上司のOTの先生とたまに話をさせてもらう機会があり、認知症の難しさを感じている。
認知症には大きく分けて周辺症状と中核症状がある。
中核症状(必ず見られる症状)
記憶障害、見当識障害、失認、失行、理解・判断力の障害、実行機能障害
周辺症状(BPSD)
不眠、妄想、幻覚、徘徊、人格変化、介護の拒否、暴力・暴言、異食、抑うつ状態、不穏
※発生の原因
中核症状の進行にともなって低下する記憶力・見当識・判断力の中で、不安な状況の打開を図るために第三者からは異常と思える行動に及び、それが周囲との軋轢を生むことで不安状態が進行し、更に症状のエスカレートが発生するため。
中核症状が認知症の初期・軽度・中等度・重度と段階を踏んで進行していくのに対し、周辺症状は初期と中等度では症状が急変する。
コメディカルのスタッフとしては、環境設定により、周辺症状を緩和していかなければならない。
接し方は正直難しい。
人間一人一人違うもので○○だから××みたいなにはならない。
自分がどこにいるのか分からなくなって徘徊に繋がっていたり、自分の主疾患の程度を知らずに徘徊に繋がったり・・・十人十色。
認知症の人にはこういう接し方がいいよなんてものはない。
なのでそれぞれの職種がその人の問題点を抽出し、環境設定を考えていかなければならない。
また自分の病院・施設で行ったことを今後の生活期にまで落としこんで行かないと意味がない←これが一番難しい(進行していくため特に)
簡単な動作でもしっかりできることを実感させる
先日ある認知症患者の移乗動作の安定を目標に立てリハビリを提供した。
後方重心が著明であり、起立時は重心の前方移動が少なく、離殿が早い。伸展相に入ると足尖が浮いてしまい、制御することができず性急な着座となってしまう。
手すりを使いましょう。たしかにその場ではできる。しかし、実際の病棟の生活では定着しない。毎日、毎日指導してもできない。なんでだろう?
危ないことを認識できていない。エラーが検出できない患者なのだ。
なのに危ないので手すりを持ってくださいねって患者からしたら「はい、はい」て感じだ。僕らでもそうだろう勉強頑張った方がいいよと言われてもその根本を感じ、理解しなければ「はい、はい」で終わるではないか。
じゃあ根本を理解できないのなら体に覚えてもらう。(促し方も重要。運動しましょう。なんで?となるので)
エラーレスでの学習を進める。単純にかつ誤差を少なく。また、楽なことを実感させる。
介助下にて行う。道具の使用は今回は難しかった(道具自体が新たな外的刺激となるため難易度が高い)、ポイントを絞り進め(より刺激が少ない環境で適応的運動学習、課題指向的に連続的運動学習)、後は覚えてくれることを待つ。大脳皮質が委縮しているなら、扁桃体が純粋に喜ぶようにし、眼窩前頭前野で報酬を強化し、強化学習を図れるようにする。
今回感じたのが少しでもこちらが誤差を出してしまうと、ポイントをうまく絞れないと、楽なことを実感させれないと混乱し学習どころではなくなること。
難しい=負の感情となり、不穏状態になり眼窩前頭前野での強化が行われないのだ。
技術が未熟な僕はそれを強く実感した。
負の感情はどんどん強化される。
この人は難しいことを強要する人と認識されてしまい、信頼関係は崩れ、会うたびに負の感情が湧きでる。そうなったらコミュニケーションどころの騒ぎではない。
コミュニケーションをいくら意識しても自分の課題設定が不十分であれば、いじめられていると感じ周辺症状が起き、課題設定が適切でもコミュニケーションが乱雑であればもちろん同様、また、それをその患者が関わる人に伝達し、実践できなければ次の日にはリセットされてしまう。
いかにその患者に適した課題を選択するのか?
いかに正の感情を入力するか?
いかに運動するまで持っていくか(コミュニケーション)?
いかに伝達するか?
いかにみんなに行ってもらうか?
自立は難しくても質を高めることはできる。
また、入院中だけでは意味がない。生活期でも継続できるように。
あきらめるのは簡単である。
がむしゃらによりよい入力、連携ができるようにしたい。
