石上神宮は軍事、政治、祭事にわたって大和朝廷を守護する聖地として機能していました。
もともとは、桜井市三輪の大神神社と同様に本殿のない社です。
かつては拝殿からその背後の禁足地を遥拝していたとされています。
そこに霊剣「布都御霊」が安置されているといいつたえられています。
明治時代に「禁足地」を発掘したところ、御神体をはじめ多数の宝物が出土しました。
伝説の霊剣「布都御霊」は見つかってはいないそうです。
大正時代には、禁足地に本殿が造営され、そこに御神体が安置されました。
同じく神倉に出土した宝物をはじめ、国宝「七支刀」が収められました。
「禁足地!? 石上神宮と石上神宮国宝「七支刀」 」、
「石上神宮に秘められた謎。 死者蘇生の呪文 」より抜粋。
次に一行が訪れたのが、お向かいの出雲武雄神社です。
次回、「光とあそぶ。出雲武雄神社を参拝と歴史 」へ、つづきます。
三輪山、大神神社の目次はこちら。
「大神神社 古事記の山「 三輪山 」【総集編】 」