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「青い森鉄道」の駅スタンプ集めで一定の成果を上げた私は、そのまま八戸駅へ。

今年の4月に訪れた時には「閉館日」で入る事の出来なかった、日本100名城の一つ「根城」に、約半年ぶりの再訪問です。


鎌倉幕府滅亡後の西暦1334年、南部師行によって築城された根城。
その当時の時代背景と南部師行に関しては、前回書いた記事をご覧ください。
 



前回訪れた時には公的機関の閉まっている月曜日でしたが、今回は日曜日なので心配なし。



ちなみに、根城史跡の入り口にある、この門。
隣駅の「本八戸」にあった八戸城の門が移築されてきたもので、根城とは無関係です。


ここを訪れた人の大半は、根城の門と間違えるでしょうね。
 



前回、私の前に立ちはだかった「休場日」の看板も、しっかり裏に隠されていました。

天気も良くて、観光するには最適の日曜日。
それなのに・・・
 

 

私以外、誰一人として歩いていない・・・。
「もしかして、また休みの日?」と、徐々に不安になってきました。

とりあえず、4月には入る事を許されなかった本丸跡へと向かいます。


 

良かった・・・今日は開いていました。

ちなみに、前回は、
 

 

この看板を見て、ガックリ肩を落として帰る羽目になりましたが、今回は何の問題も無く、入場できました。

本丸跡を取り囲む堀に掛けられた「木橋」
 



手すりも付いているし、砂利も敷き詰められているし、どこが木橋なの?と思いますが、かつては木の橋だったのでしょう。

木橋を渡り、順路に従って進むと、「東門」がありました。
 



本丸に出入りする時の正式な門とされている東門。

ここを通り抜ければ、もう本丸跡に入れる訳ですが・・・
確か、ここの見学は有料のはず。
ここまで料金所も見当たらなかったし、どこで入場料を支払うのかな?

もしかして、本当は休館日で、料金所も閉まっていたのか・・・?

そんな不安を抱きながら、東門から中へと入っていくと、
 



中に入ってすぐ、料金所がありました。

普通に考えると、門の外に料金所があるって思うじゃないですか。
まさか、門の中にあるとは想定外。


ここで日本100名城スタンプも押印しました。

 

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本丸跡には様々な建物が復元されていて、大きく分けると「住居関係」、「工房関係」、「納屋・倉庫関係」の三種類の建物が再現されています。

本丸跡の中央部に再現されているのが「主殿」
城主が来客や使者と面会したり、様々な儀式・行事を行っていた屋敷です。
 


建材の八割に青森ヒバが使われていて、復元に要した総工費は6億円!
これは、もっと多くの観光客に来てもらわないといけませんね。
 

 

主殿の中は見学自由ですが、各部屋には入れないので、その周りを取り囲んでいる廊下を歩き回りながら見学します。
 

 

 

 

 

寒い東北地方だけに、囲炉裏は必要不可欠。

 

来客や使者の控室。
他に誰もいない静かな状況で、いきなりこの人形が座っていて・・・ちょっとビビりました(笑)。

広間では、かつて正月に行われていた儀式の様子を再現していました。
一年の武運を願う行事だそうで、甲冑姿になっているのは年男。
 

 

この時代の「年男」は、現在のように「その年の干支に生まれた人」ではなく、その年の様々な行事を仕切る重要なポジションを任される人物だったそうです。
 

 

 

こちらは祈祷の間。
この時代は神仏に頼る事が多く、公私の様々な願い事をするだけでなく、政治的な判断をする時にも、神仏に伺いを立てていたようです。

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本殿の近くにあったのが「常御殿」
 


現在は柱の跡と間取りくらいしか残っていませんが、城主の住居となる屋敷が建っていました。

本殿・常御殿から少し離れた場所にあったのが「奥御殿」

 


こちらも柱の跡と間取りしかありませんが、城主の家族・親族の住んでいた屋敷でした。
城主の住む常御殿より、こちらの方が広いかな?

そんな奥御殿の側に立っている木造の小屋。
 

 

外見は地味で質素な小屋ですが、その中には・・・

 

城主や家族の衣類・生活用品や書類、様々な儀式で使う祭具などを保管する「板蔵」と呼ばれる場所。
 

 

 

 

現在は展示用に整然と並んでいますが、実際に使われていた時には、もっと多種多様な物が、所狭しとばかりに保存・保管されていたんでしょうね。

本殿や住居部分から少し離れ、本丸の外周部付近に建てられていたのが、この「納屋」

 

建物が地面にメリ込んで、屋根だけ残っているような外見。
実際に地表から30cmほど掘り下げて作られている倉庫で、米や味噌、梅漬けといった食料などが保存されていました。
本丸内に複数棟が建てられていたようですが、現在は出入口である東門の近くに1棟だけ再現されています。

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この地方は、日本屈指の駿馬の生産地として有名。
この城が栄えていた時代には、優れた馬を所有する事がステータスだったので、馬小屋も立派なやつが三棟も建っていました。

本殿のすぐ脇にあるのが、城主が所有する選りすぐりの名馬が繋がれていた「上馬場」

 

 

 

そこから少し離れた場所にあるのが、

 

 


来客の馬を繋ぐ為の「中馬場」
ずいぶんと長く立派な馬小屋です。
現代に例えると、自宅に広くて良く整備された来客用駐車場があるようなものでしょうか。

 

夜間や冬の寒い時期に馬を収容しておいたのが「下馬場」
 

 

ここも柱の跡しか残っていませんが、相当大きな馬小屋だった事が想像できます。
多くの馬が収容されていたのに加え、馬番の控室や馬具・餌の保管場所もありました。


根城 後半に続く





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