声を出すこと。 | 学生国際協力NGO FEST TOKYO メンバーブログ

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国際協力の最先端へ―――― 
現地の自立発展を目指す様々な思いを綴ります。



皆様、こんにちは。
3回目のブログ更新となります。海外事業部の清水です。

さて、このブログを見てくださっているみなさんは中学校や高校でどのような部活に入っていましたか?
私は、中学校高校とバレーボール部に所属していました。
ハードな練習の中、何が私を助けたか。それは、声でした。
仲間の声、コーチの声、そして自分自身の声。
次にボールを触る人を思いやる声、厳しく律してくれる声、自分に気合い入れする声…
いろんな声が、私を奮いたたせてくれました。また、声に出さなければ意識の隅にあるままだった問題点も、意識するようになりました。


このように、「声を出すこと」は人間を奮いたたせ、しかし時には冷静に問題点を頭の中に叩き込んでくれるのです。
「声を出すこと」のもたらすものは、まだまだあります。


今日、私の大学でストリートダンスのバトルがありました。
「ホゥ」とか「ワウ」とか(なんか文字で書くととてつも無く"ダサい"ですね…笑)、「かませー!」だとか「やーばい!」だとか、とにかく自分のアドレナリンに任せて声を出しました。
一見、ただの声かけにも思えるこの声。
しかしこれこそが、オーディエンスとパフォーマーとのキャッチボールでもあるのです。
ストイックな練習があって初めて出てくる、アドリブの最高のパフォーマンスに感動し、オーディエンスが叫ぶ。
そして、どんどん湧き上がっていくオーディエンスの声に後押しされ、またもや最高のムーブをオーディエンスに届ける。
そして、パフォーマーはまた更なる練習を重ねていく。
この「声」による循環を改めて実感した時、鳥肌がたちました。

人は、「話すこと」だけではなく「声を出すこと」でも話せるんだと。

「話す」前に「声を出す」だけでも分かり合えたり問題を意識化できる方法があるのではないか。
支援地の方々とコミュニケーションを図る上で、「話す」ことが何よりも大事だろうと思っていた私の考えは覆されました。
国際協力には対話が必要とされるが、一緒に大声を出したり踊ったりすることでも分かり合えるのではないか。
少なくとも、知り合いたてのころは、個人差はあるにしろこの方法の方が効果的なのではないか。
言葉は通じなくても片言でも声を出すことで見えないものが見えてくるのではないか。
このように考えるようになりました。

しかしながら、その人のことを深く深く理解しようとするのならば、やはり言葉は必要です。
また、話の内容もさながら、その人はなぜそれを言いたいのか、なぜ私に言ってくれることを決めたのかを常に感じとらなくてはその人を理解するなんて到底できません。
バランス、難しいですね…

今回のワークキャンプでは、「声を出すこと」「話すこと」どちらも用いながらその人の心と一緒に在れるようにしていきたいと思います。


では、皆様
朝起きたら叫んでみてくださいね!
思うがままに!
「眠い!」とか
自分に「おはよう!」とか。笑
そして家族がいたら、巻き込んでみてください。
きっと何かが変わってくるはずです。




読んでいただき、ありがとうございました+°

監査 海外事業部 清水彩也夏