シュレーディンガー(夢一夜 参拾捌) | feelsayo 2 

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猫を眺め 猫を被る日々。  
内心 ・・・ です。

2013/08/21 夕月
夢一夜 参拾玖 03:00amごろに見た夢。

勝手口に雉の体があった。

長く胴を伸ばし、手足を伸ばし、
機嫌よく眠っているような顔をしていたが
被毛は病んだ猫のそれのように艶を失い
四肢の付け根の傷からの出血がこびりつき
背筋に長く毛割れが走っていた。

自分は家人1と3とに従い勝手口に来て、
そこで
雉のなきがらを見、
その死を知った。

同時に、

雉の死は
既におきたことであるわたし私は既に知っていた。

雉の死は自明のこと、かつ
周知のこととして、そこにあった。

その場にいた家人1と3、
見知らぬ近所の子供二人も
それを知っていた。

自分はその事に気づき
大声で泣いた。

大声を出していては叱られる、
そう思ったところで目が覚めた。

変に落ち着いた気分の目覚めだった。


付記 

死者は「私」に内在しながら
「私」を超越する。

中島岳史

この言葉を、

死という喪失と同時に「死者」いう存在となる。
死者とは存在しないものである。
同時に「死者」として存在するものである。

と、いうほどの意味としてわたしは受け取っている。

存在しない。
同時に
存在する。

存在しないという状態が
同時に
存在するという状態と重なり合っている。

恐らくは、「合理化」。
しかしどことなく
シュレーディンガーの猫を連想させないでもない。

因みに。

8月12日、この日は
エルヴィン・シュレーディンガー(1887-1961)の
誕生日だそうである。