大雪丸にお別れ「国際ホテル豪華客船ビクトリアに泊まりに行った!」時の話し その3 | スプーンの気まぐれ日記

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海峡は本日も「ねんどろ」でしょう。健康のために多少の鉄分も摂ります。

さて、1日め(2005年12月10日)の夕食です。興福寺で頂く「普茶料理」。もちろんスプーンは初めてです。東明山興福寺のHPによれば、『隠元禅師 (黄檗宗の宗祖)が中国から長崎に渡来され、興福寺に伝えた中国式の精進料理で、和式とは趣を異にしている。「普茶」とはあまねく茶を喫すると言う意味 で、禅宗寺院の法要の前後に僧侶たちが集い、お茶をいただきながら打ち合わせや反省をする「茶礼(されい)」という儀式からくる。 』と記されております。手書きの献立は趣があります。
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画像は東明山興福寺のHPより借用しています。今でも記憶に残っているのが「中夜」というなぎの蒲焼きを再現した料理で、良く出来てるなーと感心しました。北山船長の隣席で頂いたのも忘れられない思い出になりました。
興福寺HPより

大雪丸がホテルシップに改造される様子は、川村修さんの写真集「青函連絡船のその後」に掲載されています。
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船 楼甲板から上は一旦全部取り払われました。スプレイドアスベストを除去するということはたいへんなのですね。ファンネルやマストは手入れして再利用された と思われますが、殆ど新しく造られたのではないでしょうか。外板とか見ても、窓埋めの痕とか発見出来ませんでしたから。
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浅野ドックでは旧大雪丸の船体色で仕上げられました。そのカラーで長崎まで曳航され、繋留されてからビクトリアの塗装が施された様です。
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大雪丸を案内してくださったのは、北山船長で、機関部の総括制御室から最上階の船橋まで。ボートデッキを歩くと、板が薄いため3階の客室に響くので気をつかうというお話でした。

北 山船長といえば、JR北海道時代に大雪丸船内でオレンジカードを買い求めると船橋承認の印が押印された「乗船記念証明」に記された「海峡ぐらし」などの作 詞で有名でしたが、長崎でもこの様な文化活動をされていらしたのですね。現在は函館にお住まいで、昨年夏の摩周丸のイベントにもいらっしゃいました。
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お別れのキャンペーンで格安で宿泊出来ました。朝食付きですヨ。
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おわり