まあ、せっかくうんぬん。
ここで書かなくてもいいのだが、まあ、手を動かすという意味で。
書けない。
これが結論であり、かりにAIが小説を書き、それを人間が感動したとするとすれば、それは、人間側の感性が低下した結果だと思う。
今現時点の考えである。仮にAIがさらに発展したら、また考えは変わるかもしれないが。
何が問題なのか。
AIは、文章をメインに、小説的観点に関しては既存のものしか使わない。
小説的観点に対して、創造性がない。
どこかで見たことがある。
これに尽きる。
実際、自分はチャットGPTを使って、それに対していろいろと会話している。
正直、すげぇと思っている。これまじ小説書けると思っている。
しかし、AI自体が言っている。既存のものだと。
小説を読んだことのない人が、AIの書いた小説を読んだら、絶賛するだろう。
しかし、そうでない人が読んだとき、「見たことある感」は甚だしいと思うだろう。
ま、実際どうかしらないから、適当な意見だが。
将棋で例えると、人間はAIに、もう勝てない。
では、1 AIとAIの戦いを見ていて、人間はおもしろいのか? まあ、面白いと思うこともある。
が、AIには勝てない強さしかない人間と人間が戦っている姿を見て、人間は、面白いと思うのではないか。
面白いと思わない人もいるだろうが、面白いと思う人がいるのであれば、AIがない世界は成立する。
あ、F1のフリー走行おわっちゃった。
だからといって、お金を払ってまでF1見ようとまでは思わないから、ケチいけと。
ああ。
話題がずれてしまったが、なんか、気持ちが変わったので話を終わる。
人は、AIの書いた作品を、AIが書いたと認識することが可能であり、その感性? を磨かなければならない。
仮にAIが進化して、それがわからなくなったとしたら、それは人間側のAIに対する服従となる。
別にそれはそれでいいと思っている。
今が過渡期だから、過渡期の立場として、人はAIの作品を見抜かなければならないのである。
