3.11 | ごめんそれほど好きじゃない

ごめんそれほど好きじゃない

好きだけどそれほど熱中してるわけじゃないんです。

あれからもう12年。

東日本大震災が起こったその時、私は実家にいた。

金曜日で、仕事の途中で書類を取りに戻ったんだったか、

母は「ミヤネ屋」を観ていた。

変な揺れだったが、マンションの高層階は特殊な揺れ方をするのでああ、いつものことか、という感じだった。

船に乗っているような感覚がいつもより長く、少し気持ちが悪かった。

観ていた生放送が在阪局だったため、それが未曽有の災害だと気づくのにかなりかかった。

 

この12年の間は色々ありすぎて長いんだか短いんだかわからない。子供の受験や進学で神経も金銭も擦り減るし、自身も癌を患い、父が亡くなり母の非難の矛先が全部私のところに来るし、ゆるキャラみたいな風貌の女に後が継げるのかという風評被害にもめげず信用を勝ち取り、自営業の荒波にもまれ、幾度かのピンチはあったがいつのまにか全てクリアになって今がある。私は運が良かった。

今思うと、数あるピンチの時に、人の言う事を聞いて別の選択をしていたら今頃この会社の存続はなかっただろうと思うとゾッとする。

つくづく、人の助言は無用だと確信した12年だった。

他人も肉親も、私の人生を背負うわけじゃない。

己を信じるのみ。

そして何より、夫がいなくて本当に良かった(笑)

決断の妨げになる存在がいないだけでもストレスが減る。

 

12年経った今が一番、快適に日々を送れているかも。

 

私がそんな風にジタバタと過ごしてきた間、ずっと変わらず

何年経っても同じ温度で被災地へ思いを寄せる人(梨)がいる。羽生結弦さんもそうだし、ふなっしーもそう。

皆、私なんかよりずっとずっと密度の濃い年月だったろうに。今年も震災のあった時間にふなっしーが呟いた。

 

 

あれから12の春を数えました 

皆沢山の出来事がありましたね 

 

泣いたり笑ったり

辛かった記憶も過去になったり 

この先も不安になったり 

それでも強く生きて

寂しいのはきっと愛し愛されたから 

 

どうか子供達の未来が 希望で満ち溢れます様に 

今も頑張っている東北の皆様にエールを 

ずっとこの日忘れずに

 

 

災害がある度に私も寄付はしている。

ふるさと納税だったり、色んな形で何かと心を寄せる事もあるが、継続して支援し続ける彼らには頭が下がる。

そこには私が持ち合わせていない、愛や信頼が溢れていて、

眩しくて目を向けられないほど。

 

そういう真っすぐな人間に生まれたかったと。

ブラッシュアップライフのドラマみたいに、前世の記憶を持ったまま人生をやり直せたら頑張って徳を積もう。

まあ、あの母親から生まれた時点で性格は期待できないが。

 

この国は、というかこの地球は、安心して油断しまくって生きる事がとても難しい。3年ぐらいのスパンで何らかの災いがやってくる。父の言っていた通り、とりあえず死ぬまで生きるだけなんだけど、それでもちょっと面倒だなと思える。

この先、生きてて良かったと思える日が来るのかねえ?

出来れば東南海地震が来る前に寿命を迎えたい。

 

3.11の日になんちゅー後ろ向きなブログを書いてんだか。