「古今相撲大要(明治18年)」が
図説で紹介している決まり手の数は
以下に並べた四十八手です。
しかし伝統的な
「反十二、捻十二、投十二、掛十二
で合わせて四十八手」
という枠に縛られない、
自由な発想で選抜した四十八手でした。

鴨ノ入首
居反
衣カツギ
鴫ノ羽返シ
タスキ反
ツキ矢倉
頭捻
ツマドリ
肩スカシ
撓出シ
腕捻
ソクビ落シ
ヒサコ廻シ
腰折キ(サバヲリ)
内無双
外無双
大渡シ
トアシ
ハタキ込(クジキ倒シ)
上手スカシ
寄投
引ナゲ
逆投(二チョウ投)

首投
出シ(投)
八柄
負投(俗に一本しよひ)
掛投
下手矢倉
矢倉
ハリマ投
サマタ
タグリ
蹴返シ
三所詰
内掛
外掛
掛クズレ
手斧掛
ツツキ蹴返シ(蹴タグリ)
四ツツガヒ
マガヒ突出シ
シキコマタ
登掛
蛙掛
引廻シ
持出シ

「新編相撲大全(明治42年)」の四十八手は
「古今相撲大要(明治18年)」のそれと比較しても、
決まり手の内訳も技の描かれ方も
ほとんど同じ。登場順が大きく変わっているだけです。

鴨の入首
づぶねり
逆手なげ(引投げに同じく)
掬ひなげ(寄投げに同じ)
逆投げ(俗に二丁投げ)
なげ(上手投げ、下手投げ)
爪どり
さまた
撓だし
たぐり
三所攻め
蹴返し
腕捻り
内がけ
肩すかし
だし(だし投げ)
素首落し(俗にくじき)
曳き廻し
蛙がけ
鐘木反り
矢柄投げ
持ちだし
びざこ廻し
飛び違ひ
腰くじき(さばをり)
大わたし
鴫の羽返し
擬(まがひ)つき出し
蹴たぐり(つつき返し)
外がけ
きぬかつぎ
手斧がけ
突き櫓
襷ぞり
上手透し
ひきこまた
外無双
四ツ番ひ
首なげ
はりま投げ
かけなげ
背負ひ投げ(一本背負ひ)
登りがけ
やぐら
下手やぐら
内無双
外あし
くじき倒し(俗にはたき込み)

「古今相撲大要(明治18年)」の四十八手と
「新編相撲大全(明治42年)」の四十八手を
重ね合わせてみましょう。その後、問題のある
ものだけピックアップしてみましょう。

「古今相撲大要」→「新編相撲大全」

鴨ノ入首→鴨の入首
居反→鐘木反り
衣カツギ→きぬかつぎ
鴫ノ羽返シ→鴫の羽返し
タスキ反→襷ぞり
ツキ矢倉→突き櫓
頭捻→づぶねり
ツマドリ→爪どり
肩スカシ→肩すかし
撓出シ→撓だし
腕捻→腕捻り
ソクビ落シ→素首落し(俗にくじき)
ヒサコ廻シ→びざこ廻し
腰折キ(サバヲリ)→腰くじき(さばをり)
内無双→内無双
外無双→外無双
大渡シ→大わたし
トアシ→外あし
ハタキ込(クジキ倒シ)→くじき倒し(俗にはたき込み)
上手スカシ→上手透し
寄投→掬ひなげ(寄投げに同じ)
引ナゲ→逆手なげ(引投げに同じく)
逆投(二チョウ投)→逆投げ(俗に二丁投げ)
投→なげ(上手投げ、下手投げ)
首投→首なげ
出シ(投)→だし(だし投げ)
八柄→矢柄投げ
負投(俗に一本しよひ)→背負ひ投げ(一本背負ひ)
掛投→かけなげ
下手矢倉→下手やぐら
矢倉→やぐら
ハリマ投→はりま投げ
サマタ→さまた
タグリ→たぐり
蹴返シ→蹴返し
三所詰→三所攻め
内掛→内がけ
外掛→外がけ
掛クズレ→飛び違ひ
手斧掛→手斧がけ
ツツキ蹴返シ(蹴タグリ)→蹴たぐり(つつき返し)
四ツツガヒ→四ツ番ひ
マガヒ突出シ→擬(まがひ)つき出し
シキコマタ→ひきこまた
登掛→登りがけ
蛙掛→蛙がけ
引廻シ→曳き廻し
持出シ→持ちだし

この内、絵も同じで決まり手名も同じ、
解説されている技の中身も同じだったものを消去します。
何かしら問題のあったものだけ残します。
次の5つが残りました。

居反→鐘木反り
寄投→掬ひなげ(寄投げに同じ)
引ナゲ→逆手なげ(引投げに同じく)
逆投(二チョウ投)→逆投げ(俗に二丁投げ)
掛クズレ→飛び違ひ

❶この内、絵が同じで、解説も同じ、
技の名前だけが変わった(と一応は考えられる)もの。

掛クズレ→飛び違ひ

「古今相撲大要(明治18年)」の「掛クズレ」
退息所
「相手の寄て来る際に飛違ひ、其(その)後ろより突出すをいふ。
此(この)手は取ほぐれより出て稀なる手なり」

「相手の寄て来る際に飛違ひ」
…ここで既に「飛違ひ」って
言ってますけどね。この「飛違ひ」と言う表現の中に、
図の如くに足を蹴る動作も含まれている、
と考えていいんでしょうか。駄目なんでしょうか。

「新編相撲大全(明治42年)」の「飛び違ひ」
退息所
ほら、絵は全く同じでしょ。

「敵の寄り来る際に飛び違ひ足を捲いて」

飛び違い足を捲いて…って
「飛び違い」と言う言葉の中に既に
「足を蹴る」という意味が含まれている、
という認識ではないんですかね?

「飛び違い」という技を説明する文章の中に「飛び違い」と
いう言葉が入っていたら駄目でしょうに(笑)。

この「飛び違ひ」…
櫻錦が双葉山を立ち合いの「蹴手繰り」一発で
土俵に這わせた時、
決まり手を「飛び違い」と報道した人の
頭の中に入っていた定義はこれと同じでしょうか。
はたまた違うんでしょうか。

では次に行きましょう。

❷絵が同じなのに、決まり手名が変化していて、
それに合わせて解説文も変わってしまったもの
(絵が同じではまずいだろという話)。

居反→鐘木反り

「古今相撲大要(明治18年)」の「居反」
退息所
「居(を?はつ)て向ふへ反るなり。
是ハ立合ひに相手の胸へ頭を付け反返るをいふ」

解説文は、現在の「居反り」と同じ感じですね。
しかし絵を見ますと…
これは現在で言う所の「居反り」ではなく
「撞木反り」そのものです。

「新編相撲大全(明治42年)」の「鐘木反り」
退息所
この絵は先程の「古今相撲大要(明治18年)」の「居反」と
同じでしょ。

でも解説で急に「圖の如く鐘木形のやうに」
と言い出しました。

字が「鐘木」になっていますが、この程度は
気にしているとキリがありません。

では次に参りましょう。

❸絵が同じなのに、決まり手名と
解説文の中身が変化している
という点では❷と同じだが
解説文の変化が決まり手名の変化の仕方と
シンクロしておらず、むしろ逆行しているもの。
詳しくは↓この記事をご覧下さい。
http://ameblo.jp/feijoahills/entry-10813958805.html

「古今相撲大要(明治18年)」の「寄投」
退息所
「相手の脇の下へ手を差込み
寄ると見せて投るをいふ。
残れバ巻落シ腰ヒネリ等の手になるなり」

決まり手名は「寄投」ですが
解説文を読む限りは「掬い投げ」です。

「新編相撲大全(明治42年)」の「掬ひなげ」
退息所
「敵が左右のいづれより、一本差しに来る出バナを
受けながら、前へ曳く気味にて掬ふやうに投げる事を云ふ。
残れば巻き落し、腰捻り等に変化をきたすものにして。
総て寄投げに同じ手なる由」

決まり手名は「掬ひなげ」ですが、
解説文は「掬い投げ」になっていません。
単なるミス?

ここからの残り2つは「絵が違う」ものです。
「古今相撲大要(明治18年)」と
「新編相撲大全(明治42年)」の四十八手の中で、
絵が違うのはこの2つの決まり手だけなのです。

❹名前が「引投げ」で同じ、解説文も同じなのに、
絵が全く別の技になっているもの。

「古今相撲大要(明治18年)」の「引ナゲ」
退息所
「向ふへ突て相手の堪へたるを引き投るをいふ」

解説文の情報量が少ないですが、
絵と解説を合わせて考えると…
「とったり」や「引っ掛け」「引き落とし」辺りの技しか
連想出来ません。

「新編相撲大全(明治42年)」の「逆手なげ」
退息所
「向ふへ突いて行つて、敵の耐ゆる處(ところ)を
圖の如く」って…書いてる事はさっきの「引ナゲ」と同じだけど
その、肝心の圖(づ)が全然違うんですよね(笑)。

「引投げに同じく」って…
いやあ、だからそれは分かってるんですけど、
“書いてる事”と“描いてる事”が一致してないですやん。

上の「逆手なげ」の圖をご覧下さい…曲芸ですね。
一体何なんでしょう、この技は。

私は漫画↓でなら見た事があります、こういう感じのやつを。
退息所
(ジャンプコミックスセレクション「キン肉マン」VOL.22)

尤も「一本背負と同等なる手捌きなり」と
ありますから、技の掛け手は
アタル版マッスルスパーク(上の漫画の技)とは逆でしょうけど、
絵を見る限り、掛け手よりも掛けられ手の方が
積極的に何かしようとしている(笑)。

(飛んでいる方を技の掛け手として見た場合の話ですが)
こういう技があってもいいですよね。立ち合いで跳んで
宙返り(→「トンボ返り」の間違いですね)しざま相手の背後に回る。
もしこの「新編相撲大全」の絵の様に
自分が逆さまで宙に浮いている瞬間に
相手の胴を背後から
両手で抱えれば着地が安定するし
相手も後ろをとられて身動きが
取れない。着地されたら重心が
大きく掛け手側に移動するでしょう。

しゃがみ込む様に着地したら
その前転のエネルギーを活かして
背中合わせの体勢のまま、
相手の首か両脇もしくは両手の二の腕を両手で掴んで
自分の頭上から、背中合わせのまま背負い投げの
様な格好で前方に放り投げるんです。
(ムリだな、これは)

次行きましょう。

❺名前は同じ、別名すら同じ、
しかし絵と解説文は全く違う技を示している。
詳しくは↓こちらで
http://ameblo.jp/feijoahills/entry-10782460967.html

逆投(二チョウ投)→逆投げ(俗に二丁投げ)

「古今相撲大要(明治18年)」の「逆投」
退息所
「二チョウ投ともいふ。相手の両足に我が足を掛けて
投るをいふ。極らぬときハ持出さるるものなり」

う~ん、解説文は文句無しに現在の「二丁投げ」を
示していますが、
絵の方は「二丁投げ」かどうかよく分からないですね。
むしろ「腰投げ」っぽい感じがします。

「新編相撲大全(明治42年)」の「逆投げ」
退息所
「投げの変化にて、投げ手が極らぬ時に後へ捻り、
逆に足の流れ行く方へ投げるものなれば、
俗に二丁投げとも云い、若し極らぬ時は、
却って敵に持ち出されて、敗に帰す事あるべし」

これは現在の「二丁投げ」とは
共通点を探す方が難しい。

今の決まり手ですと「大逆手」や「上手捻り」「下手捻り」等
に相当するでしょうか。

「逆投げ」という名称が同じ
「二丁投げ」という別名も同じ
ついでに「極らぬ時は、敵に持ち出される」おそれが
あるという解説も同じ。

でも全然別の技です。
~~~~~~~~~~~~~~
以上、内容がほとんど変わらない
「古今相撲大要(明治18年)」の四十八手と
「新編相撲大全(明治42年)」の四十八手とで
5つの決まり手だけ
一致しない事を見て頂きました。

居反→鐘木反り
寄投→掬ひなげ(寄投げに同じ)
引ナゲ→逆手なげ(引投げに同じく)
逆投(二チョウ投)→逆投げ(俗に二丁投げ)
掛クズレ→飛び違ひ

しかし絵も解説文も決まり手名もすべて違う、
というのは一つも無いんですよね。
何かしら関わりはあるんです。
この↓2つは決まり手名が変わっただけで実質は
全く変わっていません、多分。

寄投→掬ひなげ(寄投げに同じ)
掛クズレ→飛び違ひ

これ↓は

居反→鐘木反り

「古今相撲大要(明治18年)」が
「居反り」で使うべき絵を間違えて「撞木反り」の絵を使用
してしまっただけなのか。それとも当時は
「居反り」=「撞木反り」という考え方もあったのか。

この2つ↓はちょっとわかりません。この2つだけ
違う絵を採用している、というのは著者の強い意志
の表れではないかと思うのですが…

引ナゲ→逆手なげ(引投げに同じく)
逆投(二チョウ投)→逆投げ(俗に二丁投げ)

「逆投げ」=「二丁投げ」を
唱えているのは、私の読んだ中では
この2つの書だけです。

多分どこかしらに間違いが潜んでいると
思いますよ。

「新編相撲大全(明治42年)」の「逆投げ」
…これと同じ技が常陸山著「相撲必勝獨學書(大正12年)」にも
登場します。しかしそちらには「別名二丁投げ」
とは書かれていません。

「相撲必勝獨學書(大正12年)」の「逆投」
退息所
「普通の本手の投は右の手で左へ
左の手で右へ投げるものであるが、
逆投はその反対に右の手で右へ、
左の手で左へ投げるのである。
即ち投の変化で投手が極らぬ時に
後に捻り、逆に足の流れ行く方へ
投げるものである。近頃の新聞記事風に
云へば『逆を引く』と云ふ」

まあ…まだまだ、いくらでも調査を
深められそうな箇所です。