私の愛読書となっている「神の使者」の本編1ページ目に、
こんな文章があります。


「ー(前略)自分ではわからなかったが、ぼくは自分を相手に負け戦をしていた。それに、そのころはやっぱりわからなかったが、じつはすべての人が自分を相手に戦って負け続けている。たとえちょっと見は勝っているように見えても、ほんとうは負け戦なのだ。」


【神の使者(The Disappearance of the Universe)ゲイリー・R・レナード著 P18 7行目から】


うーん、そうかぁ。

確かにそうだな。

そうだ、と思うこころは、なぜ、そうだと思っているのだろうか、
私は、なぜ、負けているのにやり続けているんだろう??


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ACIMの中には、

あらゆる攻撃を退けるように、

と書かれています。


どのような理由であっても攻撃は認められることはない、

というその理由は、


私たちが「神の子」であり、
「神」と同様に「すべてである」、からです。


すべてであるものは、
不足ということが起こりえません。

よって、
攻撃の必要がありません。



ですが、

もし、私が「誰」なのかをすっかり忘れ、
私がすべてとして在るということを忘れている場合、
私は、足りないものやかけているを求めて、彷徨うことになるでしょう。

そして、もし、その足りないと信じているものを
「誰か」が持っていると信じた場合、
確実に争いが生じます。

私がそのように信じていたなら、
その逆も起こりえます。

「誰か」から攻撃を受けることも、
「誰か」を攻撃することも、

このように信じているならば、必然の状況です。


そして、
この「誰か」は、私自身です。


なぜなら、
この世界には、「神の子」しかいません。


私が「神の子」ならば、
これを読んでいる方ももちろん「神の子」であり、
この世界にいるすべての人が「神の子」です。


「神の子」は、神の性質をすべて与えられているが故に、
すべてであり、永遠であり、不変で、歓喜そのものです。


「神の子」は、すべてであるということからも、
私が「神の子」ならば、

私(「神の子」) = この世界のすべての人(「神の子」)

ということがはっきりします。


だからこそ。

自分が「誰」なのか、
このことを忘れている人は誰も
自分を相手に負け戦をしている、
という状況になるということが分かります。


この終わりのない戦いから開放されるためには、
自分が「誰」なのかを真に思い出す、
ということが重要になることもはっきりします。


自分自身が本当に誰なのかを思い出せるなら、
どんな方法でもよいと思います。


私は、シータヒーリングを学んですぐに、
根源にこの質問をしました。


「私は、いったい『誰』ですか?」



根源からは、



「自由な『光』である。」



と教えてもらいました。


これも真実です。
でも、私は、この感覚だけでは、
「神の子」(意味の含めて全部)というところまで、
私が分かることはありませんでした。

もうひとつ奥へ踏み込まないと、
すべてである、という感覚まで入れませんでした。


いまは、シータヒーリングではいろんなセミナーがあるので、
「神の子」というこの感覚は、
多くの方に共有されているのかもしれません。


自分にとって最も適切な方法で、
自分が「誰か」を真に思い出したら。


今度は、
それをこの幻想の世界で体験することになります。


なぜ、体験が起こるか。


思いは、常に日々様々な出来事から形成されています。

そして、
日々私が思うことをこの世界で見るのは必然です。

だから。

もし、真に自分が「誰か」を思い出したら、
その思いの通りの
「体験」が起こるのも必然です。


体験するためには、これを真実だと確信して、
見続けることが大切です。


私は、
もう、自分を相手に負け戦をし続けたくありません。


だから。

自分を相手に負け戦をすることを完全に放棄して、
私は、真に私が『誰か』を思い出し、
「神の子」として見る体験を重ねることを決意しています。


このためのチャンスは、
どこにいても、可能です。


この目で、「誰か」を見るかぎり、
私のこころは、「神の子」の視点で見る。


私は、無意識にでもこれができるようになるために、
いつもこころに置いて、やり続けています。

私が真に「誰か」を思い出すために!
ACIMが出版されたのは、
1976年。


もう、ずいぶんと前なのに、
内容は本当に最先端です。


当時、ACIMは全米で長い期間、
連続1位に輝いたほどのベストセラー本となりました。


内容は、
ACIMは、J(イエス・キリスト)によって解説されている
奇跡のコースです。


マスターの話によると、
奇跡のコースが一般的になるのには、
あとだいたい500年後のことになるそうです。

まさに時代の先を行く、
素晴しいコースです。


70年代半ばから、
現在に至るまで、ACIMの影響を受けてきた人は、
とても多かったのではないかと感じます。

スピリチュアルと呼ばれるジャンルで、
ACIMが語っていることと重なることは、
とても多いなぁと読み進める度に感じます。

ただ、それらと違って、
ACIMは、この世界でうまくやるためのものではなく、
この世界から真に目覚め、
私が本来いる場所に帰るための学びが書かれています。


この身体も、
この世界も、
この宇宙も。

私が見ていると思っているこころも。

すべて夢の話なのだと分かること。


あらゆる判断を手放し、
すべてはひとつだと確信を持って見る。

そこには、私の本来の性質である「愛」が現れ、
あらゆるものに「神」の光を見ることになる、と。


もうひとつ、重要なことがあります。


この学びは、自学自習のコースですが、
常に「導き手」がいる、
ということです。


このACIMを学ぶにあたり、
常に「導き手」によって導かれ、
道を外れれば「導き手」によって軌道修正がなされます。


いつも
ひとりではない。

これは、本当に安心できることです。

また、その「導き手」は、
この世界の時の終わりから「いま」をみているので、
決して道を誤ることはありません。


完全に信頼できるガイドに導かれ、
「神」のいる場所へ戻るこの旅は、
必ず目的地に到着することが出来ます。


私は、それを確信していますし、
コースを学ぶことに関して、
私は必ず目的地に到着すると安心しています。


そして。

コースを導く「導き手」の愛の深さ、大きさは、
本当に感動的です。


例えばJの名を呼ぶだけで、
愛がこころに溢れ出し、
どうしても感動してしまって自然と涙がこぼれるのを止められません。
(年を重ねたせいかも知れませんが:笑)


ACIMを作り、提供してくれているJの導きは、
いつも愛に溢れています!

その導きは、
本当に愛に溢れているため、
生徒である私は、
必ず出来ると確信せざるを得ません。


もし。

本当に、
生徒をこころから信頼し尊敬してくれていると感じる先生から、
あなたは出来る!と確信され、励まされたなら。


できるすべてで応えようとしない生徒がいるでしょうか?


常に首尾一貫して教え、
共に向かう目標に至るその道のすべてを
焦燥の気持ちではなく、
愛の気持ちで待ち、導く先生を
生徒は信頼せずにいられるでしょうか?


私がこんな風に教えを受けたことは、
これまでに1度ありましたが、
本当に感動的であり、学ぶことそのものがよろこびでした。


いま、ACIMを学ぶにあたり、
私の導き手となってくれたJにこころから感謝し、
いま起こっていることすべてに感謝し、
これからのすべてに感謝しています。


ブログの記事の中にもACIMの内容に付いて、

少しずつご紹介したいと思っています。
ACIMを学び出して、

シンプルであること = 簡単なこと

ではない。

ということをしみじみ感じます。


ACIMの基本はとてもシンプルです。


いまはすっかり忘れている
「自分が「誰」なのか」を思い出し、

自分の本質である「愛」そのものとなって、

すべての人(テキストでは兄弟と書かれています)を
新しい「赦し」で赦しきり、

自分の本来の場所である「神」のいる場所に帰る。


本当にシンプルです。



でも、
これを実際にやるとなると、
この世界を実在だと信じている私が抵抗し、
攻撃してきます。(笑)


そこで、
重要になるのは、「自分が何を選択したいか」ということです。


私は、ぜひとも真に見たい!

何が実在で、
何が幻想なのか。


私が勘違いしていることを正し、
真実を選択し続けたい。


そう決意しています。


この「自分の選択肢」について、
どうやって選択する?という話を
ACIMを共に学ぶ友人と話していて、
気が付いたことがありました。


それは。

この世界を実在だと信じたい私が話すことは、


常に「答え」以外を話す。


というものです。


このことによって、
なにか、こころの中に浮かんだ質問に対して、
疑問や、不満、非難、批判、悲嘆などを話してきた場合、
それは、本当の実在の私ではないと分かります。


それは、ACIMを学ぶものとしては、
その声を選択しません。

ただ、その聞こえてきた声とそのすべてを赦し、

その他の声に耳を傾けます。



静かにしていると、
べつの声が聞こえてきます。

それは、質問に対する「答え」です。

これは、
「神」の声を代弁するものから伝えられるものであり、
私を実在へと導いてくれる声でもあります。


なので、
最近は、質問が浮かんだら、
静かにするようにしています。

そうすると、
その声の「違い」を聞き分けられるようになります。


静けさは、いつも「神」に繋がっている。
(シータヒーリングの7層と同じですね!)


混乱している時ほど、
早くこのことを思い出せるよう、
習慣化させる訓練をしています。
私は、ACIMを知った時。

この世界の時の終わり、
そのときは、

すべて「ハッピーエンド」で終わり、
私たちすべては、本来の場所である
「神」のいる場所へ帰る、

ということを教えてもらいました。



そうなんだ。

どんなに厳しい状況を経験しても、
最後はみんなしあわせになるんだ。

そう思ったら、
とても安心し、しあわせな気持ちになりました。


みんなしあわせになる、
その日を目指して、
私はどの瞬間も「赦す」ことをやり続けていくと決意し、
「赦し」が第二の天性になるまで、
わたしの習慣になるようにやり続けています。
毎日。

いろんなことがあります。

私が、一番「赦す」という機会を与えてもらっているのは、
子供たちとの関わりからです。(笑)


日々、目にするいろんなことで、
ふとすると、
こころの奥から
メラメラぁっと、怒りが湧いてきます。(笑)


でも。

いま、怒っているのは、いったい誰なのでしょう?



本当の実在の「私」でしょうか?


いいえ、
それはありえません。


本当の実在の「私」は、
すべてであり、永遠であり、普遍であり、歓喜そのものです。


怒りとは何かすら、知ることはないでしょう。


そこで、はっきりします。


怒っているのは、
本当の実在の「私」ではありません!



このようにして、
私は、あらゆる怒りを外からみて、
「赦し」へと導いています。


これは、怒り以外でも、
あらゆる「赦し」に使えるとても便利な見方です。

最初に、

「この世界は幻想で存在しない」、
「この世界に意味はない」、
「この世界は既に終わっている」、

ということを知って、
私はショックを受けていました。



私が今までしてきたことは、
全く意味がないのか?
これまで努力してきたことは一体なんだったのか?
そんなことは信じたくない!

そう思っている私がいました。

それを知った後、
怒ったり、落ち込んだり、自暴自棄になったり、
憂鬱になったり、何とか信じないようにしようと
暴れている自分がいました。



が。



この暴れている「私」は、
本当の実在の「私」か?
という疑問がわいてきました。


私は、「神の子」です。
「神の子」は、「神」より受け継いだ
「神」の性質をすべて持っています。

「神の子」は、永遠であり、恒常であり、すべてであり、歓喜そのものである。

すべてであるものとして存在している「私」が、
この世界が幻想で、この世界のすべては意味がない、
と分かったら、

やってきたことすべてが意味がなかったと落ち込むだろうか?
怒りに満ち、自暴自棄になったりするだろうか?


いやー、
それはないな。


逆に、この考えと歓迎するはずだと。

おかしいと思ったんだ!
なんか変だと思ってたんだ!
こんなことになるはずはない!って。
と納得するに違いない、と。


よって。

暴れている私は、
本当の実在の「私」ではありません!


と、宣言できた時、

なーんだ、そうじゃないか!!
私じゃないじゃないか!!

なーんだ!!

と、気持ちが晴れ晴れしました。(笑)


本当の実在の「私」と、
この幻想の世界で「私」だと信じている私は、
こうやって見分けられるようになりました。


一体、「誰が」そう感じているのか、
これが分かることで、

「赦し」がとても楽に進められます。

この方法で、
ひとつずつ私の実在の私へと近づいています。
マスターに至るためには、

出会うすべての人を赦し、
起こるすべてのことを赦す、

ということが必須です。


このことにより、
私が「我が家」である「神」のいる場所に戻ることができます。

この「赦し」を通じて、
私の勘違い、錯覚、妄想を終わらせることができます。



ですが、
ACIMを学び始めた頃は、
この「赦す」ということについて、
さっぱり分かりませんでした。

あの頃の私は、
「赦す」という思いからは、
善悪が生まれ、
優劣が生まれ、
対極が生まれると思っていました。

一体どうやって赦すと「赦した」ことになるのか、
本当によく分からなかったのです。


最近、ようやくこのことについて分かりました。


まとめると、こんな感じです。



「赦す」

これは、古い方法と、新しい方法とあります。


ACIMは、新しい方法を採用しています。


私がこれまで思っていた
古い方法の「赦す」とは、
パーサとアーテン風の言葉を借りたならば、
こんな感じです。

「私は絶対的善であり、あなたは悪なのだから、
 私の寛大なこころであなたのしたことを赦してあげましょう。
 でも、あなたが地獄に堕ちることは確実でしょうけど。」

(爆)


おーこわ。(笑)

でも、
笑ってられません。

私の中に、こんなことを思っているこころがあるのも
事実です。


でも、
これは、「赦し」てません!(笑)

私のかつての二元論の視点から、
この世界を観、この世界を真実だと思っていると、
こんな感じになるでしょう。

あなたは悪、
私は善よ。

神は善で、私は神の代弁者だから善。
私の気に入らない人は、みんな悪。

(爆)

文字にすると、
これは、二元論だとはっきり分かります。

ですが、
私のこころの中で起こると、
ふっとすると、
分からなくなります。(苦笑)


分からなくなっている時。


このときの私は、
「私は「神の子」である」ということを忘れています。

このときの私は、
「この世界が幻想である。」ということを忘れています。

この時の私は、
「本当は『何も』起こらなかった」ということを忘れています。

この時の私は、
「神から一度も離れていない」ということを忘れています。


これらすべてをはっきり思い出して、
「赦す」ことこそ、
ACIMで薦められている新しい「赦す」ということです。


例えば、このようになります。


「この世界は、存在しない。
 この世界は夢の世界で、幻想なのだ、
 ならば、ここにいる人が私にしたことは、
 『本当は』何一つ起こっていない。
 
 何も起こっていないのだ。

 もし誰かが。
 夜、夢を見て、夢の中で「あいつが私にひどいことをやった!」
 といって怒鳴り、その人を批判していたら。
 私は、あのひとは「頭がおかしくなった」と思うに違いない。


 この世界が夢なのだと、私は知っている。

 私は、この世界が夢だと知っているから、
 今起こっている出来事は、本当は起こっていないと分かっているから、
 これに関わるすべての人は無辜(むこ)だと確信している。

 よって、
 私は、これに関わるすべての人が無辜であると宣言します! 」


この新しい「赦し」は、すべての人、すべての出来事に適応できます。

この方法によって、
あらゆる煩わしい出来事から開放され、
真の平和を勝ち取ることが出来ます。


そして。


これが、【マスター】への道のりのすべてです。
これをやり続けるのが、
わたしのやるべきことのすべてです。
もっとも怖れていた、
こころの奥の奥にあった「何か」。

それは、神と離れた!と思った妄想の瞬間の衝撃でした。


そこには、完全な愛とはなれてしまったという絶望と
なぜそんなことをしたのかという後悔、
私には帰る場所がない、という孤独感。


でも、
ACIMを学ぶまでは、
私はそれを認めることは出来ませんでした。


「本当は何も起こっていなかった」、
ということが本当に分からなければ、
その瞬間を思い出すことはしなかったでしょう。


分離の瞬間を思い出すことは、
わたしにとって、この世界の「死」に匹敵します。

おっそろしかったです。(笑)
本当に。

でもいまは、
それは幻想だとはっきり分かっています。

こころの奥にあったその感覚のクリアリングも終わり、
これまで、その思いが止めていたいろんな不要な思いも
どんどん見つけられるようになりました。


そのあたりは、
シータヒーリングのテクニックを活用して、
解除できるので、わたしにとっては非常に効率的です。





ここに至るためには、
「神の使者」と、「不死というあなたの現実」を読まなければ、
何年かかったか分かりません。(笑)

この場を借りて、ACIMを作ってくれたJと
ゲイリーさん、【マスター】のパーサとアーテンに
こころからの感謝と
こころからの尊敬と敬意を送りたいと思います。

ありがとうございました。

私は、2008年末に倒れた母を回復させるために、
2009年4月にシータヒーリングを学びました。

もうどちらも今年で5年目になります。

母の回復は、緩やかですが、
確実に一歩ずつ前に進んでいます。


でも。

私が思っているスピードより、
遥かに遅いのも事実です。

私は、これまで何人もの方々にヒーリングをして、
瞬時に癒しが起こることを目の当たりにしてきました。

先天性だろうが、
手術が必要だと言われようが、
その方が「よし」と思えば、瞬時に正常な状態に変わることを
私は何度も体験してきました。

母へのヒーリングも、
熱を下げたり、痛みを取ったり、傷を癒したり、
細かなことは可能です。

でも、今の状態を「回復」と呼ぶことはできません。

いまでも母は、
気切をした状態で、話すことは出来ません。
身体も嚥下も出来ません。


でも、
母が健康になることは可能だと信じてきました。

ですが、
母へのヒーリングの結果が出ないことに、
ずっと、
おかしいなぁ?と思ってきました。


いったい、何が原因なのか。


この答えを探して、七転八倒してきた4年間だった、
そんな感じです。


私は、
母を回復させるために、
あらゆることを試みました。

自分のクリアリング、デトックス、精油、環境改善などなど、
あらゆることをして、母の回復を祈り、
できるすべてを続けてきました。


自分のクリアリングが進むにつれ、
どうしてもこの奥に何かがあるのに、
どうしても「そこ」に手が届かない、
そんな感じを強く持つようになりました。
明らかにその「何か」感じるようになったのは、昨年の8月頃からです。

いったいこの「感じ」は、
なんだろう?

でも、どうしても観ることができませんでした。

確かに、
この奥にある「何か」を明らかにする必要がある、
その奥に絶対すべての元凶となる「何か」がある、
そう感じていました。



昨年の11月ACIMを学び、
私はそのヒントを見つけました。


ACIMでは、
「奇跡に難易度はない。」
「死者を蘇らせることも不可能ではない。」
そう書かれています。

この世界は幻想だということ、
(これはシータヒーリングでも学びました)
そして、
「神」のいる場所がわたしの本当のいる場所であり、
そこは永遠であること、
変わらずに美と歓喜だけが創造され続ける場所であると書かれていました。


そのとき、
!!!!!
私は、あることが分かりました。


私は、まだ、この世界を幻想ではなく、真実だと思っている。
そして、
この世界を真実だと思うその奥に、本当のことがある、と。

もし、
このことが分かったら、
私は、母が回復するのをこの目でみるだろう、と。



あと、
もうひとつ分かったことがあります。


「母を失うことを怖れている」、ということ。

父は、早くに亡くなり、
妹はお嫁に行き、
私と母は、二人で長い時間過ごしてきました。

ニ卵性親子(笑)と言われるほど
お互いのことがよく分かる双子のような関係であったので、
失うことが怖かったと思っているこころを見つけることが出来ました。


ACIMを学んで、
気が付きました。

私は、「神」のいる場所に戻れば、
母と永遠にいられるのだということ、

そして、

母とだけでなく、妹とも、
そして、愛する人すべてと一緒に
永遠に歓喜の中いられるのだ、と。


私は、「神の子」であるがゆえに。

私は、母を失うことはありません。
そして、
私は、愛する人を失うことはありません。

これは、
わたしにとって真の「福音」となりました。


にしても。

本当に、
この世界はめんどくさい!!(笑)

でも、妄想を作ったのは私です。

だからこそ、
真に目覚め、この世界を終わらせて、
愛する人たちとともに永遠の世界へ帰りたい!!

これが、
私がマスターを目指す動機になりました。


自ら病を得て、
自分の身体を呈して私に気付きを与えてくれた母へ、
その愛にこころから感謝するとともに、
私を神のいる場所へ導いてくれたことにも、
こころから感謝しています。

「「神」はこの世界を作られませんでした。」


神は、この世界を作られませんでした。

もし、
神がこの世界を作ったなら、
神は不完全な存在である、ということになります。

ですが、
「神」は、完全であり、すべてであり、永遠であり、普遍の存在です。

「神」が創造するものは、
「神」によって、神と同じ性質を与えられます。

この点からも、

「「神」はこの世界を作らなかった」

ということが分かります。


では。


神が作らなかった「この世界」。
ほんとは、存在しない、
私たちが実在のものと信じているこの世界。


存在しない「この世界」は、
いったい何なのか?


例えるなら、この世界は悪い夢です。
そして、夢は目覚めた時に消滅します。



この悪い夢の始まりは、
「神」から離れたという錯覚、妄想からです。


「神」の愛に包まれ、
完全に安全で、歓喜そのものである中にいたとき。


「もし、ここから離れたらどうなるだろう?」

と、
妄想したことがきっかけです。


そこから、悪夢は始まりました。


その悪夢は無限に広がりました。
でも、
それが妄想と知る「マスター」によって、
すべてが明らかにされ、解体され、消滅され、
一瞬にしてこの悪夢のすべては終わりました。


しかし。

私たちは、いまだこの悪夢という妄想が真実であると信じています。



ですが、

この世界は既に終了し、消滅しています。

これは真実です。



この世界では。

何も変えることはありません。
既に終わっているのです。

何も新しく作ることも変化も必要ありません。
既に終了しているのです。


永遠に続くと思っている
この世界は、
「神」の世界では、すでに消滅しています。


そして。

実在の世界である「神」のいる場所では、
時間がありません。

永遠の世界である時間の存在しない「神」のいる場所では、
既にこの悪夢は瞬時に終わっています。




既に終了しているこの悪夢の中で、

私は、

何かに嘆く必要があるでしょうか?
何かに怒ることは必要でしょうか?
自分が善だと主張する必要があるでしょうか?
誰かが悪だと批判する必要があるでしょうか?

この世界は、悪夢という<妄想>なのに?

いったい誰に?
何に怒る?
どうして嘆くことがあるのか?
どこに不満を持つことがある?

これらの必要はどこにあるのか?


私は、
夢で起こったことに、
一喜一憂するのは、狂人だけだとJから学びました。


私がこの世界を変える必要もなければ、
怒ることも、
怖れることも、
嘆くことも必要ありません。

既に終わっているのですから。



でも。

私は、まだこの世界を信じています。
まだ、
この世界が実在だと信じています。

その勘違いをひとつずつ、
解除すること。

これがマスターへの道のりです。


そして、
いま、私がこの悪夢というの妄想の世界から
真に目覚めるためには、

私は「神の子」だということを思い出し、
この世界が私がみた悪夢という妄想であり、
もう既に精霊により終了していて、

本当は、「何も起こっていない」
ということを思い出すこと。

そして、夢で起こることすべてを
「赦す」こと。

これをやり続ける。
ただ、それだけです。


これが、マスターに至る道。

私は、これをやり続けています。