国道340号線(岩泉~宮古)レポート(vol.2) | 道路族ぱわふるのぶらり道日記

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休日とかに道路を走った時のことをメインに日記を書いてます。ごくたまに鉄道の旅に出かけて呑んだくれます。また、密かに三陸鉄道応援してたりします。たまに国道レポートも書いてますよー。

みなさん、こんにちわ。


5月12日に国道340号を走行した時の日記の続きですよー。


つーわけで、雄鹿戸トンネルをくぐりましたー。


雄鹿戸トンネルを抜けると、そこは宮古市。


その宮古市側から雄鹿戸トンネルを眺めた。




宮古市側も重厚な佇まい。幾年も刻まれた歴史を感じますな。


その宮古市側の坑口の近くに記念碑が建ってますよ。






開通当時の住民の悲願が表れてますね。


石塔の詩は、歌人、西塔幸子がこの押角峠を超えた時に、そのあまりにも険しい押角峠のことを歌ったものだそうです。


彼女がこの詩を歌った当時は、まだ雄鹿戸トンネルが開通する前だったので、難を極めたことは容易に推測できますね。


さて。それでは雄鹿戸トンネルから先に進みますよ。





宮古市側の坑口のとこに駐車スペースがあるので、ここに車を停めて開通当時のことに想いを馳せていたのでした。


その雄鹿戸トンネルの先も1.5車線路が続きますよ。



 

幾重にもカーブを描きながら進みます。


途中、眼下の景色を眺めることが出来るとこがあるよ。



 

岩泉線が健在だった時、山深い秘境の地を走る岩泉線の列車を撮影することが出来るとこが近くにあったはず。


でも、今となっては道路脇は薮だらけなので、具体的にどこなのか分からんし、分かったとしても入り込むのは危険かもよ。


さて。さらに進むよ。




 

えっちらおっちらと下り坂のカーブをいくつも越えていきます。


しかし、今でこそ舗装されているけど、先ほどの雄鹿戸トンネルが開通した頃は舗装すらされてなかったんだろうね。


人々の往来に重要な路線であったであろうけど、現代では想像できないぐらいに通行に困難を極めただろうね。


そんな九十九折を下っていくと、新しいトンネルの工事現場が見えてきますよ。



 




岩泉線の廃線跡を利用した押角トンネルですよ。


その押角トンネルが見えたとこの国道340号をパシャリ。





国道の右側に工事用の道路が見えるので、新しい国道はソチラ側になるだろうね。


さらに少し進みました。




おにぎり発見。


でも、ちょっと剥げちゃってますな。


旧道になる前に既に旧道の佇まいですね。


んで、この先に工事用の道路との分岐点がありました。




右側が岩泉方面を向いた国道340号。そして、左側が工事用道路。


たぶん、そのまま左側の道路が新しい国道340号になるだろうね。


それでは、押角トンネル開通後もそのまま国道340号として大活躍するであろう区間へ進みますね。





相変わらず1.5車線路が続きますよ。


そして、少し走ったとこにプレハブ小屋があります。





たぶん、先ほどの押角トンネルの工事関係者の詰所だろうね。


そのプレハブ小屋が建っているとこをパシャリ。




これだけ見れば、たまたま広いスペースがあって、そこにプレハブ小屋を建てているだけと思ってしまいそうだけどね。


でも、実は、ここが秘境駅として超有名だった岩泉線の押角駅前広場跡地なんですよ。


プレハブ小屋が無ければ、なんとなく広いスペースがあるなぁ。としか思わないであろう、普通にスルーしてしまいそうな雰囲気。


でも、岩泉線が現役だった頃は、ここに車を停めて、奥に架かってた橋を渡り、そして押角駅に向かってたんですよ。


しかし、今はその押角駅跡に向かう橋が落橋していて、押角駅跡に近寄ることすら出来ない状況ですけどね。


そんな、ここに押角駅があったということすら気付かないような状況になりつつあるこの場所ですが、一つだけ押角駅があったという事実を伝える遺物が残されてました。




 




押角駅の案内標識ですよー。


国道340号の岩泉方面側にだけありました。


特に朽ちているわけでもなく、まさに現役であるかのような佇まい。


これだけ見れば、すぐ押角駅に向かうことが出来て、そこに岩泉線の列車がやって来てもおかしくないような雰囲気だよ。


この案内標識がいつまで残っているのかは定かじゃないけど、出来ますればいつまでも残っていてほしいものですね。


さて。それでは、さらに進みますね。


押角駅跡の先は風光明媚な中を進んでいきます。




 






まさに秘境という雰囲気ですな。ひっそりと静まり返っています。


しかし、岩泉線が現役だった頃は、撮り鉄ファンの皆さんの車がひっきりなしに行き交ってたことでしょうね。


当時の賑やかだった頃に想いを馳せながら、さらに進みました。




 


すると、ちょーっと断崖っぽいとこに。


さすがに、離合するためにはどちらかが後退しなくちゃですよ。


ちなみに、ワタシはここで大型トラックと離合した過去がありまっす。


まぁ、今も押角トンネルの工事中だから、工事用車両が通行するだろうということは容易に想像できるよ。


さて。さらに進んだよー。


すると、センターライン復活。








なんか、ずーっと2車線の快走路が続いちゃいそうな雰囲気。


この雰囲気を信じてもいいんですかね?


快走路を走りました。





今回のゴールである茂市まで13kmという青看があった。


13kmという距離。長いようで短いような。


2車線路がこのまま13kmも続くのでしょうか?


そう思いながら走っていくと、岩手和井内駅跡に至ります。



 


ここを訪れた日にレールバイクに乗ったとこね。


さらに茂市に向かって走りますよ。





岩手和井内駅跡の先も快走路。


レールバイクに乗った時、国道340号のおにぎりがある狭路が見えたんだけど、ソチラは既に旧道になったらしく、新しい快走路が続きますよ。


そして、中里駅跡に。





中里駅跡前も快走路。


ちょいと中里駅跡のホームから国道340号をパシャリ。



 

ごく普通の山間部にある農村の風景。


さらに走った。




茂市まで8kmという青看。


先ほど、センターラインが復活してから、ここまで狭路ナッシング。


以前は何ヶ所か集落内の狭路が残ってたんだけど、バイパス開通で狭路区間が解消されたみたい。


さらに走ったよ。



 


すると、交差点手前の青看に刈屋駅という表示。もちろん、岩手刈屋駅のこと。


岩泉線廃止の後も、こうして駅名が青看に残っているということが嬉しいもんですね。


さて。刈屋まで来れば、茂市はすぐそこ。ラストスパートですよー。





相変わらず、2車線の快走路。ラストスパートするにはもってこいですな。


ラストスパートしていくと、新里大橋を渡ります。






新里大橋を渡って少し走ると、青看が見えてきますよ。




国道106号との茂市交差点を知らせる青看ですよー。


つーわけで、茂市交差点に到着。





今回の国道340号レポートはここまで。


ちなみに、国道340号自体は、この茂市交差点を右折して、しばらく国道106号との重複区間となりますよ。





そして、この先の川井交差点から再び単独区間となり、遠野市を経由して陸前高田市へと至ります。


まぁ、今回は岩泉線跡を巡りつつのレポートだったので、ここまでとなりますが、機会があったら(気が向いたら)この先もレポートしようかと思いますよ。


とにもかくにも、鉄道ファンにとって秘境路線の代名詞とも言うべき岩泉線跡を間近に感じられる国道340号を、道路ファンだけじゃなく鉄道ファンの皆さんもこれからも走っていただきたいものですね。



※おまけ※


2015年4月12日に国道340号を走行した時の岩泉線跡の押角トンネル。


(岩泉側坑口)













(茂市側坑口)