世界トップクラスを目指す マーケティング戦略 -3ページ目

世界トップクラスを目指す マーケティング戦略

超ー本気で行くぞ!世界トップクラスを目指す

政府に対する幻滅、社会の問題を解決する能力への不信が強まっている。
今日、企業や大学に社会的責任を要求する人達も、一世代前には、社会的な問題は全て政府が解決できると考えていた。
しかるに今日、政府主導を支持する者さえ、あるいは日本、スエーデン、ドイツのように政府への敬意と信頼が残っている国でさえ、政府に対する期待は大きくない。
強力な政府を望む者でさえ、政府の手にゆだねれば問題は解決するとは思ってはいない
社会的責任について企業への要求の底にあるものは、企業のマネジメントが社会のリーダー的な階層としての地位を受け継いだとの考えである。
リーダー的な階層としてのマネジメントの台頭、政府への幻想の増大、生活の量から質への重点の移行の結果、企業活動の中心に社会への関心を据える事を要求する声が大きくなった。
それは、生活の質の向上こそ、企業の事業であるべきとの要求である。
かつては、社会の価値と信条、個人とその自由、よき社会を損なうことなく、いかにして自動車や靴を作るかが問題だった。
これに対して新しい要求は、企業こそ社会の価値と信条を形成し、個人の自由を実現し、良き社会を作れという。
今日このような要求が、マネジメントが新しい考えを持ち行動することを不可欠にしている。
過去の方法では処理することはできない
もちろんパブリック・リレーションでは処理できない
社会貢献についての要求についてよく聞かれる解説は間違っている。
要求の高まりは、企業に対する敵意から出てきたものではない
過大な期待を生んだものは企業の実績である。
社会的責任についての要求は、多分に成功の代償である。
先進国では、経済的な成功は当然のこととされている。
いまや経済活動は万能である、ないしは万能なはずである。
従って、人類の三分の一を一世紀の間に豊かにした同じ力が、残りの三分の二をさらに短期間で豊かにできるはずである。
少なくとも急速な発展を可能にするはずである。

今日、われわれが生活の質について心配できるという事実こそ、成功のあかしである。
過去において生活の量における成功をまたらしたリーダー的な階層が、今日、生活の質についての責任を期待されていることは当然にすぎない
単純素朴である。
不合理ではない
確かに社会的責任を求める声は、あまりに多くを期待してる。
だが、正しいことを期待してる。
その声の底にあるものは、権威に対する敵意ではない
マネジメントに対する過信である。
社会的責任を論ずるとき、重点はまったく別のところにある。
社会の問題に取り組み解決するために、企業は何を行い、何を行うべきか
人種差別をはじめとする社会問題や環境問題の解決について、行いうる貢献に重点が置かれている。
スウェーデンでは、大手電機メーカーASEAをはじめいくつかの大企業が、60年代末、アフリカのある大規模電力プロジェクトに参加したことを非難された。
このプロジェクトは、国連が支援し、世銀が融資し、スウェーデンの社会党政権が保証していた。
目的はアフリカの極貧地域の生活水準の向上だった。
ただし、それはポルトガルの植民地だった。
その為、プロジェクトに参加した企業は、生活水準の向上を助けることによって植民地主義を支援したと非難された。
企業の社会的責任についてのもっとも強い要求は、60年代に出されたニューヨーク市長ジョン・リンゼイの声明に見る事が出来る。
彼は、ニューヨークの大企業に対して、黒人居住区の面倒を見、住民が生計の資を得、教育を受け、職を得る事が出来るようにしてほしいと要請した。
加えて、黒人家庭の夫や父が、家族とともに住めるようにしてほしいと訴えた。