仕事で嫌な話になってきたので、休日もなんか、気が重い。
困ったものだ。
来年の3月4月あたりまでこの件は続きそうなので、まだまだ数か月、嫌な思いをしなければならないのかと思って、気が重い。
さて。
そういう状態だからというわけではないが、なんとなく見開いたYoutubeで開始数分聞いただけで、聞くのも嫌になるいわゆる講義があった。
しかしこういうものは最後まで見てから判断するのが正当なので、しょっぱな過ぎる序盤のみであれこれケチを付けるのも間違いであると思うものの、このしょっぱなの気持ち悪さが影響してとても最後まで見続けられないというジレンマがあって、なんとももどかしい。
まあ、逆に最後まで見たら、序盤の不快感について後でわざわざあげつらうこともなくなるだろうとも予想されるので、あえて、序盤しか見ていない状態で、この序盤における不愉快さを記録しておこうと思う。
日本の古代史における、何々の真実、みたいな、感じでの内容である。
以下、気に食わない点をあげつらう。
〇今の学校では日本の神話を教えない。だから今の日本の若者は日本の神話を知らない。略。日本の精神を学ばない。
⇒自分が子供の頃に、日本の神話を学校で教わったかといえば、そんな記憶はない。(覚えていないだけの可能性はある)
⇒学校で教えていないから、神話を知らないというのは、やや短絡的にすぎる。
(我々は学校で教わっていないことを知っている。学校外でも神話を知ることは可能である。この場合、例えば、好きだからゲームを遊んで、そのゲームのことを知る学ぶ、とは違って、消極的な意味での勉強として日本の神話を学ばないのはありうるので、学校で教えないから知らないという論理は一部ただしい)
⇒日本の精神を学ばないという理論がどこからつながって出てきたのか。
そもそもこの一文が議論の念頭にあるから、聞いていて不快である。なぜこれが必要なのか。何のために必要なのか。そもそも日本の精神とは何なのか、それらの説明が一切ないのに、冒頭から当然の真理だと言われているようで、不快である。
⇒誰かの引用で、自国の神話・精神を学ばなくなった国は100年で滅びるとか云々。
ゆえに、学ぶ必要がある、という論理は成立する。この一文が上述の略以前の部分にあれば、少なくとも後半部分に不快感をもつことはなかった。
いったん以上から。
説明の順序(自国の神話・精神を学ぶべきだという講義のそもそもの趣旨・理念について)が悪かったので、不快感があったのだろう。これを理解していれば、学校で学ばないから知らないという論理についても、短絡的だとは思いつつも聞き流す程度であったと思う。
(しっかりと整理された台本を読んでいるのでもない講義で、説明の順番が悪いと難癖つけるのはよくないと思っている)
〇神話は世界各国にある。神話をどのように解釈するのか。神話の解釈は多重構造である。1つに歴史としての神話考察。
⇒そもそも神話とは何か。を飛ばして、神話の解釈から話をしていることについて。
Wikiを参照する。
神話とは『人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある』
⇒神話の解釈とはどのような意味なのか。
Wikiを参照する。
解釈とは『文章や作品や物事の意味を、受け手の視点で、理解したり説明したりすること』
神話という概念を解釈するのか、日本の神話構造を解釈するのか。素直に聞けば前者になる。
そうなると、神話とは上記の意味を持つものであるについて、構造の1つめとして云々、と語り始める意味がよくわからない。
Wikiを参照する。
構造とは『ひとつのものを作りあげている部分部分の組み合わせかた』
(ただし動画では構造ではなく多重構造なので)
多重構造は、wikiにない。Wikiにあるのは「多重下請け構造」である。
GoogleAIによる概要では、多重構造は多重下請け構造のことを指し、元請けが下請けに出し、さらにそこから下請けに出し、という業務委託の仕組みを指す。
⇒動画における使用方法は造語である。
そもそも構造自体が全体を踏まえたうえでの、部分部分、すなわち、多くの部分によって成立しているという意味がある。2つ3つの要素があること自体が、構造であり、多重構造とかの造語に頼らなくても、構造が多岐にわたる、または複雑な構造、奇怪な構造など使えばいい。
多重構造という意味を取りかねる表現で、神話の解釈なるどういう意味で言っているのかわからないことで、要素を3つ上げているところを見て、何を言っているのか、鈍くなった頭ではついていけなかった。
なお、神話の解釈については、神話の(もしくは「日本の神話の」)構造理解の方法として云々、とかいう表現なら、まだ素直に理解できたと思う。が、言いたいことはそういうことなのだろうと理解はできる。
〇日本の神話で言えば古事記があります。
⇒ここ以前にもいろいろ言いたいところはあるが、その辺を踏まえて、ここが一番の今回のポイントである。
古事記は神話ではない。神話を書くために書かれたものではない。
古事記に神話は含まれている。古事記に神話が書かれている。これは正しい。
しかし、日本書紀・古事記、ついでに風土記は、神話ではない。とはいえ、古事記については、それが書かれた実際の意図がわかりにくいので、古事記は神話だと言われても、まあ、しょうがない部分はあるのかなとも思う。が、日本書紀は自国の歴史書として作られたものであり、風土記は地方支配を円滑に行うための地方の情報をまとめさせたいわゆる公文書である。これらの時代を含めて神話時代というのであれば、神話時代に書かかれた歴史書等はすなわちひっくるめて神話といえるかもしれないが、これはいわゆるうがちすぎというものであろう。
神話の話題をしたいたいあまり、歴史書が神話であるなどという発言は、そもそも日本の歴史を理解してないのではないかと疑われて、日本の精神云々を語る資格がないのでは? と思ってしまう。
おわりに
このへんのもう少し先までは動画を見たが、まあ、もんもんとして、そのままフェードアウトすればよかったのだが、ちょいと最近し続けていたゲームを控えるという意味でも、何か別のことをしなければ、という思いもあって、これを書いた。
ゲームしていれば何も思わなかったし、他に何かするべきことがあればしなかったことである。
が、まあ、もやもやしていたことが案外とさっぱりしたので満足している。
今回のポイントは、一番は、古事記他を神話と発言したことだが、他に、神話の解釈(これ自体は間違った表現ではなく、話の流れにおける違和感)、多重構造という言葉遣いに、素人感があって(言葉の定義をしていない)、まともに聞いていい話なのかどうか匂わしくなったのだと思う。