エベレストについて (Part1) | CaptainEOのブログ

CaptainEOのブログ

ブログの説明を入力します。

テーマ:

唐突ですが、今回はエベレストについてお話します。

誰もが知る世界最高峰のエベレストですが、世界最高峰ということ以外は、あまり知られていないのではないでしょうか?少し興味をもって調べてみると、そこには壮絶な世界がありました。

 

 

 

概要

まず、エベレストですが、ネパールとチベット自治区(中国)の国境線上のヒマラヤ山脈の中(北緯275917 東経865531)にある標高8848mの山です。チベット名チョモランマ、ネパール名はサガルマータです。世界第二位はパキスタンのカラコルム山脈にあるK2で標高8611m。ちなみに、8000mを超える山は世界に14座あります。

 

初登頂

エベレストは1953年にイギリス人登山家エドモンド・ヒラリー(1919-2008)とチベット出身のシェルパ、テンジン・ノルゲイ(1914-1986)によって初登頂がなされました。その偉業に敬意を払う形で山頂付近にある急峻な難所の岩場はヒラリー・ステップと名づけられています。

 

エドモンド・ヒラリー(1919-2008)左、テンジン・ノルゲイ(1914-1986)右

 

ジョージ・マロリー

エベレスト初登頂ですが、実はこのヒラリーの前に登頂をしたのではないかと長年議論される人物がいます。イギリス人登山家ジョージ・マロリー(1886-1924)です。この人物は「あなたはなぜエベレストに登るのか」という問いに対し、「そこにそれがあるからだ。Because it's there.」と答えた人物で、この有名な台詞は、後に日本語に訳され「そこに山があるからだ」として広く知られています。しかしその答えは登山家としての山に登る動機ではなく、エベレストにのみ向けられたものでした。彼は、1924年エベレスト頂上付近で行方不明となり、1999年に遺体が発見されました。しかし登頂の証拠となるカメラは発見されず、彼が登頂前に亡くなったのか登頂後に亡くなったのかは未だに決着がついていません。ちなみに、彼の遺体はまだエベレストから回収されていません。

 ジョージ・マロリー(1886-1924)

 

山頂付近に転がる120もの放置される遺体

実はエベレスト山頂付近には現在も120もの登山家の遺体が放置されたままになっています。バクテリアも生存できない過酷な環境のため、遺体はほとんど痛まず、カラフルな登山服につつまれ現在もその姿をありありと晒してます。これらの遺体はロープの張られた登山ルート上にあるので、エベレスト登頂を目指す人間はかならず目にすることになる模様です。

 

デスゾーン

なぜ、これらの遺体は回収されないのか?答えは回収できないからです。標高8000mを超えると、酸素は地上の3分の1になります。標高0m地点にいる人間をこの標高に急にもっていくと、1分で意識を失い、そのまま死に至るそうです。ちなみに、ヘリコプターによる救助も極端な低気圧のため上昇できず山頂まで至れません。加えて、急峻な斜面、吹雪時にはマイナス50度にもなる世界。時に風速は秒速300mを超えます。標高8000mを超えると、肉体は高度順応しないので、どのように鍛えられた人間でも長時間滞在できない死の領域(デスゾーン)となります。したがって、登頂者はほとんど7900mの最終キャンプから酸素ボンベを背負って登頂するのですが、重量の関係で、山頂アタックに必要な分の酸素しか積めません。このような自分の生命維持に精一杯の環境下で、70kgもの遺体を運搬すれば、それだけ時間と酸素、体力が奪われ、今度は自分が「運搬される側」になってしまうのです。この8000m山頂付近での遭難事故はあらゆる悲劇を生んでいて、時にはまだ十分意識のある登山者を見殺しにしなければならないような事態も生んでいます。

 

8000m峰と死亡率

エベレストに限らず、8000m峰では、熟練を積んだ登山者でも遭難し、多数の犠牲者がでています。そのため、非情の山(K2、標高8611m、死亡率26.8%)、人食い山(ナンガ・パルバット、標高8125m、死亡率28.2%)、キラーマウンテン(アンナプルナ、標高8091m、死亡率42.8%)などと呼ばれています。これに比べると近年のエベレストは死亡率5.7%と近年比較的「安全な山」になったんだそうです。登山難易度、危険度は、標高だけでなく、ベースキャンプまでのアクセス、斜面の状況、気象状況、もろもろによるので、より高い山=より危険な山というわけではないようです。ただ言えるのは、

 

「雪よ岩よ 我らが宿り 俺たちゃ街には住めないからに」(雪山賛歌)

、、、、山にも住めないですね。

  K2(8611m世界第二位)

エベレストが近年比較的安全になってきたのは、登山ルートの確立とシェルパと呼ばれる登山サポートを生計とする現地人の存在があります。それ以前はK2やアンナプルナと同じくエベレストも死の山であったことは言うまでもありません。万全な体制であっても、その中に一点でも特異点があれば、それは死に直結します。1996年にはロブ・ホール(1961-1996)、スコット・フィッシャー(1955-1996)率いる商業登山隊2隊が遭難。色々な不具合、判断ミスが重なった上、山頂付近で悪天候に遭遇し、この時一度に日本人女性登山家を含む8名の登山家が死亡ました。この悲劇は映画にもなっています。2014年にはシェルパがアイスフォール上部標高5400m付近でルート工作中雪崩に遭遇。16人が死亡しました。

 

国家プロジェクトから商業ツアーへ

商業隊、あるいは公募隊とは、プロの隊長、ガイドシェルパを供えた企画会社が公募という形で顧客を募集し、彼らのサポートのもと、顧客をエベレスト山頂までアシストするというものです。近年、エベレスト登山は国家が威信をかけて冒険家を送るといったものから、こういったガイド登山へと変貌しています。そうなると、熟練した登山家だけでなく、エベレスト登山を夢見る一般人も条件がそろえばこの公募隊に参加することでエベレスト登頂が目指せるようになりました。

 

(Part2につづく)