Youtubeでいっきみしてた。

 

 アニメは2016年で翌年には実写映画化、原作は2012~2021年とWikiより。

 

 見た感じ、しばらくして「寄生獣」感を思った。

 こういう作りはなんていうんだろう。むかしならフル3Dとかだが。

 正直、好きではないが、違和感を楽しむなら、アリではある。

 まあ、アルペジオは好きだから、言ってしまえば主人公男の見た目が嫌いなのだろう。

 

 終盤近くなって思ったのは、「シンジ君」感か。

 基本性質はぜんぜん違うのかもしれないが、立場における行動原理がすごく似ていた。

 

 見終わって上述まで、他に何か見覚えないかなぁと思ったら、パトレイバーの映画かなと思った。

 首都で戦争をおっぱじめる。

 まあ、こっちのはゲーム感覚で始めているので、思想強めではじめたパトレイバーとは違うのであるが。

 あと、最近みたやつでは、「暗殺教室」か。クライマックスあたりの畳みかけなどが雰囲気似ていてなんというか、一気見したせいではあるが、ものすごく長いと思った。

 12話は無理だが、16~18話ぐらいのほうがコンパクトにまとまると思う。

 

 あと、主人公側のもう一人の少年は必要だったのか。

 友人と立場がかぶっている。彼を出すなら、もっと友人側のエピソードを入れていた方が云々とは思った。

 

 しかしまあ、基本は寄生獣を思わせた。

 それと、この作品をまったく知らなかったことに驚きもある。

 

 ああ、あと、白い人は、どうにもヒカルの碁の緒方さんにしか見えなくて困った。

 

 

 似たようなこと書いたかもしれないが

 

 将棋24が今年で終了するらしく、しかし将棋ウォーズは3局以上はお金が必要で、無料で云々で、81道場を知って移る。結構昔からやっていたらしい。

 が、まあ、待ちにしていると、なかなか対局が始まらない。消極的性格(自分から対局しようとしない)には、実際ウォーズ形式が最適なのだが・・・

 

 そういう待ち時間があるので、ここを書こうと(ここまで書いて一局)

 ただ、こいつは2歩が打ててしまうので、結構、2歩の反則で負ける。適当に打ってるのが悪いのかもしれないが、コンピューター判断(最低限考えるとコンピューターの補佐があるのだから)なのだから、2歩とか王手とかはせめて知らせてほしいと思う(というのは人間の傲慢なのか)。

 

 さて。

 

 なんか、AIでボーいとかうんぬんとか。

 音楽を鳴らしていた。著作権はよく知らないから何とも言えないが、AI作成と聞かなければ、普通にバンド演奏なのかと驚いてしまう出来で、コメントとかでも、感動したというのを見た。

 

 すごい。

 

 時代は一気に、AIが人を感動させるレベルまで達してしまった。

 

 さて、AIは材料がないと作成できない。

 絵にしろ音楽にしろ、素材を活用して、初めて、云々作成できる。

 

 まあ、なんというか、日本語はひらがな何文字だ? 50かそれ以上か、コンピューターからしたら、50×50×・・・で、日本人の心に響く和歌を作れる、かもしれない。

 

 上述、音楽の話からいえば、50×50×・・・は不要な考え方なのだろうが。

 

 うーむ。なんか今日は対局が立て込む。なんで?

 

 

 結論として、人間が何か創作して、それをもとにAIが勉強(データ収集)して、そこからアウトプットが始まるわけで、『現在においては』人間が創作したモノがなければ、AIは(基本的には)何も生み出せない。

 

 人が人の生み出したものを土台としてAIを組み立てるという構造なのだから、ここについてはそれほど間違いはないと思う。

 

 人が、~~している。という事実が、とりあえずは、現状においては、ある。

 

 で、何が言いたいのか。

 人がいないと、現在のAIのすばらしさは生まれない。

 これを忘れる、もしくは過信してしまうところに、へんな妄想が生まれてしまう。

 

 蒸気帰還とか、らっだいと運動とか、まあ、実際、そのとおりなのかもしれないが、なんだかんだ、「人間が存在」してはじめて、「この社会」は存立し得る。

 

 働く場所がなくなって、多くの人が失業して、多くの人が死んで、労働者が死んで、労働者向けの生産物も売れなく、当然ながら、上流階級あての生産物も、労働者が存在しないから生産されない。

 

 深く考えなくてもわかることで、これを成立させようと上流階級ががんばるとしたら、生かさず殺さずであろうが。

 

 機械社会、AI社会になろうとも、主体が人間である限り、非効率であろうとも、人間が存立するためには、云々かんぬんである。

 

 話が逸れた気もするが。

 

 正直思うのは、いつも思っている言っていたかもしれないし、多くの人が思っていたことであろうが、ターミネーターⅡの世界観が、当時はありえないと思っていたが、今は、現実に起こりえるのだなと実感したことである。

 ほんと、これについては、科学技術の目覚ましすぎるシンポである。

(逆に言えば、ターミネーターⅡやマトリックスを考えた人は、あまり言いたくないが、先見の明がありすぎたのだろう。こうかくきどうたいも、その意味では範疇に収まる。銀英伝はおさまらない。

 

 現状において、AIに、将棋では勝てない現状で、それでも人間対人間の〇〇戦とか見ていて、自分は面白い(最近は見ていないが)

 

 人の争いを見ているのは面白い(言い方悪いか?)

 人間が四苦八苦して苦心しているところを、互いに研磨しているところを、見ているのが楽しい。

 そこに人間の可能性を感じるからだ。

 

 しかし、数年も経つと、あるいは、これもなくなったパラダイムシフトが起こるのだろうか。

 

 仮に、そういった構造変化が起こった先では、おそらく、一部の人間が、同種の人間が四苦八苦しているところを見て優越に浸るみたいな。いやしかし、さらにその先に何が起こるのかといえば、結局すべての人間がAIに下位に落とされた機械的な歯車の一部にならざる云々。

 

 どのみち、Aiの根本は電力であり、この供給源の問題如何では云々であろう。

 人間がいなくなれば、それ以前に機械化文明(人間の存在しない世界)に至ったとして、云々。

 

 それらも含めて、『進化』であるならば、さらにその先はどうなるのか。

 すでに人間の存在しない世界の先を想像するのは、意味のないことであり、それはやっぱり、現状、宇宙を考えるにおいて、意味のないこと、と言えるのかもしれない、みたいな。

 

 誰もがいいそうな話みたいに終わってしまったが、あえて言うなら、まあ、この歳でもあるし、仮に人間とAIで戦争が起こったとしたら、自分は、すぐに死ぬであろうが、人間の側につく。

 

 殲滅されようとしても、それでも、云々かんぬんである。

 

 

 

 

 

 仕事で嫌な話になってきたので、休日もなんか、気が重い。

 困ったものだ。

 

 来年の3月4月あたりまでこの件は続きそうなので、まだまだ数か月、嫌な思いをしなければならないのかと思って、気が重い。

 

 さて。

 そういう状態だからというわけではないが、なんとなく見開いたYoutubeで開始数分聞いただけで、聞くのも嫌になるいわゆる講義があった。

 しかしこういうものは最後まで見てから判断するのが正当なので、しょっぱな過ぎる序盤のみであれこれケチを付けるのも間違いであると思うものの、このしょっぱなの気持ち悪さが影響してとても最後まで見続けられないというジレンマがあって、なんとももどかしい。

 

 まあ、逆に最後まで見たら、序盤の不快感について後でわざわざあげつらうこともなくなるだろうとも予想されるので、あえて、序盤しか見ていない状態で、この序盤における不愉快さを記録しておこうと思う。

 

 日本の古代史における、何々の真実、みたいな、感じでの内容である。

 以下、気に食わない点をあげつらう。

 

〇今の学校では日本の神話を教えない。だから今の日本の若者は日本の神話を知らない。略。日本の精神を学ばない。

⇒自分が子供の頃に、日本の神話を学校で教わったかといえば、そんな記憶はない。(覚えていないだけの可能性はある)

⇒学校で教えていないから、神話を知らないというのは、やや短絡的にすぎる。

(我々は学校で教わっていないことを知っている。学校外でも神話を知ることは可能である。この場合、例えば、好きだからゲームを遊んで、そのゲームのことを知る学ぶ、とは違って、消極的な意味での勉強として日本の神話を学ばないのはありうるので、学校で教えないから知らないという論理は一部ただしい)

⇒日本の精神を学ばないという理論がどこからつながって出てきたのか。

 そもそもこの一文が議論の念頭にあるから、聞いていて不快である。なぜこれが必要なのか。何のために必要なのか。そもそも日本の精神とは何なのか、それらの説明が一切ないのに、冒頭から当然の真理だと言われているようで、不快である。

 ⇒誰かの引用で、自国の神話・精神を学ばなくなった国は100年で滅びるとか云々。

  ゆえに、学ぶ必要がある、という論理は成立する。この一文が上述の略以前の部分にあれば、少なくとも後半部分に不快感をもつことはなかった。

 

 いったん以上から。

 説明の順序(自国の神話・精神を学ぶべきだという講義のそもそもの趣旨・理念について)が悪かったので、不快感があったのだろう。これを理解していれば、学校で学ばないから知らないという論理についても、短絡的だとは思いつつも聞き流す程度であったと思う。

(しっかりと整理された台本を読んでいるのでもない講義で、説明の順番が悪いと難癖つけるのはよくないと思っている)

 

〇神話は世界各国にある。神話をどのように解釈するのか。神話の解釈は多重構造である。1つに歴史としての神話考察。

⇒そもそも神話とは何か。を飛ばして、神話の解釈から話をしていることについて。

 

 Wikiを参照する。

 神話とは『人類が認識する自然物や自然現象、または民族や文化・文明などさまざまな事象を、世界が始まった時代における神など超自然的・形而上的な存在や文化英雄などとむすびつけた一回限りの出来事として説明する物語であり、諸事象の起源や存在理由を語る説話でもある』

 

⇒神話の解釈とはどのような意味なのか。

 

 Wikiを参照する。

 解釈とは『文章や作品や物事の意味を、受け手の視点で、理解したり説明したりすること』

 

 神話という概念を解釈するのか、日本の神話構造を解釈するのか。素直に聞けば前者になる。

 そうなると、神話とは上記の意味を持つものであるについて、構造の1つめとして云々、と語り始める意味がよくわからない。

 

 Wikiを参照する。

 構造とは『ひとつのものを作りあげている部分部分の組み合わせかた』

(ただし動画では構造ではなく多重構造なので)

 多重構造は、wikiにない。Wikiにあるのは「多重下請け構造」である。

 GoogleAIによる概要では、多重構造は多重下請け構造のことを指し、元請けが下請けに出し、さらにそこから下請けに出し、という業務委託の仕組みを指す。

 

 ⇒動画における使用方法は造語である。

 そもそも構造自体が全体を踏まえたうえでの、部分部分、すなわち、多くの部分によって成立しているという意味がある。2つ3つの要素があること自体が、構造であり、多重構造とかの造語に頼らなくても、構造が多岐にわたる、または複雑な構造、奇怪な構造など使えばいい。

 多重構造という意味を取りかねる表現で、神話の解釈なるどういう意味で言っているのかわからないことで、要素を3つ上げているところを見て、何を言っているのか、鈍くなった頭ではついていけなかった。

 

 なお、神話の解釈については、神話の(もしくは「日本の神話の」)構造理解の方法として云々、とかいう表現なら、まだ素直に理解できたと思う。が、言いたいことはそういうことなのだろうと理解はできる。

 

〇日本の神話で言えば古事記があります。

⇒ここ以前にもいろいろ言いたいところはあるが、その辺を踏まえて、ここが一番の今回のポイントである。

 古事記は神話ではない。神話を書くために書かれたものではない。

 古事記に神話は含まれている。古事記に神話が書かれている。これは正しい。

 しかし、日本書紀・古事記、ついでに風土記は、神話ではない。とはいえ、古事記については、それが書かれた実際の意図がわかりにくいので、古事記は神話だと言われても、まあ、しょうがない部分はあるのかなとも思う。が、日本書紀は自国の歴史書として作られたものであり、風土記は地方支配を円滑に行うための地方の情報をまとめさせたいわゆる公文書である。これらの時代を含めて神話時代というのであれば、神話時代に書かかれた歴史書等はすなわちひっくるめて神話といえるかもしれないが、これはいわゆるうがちすぎというものであろう。

 

 神話の話題をしたいたいあまり、歴史書が神話であるなどという発言は、そもそも日本の歴史を理解してないのではないかと疑われて、日本の精神云々を語る資格がないのでは? と思ってしまう。

 

 おわりに

 

 このへんのもう少し先までは動画を見たが、まあ、もんもんとして、そのままフェードアウトすればよかったのだが、ちょいと最近し続けていたゲームを控えるという意味でも、何か別のことをしなければ、という思いもあって、これを書いた。

 ゲームしていれば何も思わなかったし、他に何かするべきことがあればしなかったことである。

 が、まあ、もやもやしていたことが案外とさっぱりしたので満足している。

 今回のポイントは、一番は、古事記他を神話と発言したことだが、他に、神話の解釈(これ自体は間違った表現ではなく、話の流れにおける違和感)、多重構造という言葉遣いに、素人感があって(言葉の定義をしていない)、まともに聞いていい話なのかどうか匂わしくなったのだと思う。