以下はがんになったら
からの拡散記事です:
ウッデイアレンはわたしよりひと世代上であまりすきな監督ではなかった。
ところが
ミッドナイトインパリ
は大傑作でしかもみていてわくわくする映画だった。
彼の映画のなかでも最もすぐれたものに違いない。
妻は飛行機のなかでみたといって、退出しまったが、飛行機のなかでも
彼女には退屈だった映画にちがいない。
ストーリーはこうだ。
映画脚本家で処女小説の執筆に悪戦苦闘中のギル・ペンダー (オーウェン・ウィルソン) は婚約者のイネス (レイチェル・マクアダムス) とその裕福な両親とともにパリを訪れる。ギルはパリに住みたいとさえ考えているが、イネスはマリブに住むと言って聞いてくれない。2人はイネスの友人ポール (マイケル・シーン) と遭遇し、ともに街を回る。イネスはポールを気に入っているものの、彼が偉そうに語る歴史や芸術の薀蓄には間違いが多く、インテリぶったポールがギルにはどうにも鼻持ちならない。
ある夜の12時、ギルは酒に酔ったままパリの街をうろついていると、アンティークカーが止まり、車中の1920年代風の格好をした男女がギルを誘う。そして向かったパーティには、コール・ポーター、F・スコット・フィッツジェラルドと妻ゼルダがいた。そのパーティはジャン・コクトーのパーティだった。そこでギルは、彼が愛して止まない1920年代に来ていたことに気づく。その後、フィッツジェラルド夫妻、ポーター夫妻と行ったクラブでは、ジョセフィン・ベイカーもいた。その後に、フィッツジェラルド夫妻と飲みに入ったバーでは、アーネスト・ヘミングウェイと出会う。ヘミングウェイに自分の小説を読んでくれないかともちかけたギルだったが、ヘミングウェイに「自分は読みたくないが、代わりにガートルード・スタインを紹介しよう」と言われ、舞い上がる。
次の夜、イネスを一緒に誘うが、真夜中になる前にイネスは「疲れた」と帰ってしまう。彼女が帰るやいなや、夜中の12時の鐘が鳴り、古いプジョーが現れた。今度はヘミングウェイが乗っていた。彼と一緒にスタインの家へ行くと、今度はそこにパブロ・ピカソとその愛人、アドリアナがいた。スタインはピカソとピカソの描いたアドリアナの肖像画について論議をかわしていた。そこで初めてアドリアナに会ったギルは、一目惚れしてしまう。
現代と1920年代を行き来しながら、婚約者イネスとの関係とアドリアナに魅かれる自分に悩むギル。しかし、シュルレアリストである、サルバドール・ダリ(エイドリアン・ブロディ)、ルイス・ブニュエルとマン・レイからは、「それはごく自然なことだ」と言われてしまう。
この映画は評論家の評判がよいばかりでなく
興行収入もよいのだ。
知識人以外にも評判がよいのは
よくしられている作家や芸術家がこれでもかこれでもかというくらい
豊かに登場してきていて
しかもみな彼らが若いときはかくありなんといううまさだ。
ピカソ、ヘミングウエイ、フイッツジェラルド、ダリ、モジリアニ、ゴーギャン、ルイ ブニュエル、
ジャンコクトーの若者があちこちにいるのだ。本当にこんな豪華なメンバーは同時代にいたのだろうか>
アレンのサービス精神なのだろうか?
これとくらべて主人公の婚約者とその両親は凡庸な典型的お金持ちのアメリカ人で
アレンはかれらを揶揄しているのだ。
こんな芸術のオールスターが一同にかいしていた時代は時代の宝石だ。
じつはそのような宝石は物理の時代にもあった。
原爆の開発のマンハッタン計画の時代だ。
おかげで、人類は持続する危機の状況だが
こんな時代はまたくるのだろうか。
つくってみたい。