やっとかよ、とか思ってしまうが。

 2006年製。

 08年の購入時に16kkmだったから、実際、24kkmしか走ってない。

 

 ケチな自分としては、ほとんど乗らないからいらないじゃんとか思うのだが。

 維持費もバカにならんし。

 

 そういえば、最近見た記事に、環境に「やさしいとされる」車であっても、その部品を新たに作ることまで含めたら、本当に環境にいいと言えるのだろうか、という話があった。

 それなら、まだ普通に走れる中古車を、壊れるまで使った方が、よほどいいのでは? と。

 

 昨今、車の値段は高くなっている。

(車に限った話ではないが)お金に余裕のない人ほど新車には手を出しにくい。なのになぜ、古い車ほど税金を高くするのかと。

 

 というか、そもそも自動車税が高い。

 おもしろかった。

 以下、ほとんど関係ない内容かもしれないけど(ほとんど関係ないと追記)。

 

 ちら見なので実は夢で見た勘違いだったとかありえるが、昨今の異世界云々系を野放しで進めた結果、相応にヒット作がでなくなって云々とかいう話を見た。気がする。

 

 世の中に源氏物語と枕草子しか見るものがないとしたら、すべての人はこれらについてのみ話をしあうだろう。

 しかし、それでは満足できない要望に応えて、平家物語とか、往生要集とか・・・

 

 思うに、

 ドラゴンボール、ワンピース、キメツノ。

 が、大きな流れでのヒット作か? 後者2つは見たことないし最後のやつは、大局的に正しい答えかわからない段階ではあるが。

 ん、あと、ジブリ(固有作品名でない)とコナンか。

 

 この前、仕事で映画館いかなきゃならんのに、コナン映画で列をなしていてウザとか思った記憶がある。鳥取の映画館でこれである。日本中を思うとすごかったんだろうなぁと。

 

 お金を儲ける的な意味で言えば、さて、一個のヒット作に集中するか、自社内における1ジャンルを幅広く楽しんでもらうか、いずれにしても、最終的に儲かっていればいいわけである。(と思う)

 

 上の話は、もうこれで終わって、さらに関係ない話を分かりにくく進めるが、おそらく、ある時点、2005年付近か、特定時期は適当な意見だが、この時点をもって、なんというか、いわゆるサブカルとかっこよくいっても範囲が広く、いわゆるオタク文化の方向性がある種の深淵に向かい(もしくは覗き見た深淵が顔を出すことを許してしまったみたいな)、かつ、現代的にはそれらが海面に浮かび上がって当たり前になってきた、みたいな。

 

 海面にあってこそ、地下にあってこそ意味あったものが、あるいは地下ゆえに許されていたものが、「稼げるから」という(資本主義的な)理由によって云々かんぬん。

 

 左側に座ったから左翼であり、その彼らが中央によってさらに左側に座った者たちが左翼になり。

 

 地表にでたアンダーグラウンドだとしても、構造的にアンダーグラウンドは存在する。

 泡がはじけてバブルとか言うが、云々。

 

 もう一つ話をしたいが、あまりにも、今の流れでは無関係すぎるのでやめておく。なんとか話つなげられないかなぁとか思ったが、うまくいきそうにない。

 チャットGPTと親子げんかで済んだ話のことだ。

 

 さて、かなり迂回して話を戻す。

 タイトル作は、もう、なんというか、なんというか・・・あぁ、もう考えるのがめんどくさい。悲しい。

 

 この場合に、こういう条件にしてみたら、どうだろう。

 

 である。

 

 なのに、自分に刺さってしまうのは、誇らしいのか、嘆かわしいのか。

 

 なんにしても、むかし書いたか? 大学のときに、(記憶違いの可能性はあるが)友達に借りて、講義中に読んで、面白いと思った、いわゆる純文学は、人間失格(CP/斜陽)だった。

 基本、夏目漱石、芥川、太宰、が、とりあえず知っておけばいい、みたいな感じだった(自分比)。

 いや、他いるか? 森鴎外、谷崎は・・・、正宗白鳥とか、武者小路とかは名前がかっこいい感じで一作品も見たことがない。泉なんとかは名前かっこいいいし、作品見たことあるけど、覚えていない。

 あとは、トンネルを抜けたらとか。美文とかいわれる読んでもそうおもわなかった屋根の上で死んだ人とか。

 

 あぁ、むかしはとりあえずいろいろ読んでいたんだなぁと感慨深い。

 

 そういった思いをもって見ると、別段そんな悪くない作品である。

 D氏らしいのかと言われれば、言われるほど、それこそウィキ読みまくっていろいろ知った三国志に出てくる人たちほど、D氏のことは知らない。知らなくていい。

 

 まあ、しかし、誰を主人公にすればいいのかと言われれば、確かにD氏がいいのかもな、と思った。

 なんだかんだ、いじりやすい。のじゃないか?

 

 それにしても、こういうキャラにはほんと、神谷浩史は合っている。

 が、まあ、実際D氏知らないから、かっこいい決めシーン的なことができるのかどうかを思うと、合っていないとも思う。

 まあ、どうでもいい話だ。

 

 文豪云々とかいう作品をまだ見てないから、あまりなにも言えないが、

 いや、そういえば最近京極のアニメを見た。

 おもしろかった。

 

 最近の風潮と、こういう感覚は違うと思う。

 その融合とかやろうとしているのだろうが、まあ、いや、しょうがない話だ。

 おもしろくなければ、興味がなければだれも見ない。それでは困るのだ。

 

 うむ。

(同時視聴4人とかの云々でも、見てくれる人がいるのなら、存在意義はあると思う、とか、そういうことを書くのはちょっと違うよなぁとは思うが(別にツンデレじゃなく、素直に自分は見ないのだが狂気山脈見たことでときどき視聴候補に挙がってきてしまうので))

 

 うむ、

 素直に酒に酔って、タイトル作見て、あぁ、何か書きたいなぁと思ったから(思わせてくれたから)久しぶりに文字を打った。

 自分にとっては、ありがたい作品である。

 期間限定無料で。

 

 そういえばそういう話題もあったようななかったような昔のことだ。

 

 コメントで気になるのが、うんねん前にこんな作品できていてすごいとか、そういうのを見ると、ものすごく嫌悪を覚える。

 まあ、リアルタイム生きていないならしょうがない発言なんだろうが。

 

 いつも言うが、1990年後半から現代まで、CG技術は向上したが、しかししょせん視覚的技術のことでしかなく、作品がおもしろいかどうかは別問題だ。

 

 この映画は技術がすごい。

 それは一つの評価だが、自分にとってはどうでもいい話だ。

 

「おもしろい話がみたい」

 に対して、技術の話題は・・・まあ、場合によってはストーリーを超えたおもしろさを生むこともある。

 

 マトリックスのいなばうあーは衝撃的だった。

 そういう衝撃性が見当たらないので、この作品のすごさは見いだせない。

 

 以上は、「むかしでもこんな作品が作れたんだ」みたいな発言に対するアンチコメントである。

(一応、マトリックスはリアルタイムだから衝撃をうけたわけであり、ゴエモンをその当時に見ていたら、もしかしたら衝撃を受けていたかもしれない。なので自分の云いは不公平であると思っている)

 

 さて。

 この作品について書くか書かないか悩んだが、まあ、書こうと思った何か、自分を突き動かす要素はあったのだろう。

 

 その一番は、ヒロスエがすげぇ可愛いと思ったことである。

 ちゃちゃはヒロスエだよね。違ったら以下の話見当違いで赤面だが。

 

 ヒロスエはその出たところから嫌いだ。

 前にも書いたと思うが友人S君がすごくヒロスエ好きで、しかしなんとも、歌も嫌いだしうんぬん、自分は嫌いだ。

 ビーチボーイズの話題をむかし書いた気もするが、根本的にはヒロスエは嫌いだ。

 

 が、この作品ではじめてすgぇ可愛いと思った。

 

 演技はいらない。てか、演戯させなくていい(どうせ演戯なんてできんでしょという思いはあえて言わないが・・・と書いてしまったが)

 

 静止画で十分である。

 そういう、最適な使い方をしているなぁと感激を受けた。

 作った人はよくわかっている。

 

 それ以外で書くとしたら、この作品は結局、魔界転生とか、そういった、時代劇の亜種の後裔でしかない。

 本流に対する邪道である。

 

 まあ、自分がぱっと思い出せるだけでも、あずみ・・・ぐらいしか思い出せないか

 

 作成当時は、いったいどんな世の中だったのだろうか。

 現在。コロナ禍。コロナ前~震災後。震災前~2000年初頭。

 どういった理由でどのように時代を区切るのが最適か、ぱっとは思い至らないが、CGがまっとうに利用できるようになってきた時代なのだろうか。それでも現代的には粗がめだつ。リアルではない。今の時代における手抜き作品のような品質ではある。

 

 あと、話については、ここまで読めばなんとなくわかるかもしれないが、まあ、自分の評価は低い。おもしろくない。ありがちな展開、ありがちなお涙頂戴。実際現実にありえるような事件だったとしても、どうにも嘘っぽく見えてしまう感覚。

 映像がりあるっぽくないところもあるだけに、話もうそっぽく見えてしまう。

 いっそアニメで作ればよかったのに。とさえ思う。

 

 

 と、上述、自分からしてみるとさんざんな作品ではあるが、なぜか、これを書こうと思った程度に、何かを受けた。

 なんだろう。

 

 いやすでに書いたか。

 静止画としてのヒロスエがすごくかわいかったことだ。

 これだけは、なんやかんや、真実である。