2013/11/18 十六夜月
夢一夜 参拾玖 03:00amごろに見た夢。
用があり通りへ出た。
浅い春のような、
澄んでいるようないないような物寂しい、
明るい光が通りの土と小石の、乾いた表面を照らしていた。
埃っぽい感じを受けるのは、その反射のせいかもしれなかった。
外気には温もりがなかった。
通りを照らす光に浅い春の光を思ったのはそのせいかもしれなかった。
通りでiPadを開くと
猫寄セ(こと家人1)が寄ってきて何か言う。
面倒な、意地の悪いことを言うのでその場に捨て置き
舗装されていない緩い坂の路地を、道なりに曲がりながら歩いた。
雉に似た年恰好の雉猫がいた。
雉猫を見て、自分は何事かを強く思った。
自分は角を曲がり、路地裏に入った。
角を曲がった家の地所の、
隣との境の、
丁度、人の目線くらいの位置に
溝が通っている。
そこに、雉が寝ていた。
雉の目頭に浮かんだ瞬膜は不透明な感じがするほどに厚く、
しかし、自分はそれを目脂だと思った。
自分はそっと雉を抱き上げながら、
これならまだ、大丈夫だ、持ち直す、
と、思う。
自分は雉を懐に抱いた。
雉の体はやや固く、
体には微かな温もりしかなかった。
雉の足の爪の感触を、自分は肋骨の下あたりに感じた。
温もりのない、小さな爪の先端を直に感じるような
はっきりした感触だった。
雉の脚は細く固く、ほとんど温もりがないようだった。
その感触から、雉の脚の被毛を想像した。
病み衰えた猫特有の、
艶のない脆い、潤いが失われた毛並みが頭に浮かんだ。
自分はまた、iPad を開き、
オンラインゲーム上の、友人のページを探そうとした。
その数分の間に雉の体温は失われ、
自分がふと、雉の顔を見たときには
雉は事切れていた。
自分は、iPadを開いたことを後悔しながら
家に戻り、雉を抱いて大声で泣いた。
竜胆(こと家人3)に叱られたところで目が覚めた。
補記
目が覚めてまず思ったことが
夢でも雉を見られてよかった、ということ。
次に思ったのが、
翌朝夢の記述を取る時間を割けるだろうか。
それまで夢を覚えていられれるだろうか。
ということ。
今、夢を振り返って
雉に似た「年恰好の猫」が実際にどんな猫だったのか、
元気な猫なのか、病気なのか怪我をしているのか、など
まったく思い出せない。
その猫を見て、自分が何を「強く思った」のかも
どうしても思い出すことができない。
自分が夢の中で、瞬膜を目脂と誤認した理由も分からない。
「後悔」は、12月9日未明、
轢き逃げされた雉が濡れた路面に倒れ
雨に降られているその時間、
自分は足を暖めていたこと、
剰え
雉がいない時間は作業がはかどる、などとさえ
思っていたことに対する罪悪感が
今、雑多なPC作業
(雉の画像他の整理、
未だに止められないオンラインゲームなど)で、
強度近視を悪化させ続けていることに対する
罪悪感と
混線して夢に現れたのではないかと思う。
現在、竜胆との関係は、雉がいた頃と
比較にならないほど穏やかなものになった。
竜胆自身の、生活上の問題、精神的な問題が
既に解決されていることから、
竜胆がわたしを見る、見方が、変わったことが
原因のひとつかと思っている。
わたしの一方的な見方だ。
林道がどう思っているかはまた別の問題。
わたしが完治しない病気に掛かり
日常の不便は殆ど竜胆に掛かっていることが
大変申し訳ない。
夢の中では未だに、
雉が生きていた当時の、
あまりに問題の多かった、
家庭内の人間関係が再現されていることが
不思議だ。