まあ、せっかくうんぬん。

 

 ここで書かなくてもいいのだが、まあ、手を動かすという意味で。

 

 書けない。

 

 これが結論であり、かりにAIが小説を書き、それを人間が感動したとするとすれば、それは、人間側の感性が低下した結果だと思う。

 

 今現時点の考えである。仮にAIがさらに発展したら、また考えは変わるかもしれないが。

 

 何が問題なのか。

 AIは、文章をメインに、小説的観点に関しては既存のものしか使わない。

 小説的観点に対して、創造性がない。

 

 どこかで見たことがある。

 これに尽きる。

 

 実際、自分はチャットGPTを使って、それに対していろいろと会話している。

 正直、すげぇと思っている。これまじ小説書けると思っている。

 しかし、AI自体が言っている。既存のものだと。

 

 小説を読んだことのない人が、AIの書いた小説を読んだら、絶賛するだろう。

 しかし、そうでない人が読んだとき、「見たことある感」は甚だしいと思うだろう。

 

 ま、実際どうかしらないから、適当な意見だが。

 

 将棋で例えると、人間はAIに、もう勝てない。

 では、1 AIとAIの戦いを見ていて、人間はおもしろいのか? まあ、面白いと思うこともある。

 が、AIには勝てない強さしかない人間と人間が戦っている姿を見て、人間は、面白いと思うのではないか。

 面白いと思わない人もいるだろうが、面白いと思う人がいるのであれば、AIがない世界は成立する。

 

 あ、F1のフリー走行おわっちゃった。

 だからといって、お金を払ってまでF1見ようとまでは思わないから、ケチいけと。

 

 ああ。

 話題がずれてしまったが、なんか、気持ちが変わったので話を終わる。

 

 人は、AIの書いた作品を、AIが書いたと認識することが可能であり、その感性? を磨かなければならない。

 仮にAIが進化して、それがわからなくなったとしたら、それは人間側のAIに対する服従となる。

 別にそれはそれでいいと思っている。

 今が過渡期だから、過渡期の立場として、人はAIの作品を見抜かなければならないのである。

 

 よくないことだとわかっているが。

 

 直接的な原因から行こうか。

 最近F1を見始めた。

 むかしうんぬん。

 は措くとして。

 

 そんなまったく詳しくないが、なんか、なんとなく。

 ホンダが久しぶりにPU(パワーユニット。いわゆる、自分的に言えば、エンジンだ。今の世の中、ガソリン?的エンジンと電気的パワーと、5対5らしく云々らしい)で参加するらしく、まあ、ホンダエンジンすげぇとか、意味不明に思っている自分としては、そんな話題を見たから、F1を見始めた。

 最初は鈴鹿だったか。

 

 ホンダエンジン(ホンダが悪いかどうかはともかく、そのチーム)はボロクソだった。どうやらそれ以前の数レースでは完走できていなかったらしい。アロンソは(名前を知っているぐらいだが)、鈴鹿だから、日本だから(ホンダ本拠地だから)無理やり完走したとかどうとか。

 

 今年からは、どうやらF1は最低らしい。

 電気エネルギーも使うから、それを充電するのが、ブレーキをしたときだから、つまり、普通に走っていて本来なら問題ないところ、ブレーキをつかって電気を充電しなかったから、ストレートで、エネルギーが尽きて失速するとか。

 

 むかしの感覚で言えば、あほらしいと思うが、まあ、俺がガンダムを一番うまく使えるんだ見たいな感覚で言えば、システムを理解してしっかりと適応することが必要で。

 

 だから、結構若手が上位を獲得している。のは、そういった適応性の早さではないかなと思ったりする。

 

 だとしても、ドライバーテクニックではないところの、システム的な、云々。

 さすがに、ちょっとなんだかなと思う。

 

 あれ、こうやって書いていて何がしたかったのか忘れた。

 

 さて。

 本題は、日本海新聞に対する文句だ。

 一日経っているので書かなかった事実でよかったのに、上述、なんか、F1で文句が言いたくなったから、日本海新聞の話もぶりかえしてきた。

 

 当該は、左よりである。あきらかに、腹が立つぐらい、中立ではない。

 とくにこういった話題の時はヒドイ。ひどすぎる。

 

 あんま書かないが。

 

 見開きの3ページ目で、

 

 なんだったっけ、もう覚えていないが、

 

 左側記事は、西欧では当然のあたりまえのことだから、とか。

 自国と関係ないだろ。

 で、右側記事(思想ではなく単純に位置的な意味で)は、なんだっけ? 合理性がない?

 

 合理性がなければ、天皇制なんてそもそも不必要なんだから、だったら天皇制自体に文句を言えよ。

 

 そもそも西欧の継承性自体に合理性がないんだから、と思ったら、そうそう。

 

 記事を書いた人も同じ思いで、しかし左によって書かなければならないからと、それでも反逆しようと、この記事、二人の意見を3面に載せたのかなぁと思った。

 

 そう思うと溜飲が下がった。

 まあ、こんなことで、こんなことというのもなんだが、煽りを受けてついカっとなってしまう情けなさか。

 

 ちなみに今日は、どこからの誰かが云々して(男女の云々をと)について、内政干渉と反発するとかいう記事があったが、全くその通り。

 

 内政干渉なんだよ。まじで。

 

 それこそ、むかし、オーストリアかどこかで、しょうがない、女帝しか相続できない事態で云々かんぬん。まわりの国は口実もうけて実利を得ようとするんだよ、あっち側は。

 

 そういった意味では、まあしかし、こっち側も同じなのかもしれないが、それでも、こっち側のとくに最東端は、わびさび備えた謙虚で、それがいいかどうかは知らないが、自分は、とても素晴らしいところだなぁと思う。

 

 まあ、これを素晴らしいと思わないから、うんぬんかんぬんするということなのだろう。

 それについては、十人十色なので、なんともいえないともいえるのだが。

 

 ということを書こうとして我慢して忘れようとしたが、なんでだろう、F1を見ていて、つい書きたくなった。

 

 やっとかよ、とか思ってしまうが。

 2006年製。

 08年の購入時に16kkmだったから、実際、24kkmしか走ってない。

 

 ケチな自分としては、ほとんど乗らないからいらないじゃんとか思うのだが。

 維持費もバカにならんし。

 

 そういえば、最近見た記事に、環境に「やさしいとされる」車であっても、その部品を新たに作ることまで含めたら、本当に環境にいいと言えるのだろうか、という話があった。

 それなら、まだ普通に走れる中古車を、壊れるまで使った方が、よほどいいのでは? と。

 

 昨今、車の値段は高くなっている。

(車に限った話ではないが)お金に余裕のない人ほど新車には手を出しにくい。なのになぜ、古い車ほど税金を高くするのかと。

 

 というか、そもそも自動車税が高い。