11月21日(金曜日)
寿物語(ことぶきナラティヴ)「国重浩一さんを迎えての会」
に参加しました。
今年ようやく国重浩一さん(コウさん)と話すことができました。
去年の春先に、古民家カフェでワークをして以来の再会でした。
この日同伴した先輩が「ナラティブ・セラピー」を気に入り、
私が持っている本をプレゼントすることにしたので、
その本を渡す前に急いで読み直しているところです。
自分の理解の範囲でナラティブ・セラピーについて書き起こしていますが、間違っていたらごめんなさい。
ナラティブセラピーとは、社会構成主義やポストモダンの影響を受け発展した心理療法です。
「ナラティブ」とは「語り」という意味です。
クライエントの語るこれまでの人生の物語を、クライエント自身が再構築して新たな物語にすることで、問題の解決を目指していく治療法です。
ナラティブセラピーでは、クライエントの病理や問題は、クライエント自身が作り出した物語の結果であり、その物語に合わない認知や体験が否認されたり歪曲されたりすることにより生じると考えます。
そこで、セラピストとの対話を通じ、クライエント自らが語ることで、クライエントを支配している物語を新しい肯定的な物語へと編集し直していくのです。
この治療法は、PTSDの治療に特に有効とされていますが、症状の除去から人生観の転換に至るまで、幅広い改善が期待されています。
この日は、場面緘黙症の症例へのアプローチについての話を聞きました。
場面緘黙症とは、
選択性緘黙(せんたくせいかんもく、英: Selective Mutism)
「場面緘黙症へのアプローチ」、
と書くとそれが方程式のように扱われ、こればっかりに限定される恐れがあります。
紹介されたケースでは、
「場面緘黙を治そうとしない。」という
逆説的アプローチで
「場の安全」を作っていきました。
ナラティブセラピーでは、治療する人と、治療される人は、人として平等で対等であるという考え方をします。
こうした考え方に基づいて、治療される人のことを「患者」ではなく「クライエント」と呼んでいます。
アートセラピーの映画「ニーゼと光のアトリエ」でも、ニーゼは患者をクライアントと呼びました。
ナラティブセラピーでは、クライエントの問題は、
クライエント自身が作り上げたストーリーの結果であって、
ストーリーの筋に沿わない認知・情緒・行動を否定・否認・歪曲することで起こっていると考えます。
そのため、治療者とクライエントが対話を繰り返し、
クライエントに自分のストーリーを詳しく語らせることで、
クライエントを支配しているストーリーを新たな物語に編集しなおすことを目指します。
クライエント自身が「問題を問題ではなくする」ことを目指す
コウさんには、「小さいことにクヨクヨする」25歳の女性についてのワークを動画で見させていただきました。
「小さいことに」ときたら、欠点の定形として 「クヨクヨする」に結びつき文章が完成します。
自分の持つストーリーが、定型文によって苦しめられているのに気が付きます。
これが、長所として置き換わるなら「細かなところに目が向く」となります。
私も、クライアントから
「一般の人は●●なのに自分は●●で劣っている。」
というストーリーをよく聞きます。
治療者は、クライエントに対する興味関心を持って対話に臨みますが、クライエントの生きづらさを救い、根治させてやろうと思うのではなく、あくまでもクライエントが自分で新しいストーリーを見出すことを援助します。
そして、表面化した症状を取り除いて終わりではなく、患者の人生観や価値観を改善することまで目指していきます。
その女性はまず自由に自分のストーリーを語ります。
自分の幼少期を振り返り、
小さなことに気をつけるようになった自分の成長プロセスを話しました。
良いことも悪いことも含めて、自分の過去を振り返らせ、思い出させるのです。
この日のワークでは、前後の列の人と向かい合わせになり、自己紹介とシェアリングをしました。
して、自分が気がついたことは、
傾聴に徹していたら、時間が足りなくなることが多いこと。
フロイトが行う自由連想法や、
森川すいめいさんの「オープンダイアローグ」を
齧っても思ったが、
私は、相手の話す言葉のうち、相手の経験によらない話は聞かない。聞きたくない。
顔を合わせて
「自殺予防に関しての統計」
を語り出す対面者について、
「あなたの話、今ここに居ないですね。」
と伝えたら、
「スミマセン。」
と、謝られてしまいました。
続く言葉を紡ごうとしたら、ここでタイムアップでした。
「ありゃりゃー。」
と思ったけど、この日のワークはこれで十分な収穫があり、満足しました。
帰りに中華料理屋さんで天津飯を食べたのも美味しかった。

