【ここは】高校入学【別天地(動物園)】

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”不登校”公認会計士ですよ星

 

今回は高校入学当初と不登校のその後について綴りたいと思います。

 

なんで公立高校に落ちちゃったんだろう、なんで私立高校に入っちゃったんだろう…。

 

高校の入学式で母親に話していた記憶があります。

 

母親も一緒に落ち込んでいました。

 

このころは公立高校に落ちた原因が

 

内申点の評価の低さにあるということは知らなかったため、

 

その原因は自らの勉強不足にあるのではないか考え、

 

さらに自信を失い、どん底にいる気持ちでいました。

 

 

入学式が終わり、いよいよ授業が始まりました。

 

授業を受けてみての感想、それは「動物園みたい笑」でした。猿

 

 

生徒は授業をまじめに受けず、

 

漫画やゲーム、私語、食事お弁当をしており、

 

また、授業の内容が高校の内容とは思えない、とても簡単なものだったのです。

 

いい子ばかりいた中学生時代の環境とは180度変わっていました。

 

 

みんながこのような状態だったので、

 

多少頑張って勉強すれば試験では上位を狙うことができます。

 

 

実際に勉強を頑張ってみたところ、

 

中学生時代には考えられなかった順位を取ることができました

 

 

また、中学生時代の不登校の時に通ったパソコンスクールもここにきて役立ったのです!

 

私の通った高校は主にIT関係の資格を取得させることを目的にした高校であり、

 

パソコンの文書作成に関する資格検定を一番最初に取得することを目標に掲げていました。

 

いわゆる、文書をいかにミスなく、早く作れるかの検定です。

 

 

私はパソコンスクールでブラインドタッチができるようになっていたため、

 

学年で一番最初にパソコンの文書作成に関する資格検定の1級

 

取得することができました。

 

不登校の時、みんなが授業を受けている時間にパソコンスクールに通ってしまったけれど、

 

人生に無駄な時間なんてないんだな

 

と思った瞬間です。

 

 

試験で上位を取ることができたこと、

 

そして、一番最初にパソコン文書作成の1級の資格を取得できたことで、思ったことは

 

オレ結構やれるんじゃん!」でした。

 

このとき、自分で自分を認められたのですOK

 

不登校のときには空っぽだった自信が実績とともに補充されたのです照れ

 

これ以降、早退も欠席もなく、

 

高校1年生で不登校を完全に克服したのです100点

 

 

ここから”みんな”が通るレールから脱線してしまった私の快進撃が始まるのです…炎

 

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【私立入試】不登校生が高校受験してみた【公立入試】

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”不登校”公認会計士ですよ星

 

今回は高校受験編について語りたいと思います。

 

 

中学校卒業まで自主的4時間授業は続き、

 

6時間目までいることはありませんでした。

 

4時間目で帰った後は自宅で勉強し、その後、塾に行って勉強をしていました。

 

 

通っていた塾では模試が開催されていたのでそれを受験しました。

 

模試では志望校を記載するのですが、

 

志望校であった公立高校の判定はそこまで悪くはありません。グラサンふふふ

 

 

模試の結果を受けて勉強を継続し、いよいよ受験校を決める段階となりました。

 

公立高校は私立高校と異なり、一つしか受験できません。

 

そこで、どの公立高校を受験するかが問題となります。

 

 

公立高校では試験でも内申点が見られます。

 

私の場合、少なくとも中学2年生では不登校と判定されてしまいます。

 

内申書には先生たちに不登校についてうまく言葉を選んで記載して

 

もらっているはずなのですが、

 

数字部分はどうやってもごまかすことはできません。(欠席日数3ケタいってるしねっ星

 

 

しかし、どうしても公立高校に通いたかった私は、

 

塾の模試でほぼ確実に受かると判定された公立高校を受験することとしました。

 

先に私立の高校の受験・合格発表があり、

 

その公立高校と同レベルの私立高校は問題なく合格できました。お祝い

 

また、公立高校の受験当日も無難に問題を解くことができました。お祝いお祝い

 

 

そしていよいよ、合格発表の日がやってきました。お祝いお祝いお祝い

 

 

私は合格発表を確認しに行く勇気が出なかったため母親に確認してもらいました。

 

 

 

 

母曰く「合格発表の掲示板に行く途中の踏切が私が渡る直前で閉まった・・・。」

 

そう、結果は不合格ゲロー

 

母が踏切で遮られたのは、不合格の暗示だったのでしょうか涙

 

 

志望校のレベルを落として受験しても不合格でした。

 

聞くところによると、私の受験した公立高校は

 

100点満点中、試験の点数50、内申点50で配点し、評価をするようです。

 

内申点を利用して推薦入試で高校に入学しようと中学校入学当初は考えていたところ、

 

内申点がネックで入試に落ちるとは思いませんでした…ゲロー

 

不登校の私にこの配点評価ではほぼ勝ち目はないのでした…ゲロー

 

ちなみに私に「こいつ見た目ほど頭よくないんだぜ!」と発言したY君も

 

同じ高校を受けたのですが、結果は私と同じでしたOK

 

 

そして受験に失敗した私は不本意な高校へと進学していくのでした…。

 

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【内申書】中学3年生【対策】

前回の記事はコチラ

 

 

”不登校”公認会計士ですよ星

 

今回は中学3年生以降の自分について綴りたいと思います。

 

 

中学3年生の初期までパソコン教室に通っていて、ほぼ学校に行かなかったのですが、

 

推薦入試や公立高校入試を見据えると、

 

不登校という認定を受けたくないと思っていました。

 

(いや、普通に学校へ行けよと思ったあなた、exactly!ゲロー)

 

 

そこで何とか不登校認定を受けない方法はないかと模索した結果、

 

4時間目まで登校して給食は食べずに帰宅するという自分の目標を設定しました。

 

推薦入試や公立高校入試で重視される内申書には、

 

欠席日数は記載されますが、

 

早退日数や遅刻日数は記載されないという耳寄り情報を知ったからです。(抜け道やでグラサン

 

 

給食を食べないことについて、カウンセリングの先生が母親に伝えた話によると、

 

「給食も食べられないくらい弱っている自分」を

 

みんなにアピールするための行動であるとのことでした。

 

確かに、実際そういう意図はあったな自分でも思うし、

 

また、当時は給食の時間を無駄に感じていたため、その時間分、

 

一刻も早く帰りたいと思っていたための行動でした。

 

 

余談ですが、

 

小学生時代の給食は、その学校に給食を作る施設があり(自校給食方式)、

 

味はおいしいし、おかずはおぼんの上のちゃんとした食器に盛りつける方式だったのですが、

 

中学生時代の給食は給食センターの給食で味はおいしくなく、おかずはトレーのようなものに

 

に直接盛る方式だったため、

 

食欲が失せてしまったことも給食を食べなかった大きな理由です。真顔

 

(めんどくさくてゴメンナサイ・・・真顔

 

 

登校すること自体は、朝に発生する頭痛や吐き気が以前のように強くなかったため、

 

朝から学校に行くことができ、

 

また、4時間目が終わったら帰れるという決め事のおかげで、

 

登校という心の負担がだいぶ軽くなりました

 

 

一方、不登校期間中、私は常に学業の遅れを気にしていました。

 

中学2年生までは自宅学習で不足を補ってなんとかしていました。

 

しかし、高校入試を見据えた中学3年生の時は、

 

4時間目で帰る自分と、

 

6時間目までしっかり勉強しているほかの生徒を比べて、

 

この2時間の遅れがとても大きいものに感じました。

 

日々自分より2時間長く授業を受けているみんなに、

 

次の日に会うのことが怖く感じたこともありますガーン

 

 

今考えれば日々の2時間の遅れなんてどうとでもなることであるし、

 

むしろその2時間を真剣に受けている生徒がどれだけいるのだろうと

 

疑問に感じるほどですが・・・

 

 

次回は受験編です…!!ガーン

 

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【気持ちの整理】不登校中の取り組み【新しいこと】

前回の記事はコチラ

 

 

”不登校”公認会計士ですよ星

 

今回は不登校だったときに何をしていたかについて綴りたいと思います。

 

 

中学2年生初期のころは自分の好きだったテレビゲームも、

 

5分しただけで気持ち悪くなり、

 

ほとんど何もできない状態が続いていましたもやもや

 

 

そのような中で私は母親と長い時間を過ごしていました。

 

私の母親は私が小さいころから働くことが好きで、

 

私が保育園生のころからすでに働いてたため、

 

母親と過ごす時間は多くはありませんでした。

 

短かった母親との時間を取り戻すかのように、

 

この時期はずっと一緒に行動していました。

 

 

自宅にいるときは、何気ないことから不登校である現状のこと、将来のことを話し、

 

お昼はランチに出かけていろいろな話をしていました。

 

私はそのとき、みんなが学校に行っているなかでランチに行けたこともでしたが、

 

それ以上に自分に向き合えてもらえたことがとてもうれしかったと感じました。

 

母親と話す中で、自分の思いが整理され、

 

だんだんともやもやした気持ちが減っていきました。

 

 

今でも母親と一緒に食べた、

 

からめんやというお店の塩バターコーンラーメンが思い出の味ですラーメン

 

 

また、中学2年生中期から後期にかけてはゆっくり休み、

 

そして母親と行動し、心が満たされていったためか、

 

何か新しい行動を起こしたくなりましたおすましペガサス

 

 

そこで私はかねてから興味があったパソコン教室に通いたいと思いました。

 

私は学校に行けないだけで、外を出歩くこと自体は

 

全く抵抗がなかったためです照れ

 

 

私は早速カウンセリングの先生と母親にパソコン教室に通ってみたいと相談しました。

 

先生からOKが出て、母親が中学校の先生にパソコン教室に通わせたいとの

 

お願いをしました。

 

中学校の先生方の中では賛成する意見が出た一方で、

 

本来学校に通う時間なのに、なぜその時間をパソコン教室へ通うのか、といった

 

いろいろな意見が出たようでしたが、

 

最終的には許可が下りたので通うことになったのですお祝い

 

 

パソコン教室は中学2年生の中期から中学3年生の初期まで通いました。

 

パソコン教室ではタイピングの仕方から一般的な文書の作り方を習いました。

 

先生にも恵まれ、ただ自宅にいたときに比べて、

 

格段に充実した時間を過ごすことができました。

 

 

このとき経験がのちに、

 

高校1年生で学年最速でパソコンの資格を取れたことにつながるのです…!!

 

世の中無駄なことなんてないんですねグラサン

 

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【痛烈】人生を変えた言葉【一生の宝】

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”不登校”公認会計士ですよ星

 

今回は私の人生の原動力となっている言葉を紹介したいと思います食パン

 

それは私が中学2年生で不登校真っ盛りの時です。

 

その言葉を放ってくれたのは小学校時代からの友達で、

 

学級崩壊の中心メンバーの一人(Y君)です。

 

 

Y君が私の自宅に、私の知らない友達を連れて遊びに来た時でした。

 

Y君が私を他の友達に紹介するときに発した言葉は次のようなものでした。

 

「こいつ、見た目ほど頭よくないんだぜ?!」

 

 

当時の私にとっては痛烈で、しかし受け入れざるを得ない言葉でした笑い泣き

 

友達のその発言はきっと、以下の事情から出たのだと思われます。

 

 

私の小学生時代を知るその友達は、私が小学生の時、

 

勉強を先取りし、余裕をもって勉強をしていていい成績をとっていたことから、

 

優秀なのだと認識していたのだと思います。

 

ちなみに私自身も自分は優秀なのだと誤認していましたゲロー

 

 

しかし中学生となり、周りにはもっと勉強を先取りした優秀な生徒が多く存在しており、

 

私の優位性は失われ、成績は鳴かず飛ばずになってしまいました。

 

そんな哀れな私を見ての発言だったのだと思います(正解!)

 

いやぁ、、客観的にみれば大したことない発言のように思えるかもしれませんが、

 

私にとっては、あれほど強烈に自尊心を傷つけられたことは、

 

後にも先にもないかもしれません。

 

それくらいひどく落ち込む言葉だったのですチーンガーンガーン

 

 

しかし、この言葉がその後の私の人生において、原動力となる言葉となりました炎

 

不登校の最中、一般入試や推薦入試に向けて勉強しているときも

 

この言葉が頭にちらついて、自分は他人にこう見られていたのかと気づき、

 

より一層勉強に身が入りました。

 

 

この言葉に対する執着は、高校以降も決して消えることはなく、

 

高校での検定試験や大学入試の勉強しているときも

 

「これを突破すればあの友達を見返すことができる!!」と考え、

 

ただひたすらに勉強に打ち込みました。

 

 

さらに大学生になり、公認会計士試験の勉強するようになったときも、

 

「もう私にあの時と同じ言葉は言わせない!

 

言うことができないところまで登ってやる!!」

 

という気持ちがとても強かったです。

 

しかし彼のおかげで、難関試験の勉強に没頭でき、試験を突破することができました。

 

 

そして現在は、「もうあの時と同じ言葉が飛び出すことはないところまで登ってきたけれど、

 

もっともっと高いところに登って、

 

あのときの不登校野郎がこんなになってるなんてポーンと驚かせて

 

やろう!!

 

とさらに高みを目指す原動力となっています。

 

 

あのとき、私に一生の宝ともいえる言葉を放ってくれたY君。

 

本当に感謝をしております…!!

 

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【無垢な心?】不登校中のあれこれ【偽善?】

前回の記事はコチラ

 

 

”不登校”公認会計士ですよ星

 

中学2年生は不登校のピークでした。

 

不登校は年間の欠席日数が30日を超えると認定されますお祝い

 

通常の中学生の年間登校日数は約200日程度ですが、

 

私の欠席日数は3桁を軽く超えていました

 

 

カウンセリングに通い始めた当初は不登校ではなかったものの、

 

カウンセリングを受けることで自分の本心を出すことができた私は

 

「学校へは行くべきだけど、行かない」という選択をしました。

 

これは、今まで親を通してしか決断できなかった私の初めての決断、選択だったと思います。

 

 

当時はわからなかったのですが、私の母親は過保護、過干渉であり、

 

子供に期待するあまり、良かれと思う方向へ母親が決断し、

 

その道に私を進ませていました。

 

そのため、私は自分で決断し行動することがなく、成長する機会もなかったのです。

 

 

他方、不登校中の交友関係はというと、

 

不登校を始めてから、友達との交流が不登校をする前よりも増えたのですポーン

 

中学2年生時代はほぼ毎日といっていいほど、二人の友達と遊んでいました。

 

この二人は私の自宅へきて、テレビゲームをしていました。

 

 

私はこの二人といるととても楽でした。

 

それは、この二人が私を不登校の人という見方をしていなかったからだと思います。

 

二人に「不登校のヤツ!」と思われていないと感じた私は、

 

二人をすんなりと受け入れることができたのです。

 

 

一方、もう一人、別の友達も私の自宅に遊びに来てくれていました。

 

この友達は私を熱心に学校へ来なよと誘ってくれる友達でした。

 

 

今考えるととてもありがたい友達だったのですが、当時はとても嫌でした。

 

その友達は上記の2人とは異なって、私を不登校の人という目でみており、

 

不登校の私を再登校へ導く自分に酔っていると当時は感じました。

 

そう感じた私は、この友達をほぼ拒否していました。

 

 

次の記事では、

 

不登校のときに友達に言われた最も心に残っている言葉であり、

 

かつ、その後の人生に影響を与えた言葉を紹介しますウシシ

 

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【先生を通して】カウンセリング開始 ~母親のターン!~【思いを伝える】

前回の記事はコチラ

 

 

”不登校”公認会計士ですよ星

 

前回に引き続き、今回は母親の面談を中心に綴ります。

 

 

私の面談が終わると次は母親の番です。

 

母親の面談では私が面談で先生に話したことを母親にフィードバックします。

 

私は母親に言われたこと、父親に言われたことをすべて先生に話しているため、

 

それがすべて母親に伝えられます。

 

「お母さん、なんでこんなこと言ったんですか!?」。

 

先生は私にはとても優しかったのですが、

 

母親に対してはとても厳しく対応していたようです。

 

 

私は知らなかったのですが、当時母親はこれにとても参っていたそうです。

 

でも、もし当時の私が母親が参っていたことを知っていたとしても、

 

母親をかわいそうだとは思わなかったと思います。

 

なぜなら、当時の私は母親に不満がたまっており、

 

自分の気持ちを知ってほしい、分かってほしいと思っていたからですムキー

 

 

そして母親は先生から、この子の好きなようにさせるように、と指導を受けたらしく、

 

その後、私が「明日、学校を休むショボーン」というと何も言わず休ませてくれるようになりました。

 

ただし、朝は自分から学校の先生に休む旨の連絡を入れることが条件で、

 

それを守りつつ、休んでいました。

 

当時目が悪くなるからと言って買ってはダメだとされてきたゲームボーイも

 

買ってもらうことができ、

 

カウンセリングの先生とポケモン金銀をやってあそんでいた記憶がありますニヤニヤ

 

 

学校に行かないという選択を自ら行い

 

”みんな”と違うレールを歩み始めたのがこのあたりで、

 

私の人生のとても大きな分岐点です。

 

 

当時は将来に対する不安が多分にありました

 

”みんな”と同じ道を歩まないのだから当然ですよねアセアセ

 

しかし今は、学校に行かないという選択をして本当によかったと思っています。

 

学校に行かなかったからこそ、今の自分があると思えるからですOK

 

 

こうして中学1年生の秋から中学2年生の初期にかけてのカウンセリングは

 

 

進行していったのでした…。

 

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【不満】カウンセリング開始 ~俺のターン!~【爆発】

前回の記事はコチラ

 

 

 

”不登校”公認会計士ですよ星

 

中学1年生の秋からカウンセリングが始まりました。

 

カウンセリングの頻度については、当初は週に1回、私が2時間、母親が1時間でした。

 

カウンセリングではまず私がカウンセリングの先生と面談を行い、

 

その後、母親が面談行います。

 

今回は私の面談を中心に綴りたいと思います。

 

 

私の面談では2時間のうち、1時間は先生とゲームをしてとりとめのない話をし、

 

その後、1時間は近況を話します。

 

カウンセリングに通い始めた当初は、

 

学校に行きたくないと思うのは自分の甘えであり、

 

自分だけの問題だと思っており、

 

特に両親は関係はなく、また不満はないと考えていました。

 

しかし、カウンセリングが進むにつれて、

 

両親に対する不満が多くたまっていることがわかりました。

 

先生とのカウンセリングの一環で、両親に対する不満をノートに書き始めたところ、

 

手が止まらなかったのです炎

 

まさに幼少期から中学1年生までにたまりにたまった不満が

 

爆発した瞬間でした。

 

父親にはアダルトチルドレンに関する不満を、

 

母親には期待からくる日々の言動の不満を先生に伝えていました。

 

 

ここで、アダルトチルドレンって何だよ!?という方のために簡単に説明しますOK

 

アダルトチルドレンとは家庭としての機能が不完全な家庭で育ったために、

 

成人してもなおそれがトラウマとして残っている人を指します。

 

簡単に言えば、「オトナコドモ」です。

 

 

前の記事でも記載しましたが、

 

父親は自分の母親から十分に愛情を注がれないまま育ったので、

 

代わりに私の母親に母性を求め甘えます。

 

そうなると、父親は同列となった私にライバル心を抱きます。

 

このことを子供ながらに感づいてしまった私は、

 

父親が私に「母親に甘えるな!」と言っていたことに対して、

 

「父親のほうこそ私の母親に母性を求めて甘えているだろ?!、

 

むしろ私が自分の母親に甘えることの何が悪い!!」

 

という怒りの感情を常に持つようになり、不満でいっぱいだったのでした。

 

 

私もまた、こうした機能が不完全な家庭で育ったため、

 

その歪みが不登校という問題を発生させたのかもしれませんもやもや

 

次の記事では母親の面談を中心に綴りたいと思います流れ星

 

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【限界】不登校の始まり【限界】

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”不登校”公認会計士ですよ星

 

 

「頭が痛い、気持ち悪い。」

 

 

夏休みが明けてしばらくたち、急に始まったと記憶しています。

 

 

家族はもちろんのこと、自分でさえ、この頭痛と吐き気の原因はわかりません。

 

朝になると頭痛と吐き気が強くなるのですチーン

 

最初は何かの病気かと思い、いろいろな病院へ行きました。

 

問診を何度も受け、MRIも2回取り、さらには髄膜炎を疑われ、

 

入院しながら骨髄液を取りました。

 

それでも異常は見られませんでした。

 

 

このとき私は学校にいけない自分を「なぜこうなってしまったのだろう…ショボーン

 

と思っていました。

 

自分の頭では学校にいかなければならないと思っているのですが、

 

朝になると頭痛と吐き気がそれを阻みます。

 

勉強が遅れ、罪悪感が強まる一方です。

 

 

頭痛と吐き気の原因について特に思い当たる節はありませんでした。

 

父親にいたっては扇風機の浴びすぎによる頭痛だと荒唐無稽な診断をする始末です。ポーン

 

検査をし、異常なしとの結果を医者から示され、

 

その後、母親が言ったことをまだ覚えています。

 

それは、

 

「なんでもなかったんだから、このあと学校行きなさいよ!」

 

大変ショックを受けた記憶があります。

 

本当に頭が痛いし気持ち悪いのに、

 

それを分かってくれないし分かろうともしてくれないと感じたからです。

 

 

また自分自身も、

 

診察の結果全く異常が発見されないということは、

 

この頭痛や吐き気は気のせいなのではないか、

 

そして病気じゃないのに学校を休むのはずる休みになるのではないか、と思いました。

 

こういった理由で、体調が悪い中無理に学校に行った覚えがあります。

 

 

この頭痛と吐き気の正体はいったい何だったのでしょう。

 

それは自分が限界を迎えたというシグナルであったのだと思います。

 

では限界とは何だったのでしょう。

 

それは自分が「いい子」であり続けることの限界です。

 

 

前にも書いた通り、私は小学校時代からずっといい成績を取り続け、

 

中学校の部活も精いっぱい頑張って、

 

母親の期待に応え続ける「いい子」でいました。

 

 

しかし、中学校では周りに優秀な生徒が多く、いい成績を取り続けることができなくなり、

 

部活も大変なストレスとなりました。

 

そのため母親の期待に応えられなくなっていく自分に自信をもつことができなくなり、

 

そして、とうとう「いい子」でいる限界を迎えたのです。(望みが絶たれたー!!!ゲロー

 

それから様々な病院を巡り最終的には東北大学病院のカウンセリングを勧められました。

 

季節は秋の中盤、10月の中頃です。

 

ここからカウンセリングが始まるのです…!!

 

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【不登校】不登校開始まで【突入】

 

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”不登校”公認会計士ですよ星

 

今回は不登校編突入です!

 

ついに始まった中学校生活!

 

部活も始まり、放課後練習と朝練、そして勉強に励む毎日です。

 

 

部活はバドミントン部に入部しました。

 

実は私は運動はあまり得意ではなかったのですが、

 

小学校からの友達Oさん♂が一緒に入ろうよと誘ってくれたことと、

 

推薦入試を狙っていて、「部活めっちゃ頑張ってました!」というネタが

 

欲しかったというのもあって、バドミントン部にしたのです。

 

 

推薦入試について少し触れると、

 

そもそも高校を推薦入試で受けたらどうかと言い出したのは母でした。

 

というのは、私の入試の学区が激戦区でして、

 

普通の頭じゃ賢い高校に入ることが難しく、

 

推薦入試ならば、勝ち目があると踏んだようです。

 

私も、母がそう言うならばと、推薦入試を意識するようになり、

 

部活は少なくとも運動部には入ろうと思っていたのでした。

 

 

部活は不登校が始まった1年生の8月末頃まで、ほぼ休まず行っていました。

 

私が入部したバドミントン部は強豪ではないのですが、

 

顧問の先生がバドミントンで優秀な成績を残した方で、

 

部員に対しての指導は熱が入り厳しいものでした。

 

 

例えば、入部したての1年生は声を出して先輩たちと自分たちを鼓舞しながら練習するのですが、

 

どんなに声をはりあげても、「声が出ていない!」と怒鳴りつけられ、

 

体罰を受けたこともありました。

 

まぁ、体罰自体は私だけでなくほかの部員も受けていたので、

 

それほどショックなことではありませんでしたが。

 

 

夏休みもほぼ毎日のように練習があり、

 

真夏の閉め切った体育館でバドミントンの複雑なステップを反復練習し、

 

炎天下の中、何度もランニングをさせられました。

 

 

私が馬鹿真面目にバドミントン部に食らいついているころ、

 

私をバドミントン部に誘ってくれたOさん♂はというと、

 

部活が始まって2か月後くらいには消えていましたポーン

 

むしろ2か月いたかどうかも曖昧です。

 

 

当時の私は、部活を辞めるには退部届を必ず提出しなければならないし、

 

提出しないのならば部活に毎日いかなければならないと思っていました。

 

(このあたりがだいぶ真面目君な性格がでていましたね。。。)

 

しかしとうとう体力的にも精神的にも限界を迎え、部活を辞めるとなった時は

 

しっかりと退部届をまっとうな理由とともに提出しました。

 

 

その点Oさんは、退部届を出すという、

 

この上なく難易度の高いミッションをクリアすることなく、

 

スーッとそれはそれは自然に消えていきました。

 

今思えば、彼は私に足りない臨機応変な部分を持っていて、

 

ある意味素晴らしい友達でした(笑)。

 

困難に立ち向かうことも大切ですが、心と体を壊してまで耐えることはないと思います。

 

Oさんのように、ヤバいと思ったらすぐに見切りをつけて

 

危険を回避する力は見習わなければならないと思っていますニヤリ

 

 

一方で勉強も相変わらずがんばっていたのですが、

 

私の中学校は公立でありながら親が医者などで、

 

しっかりと教育を受けた頭の良い子が多くいました。

 

おそらく小学校時代からハイレベルな塾に通っていて、

 

中学校の勉強も先取り先取りで勉強していたのでしょう。

 

難しい問題にも取り組み慣れていたはずです。

 

なので、私が自力でいくら勉強をがんばっても、思うように順位は上がりません。

 

 

私は小学生時代からずっと、努力して良い成績を取り、

 

母親からの期待に応えることで自信の源にしてきましたが、

 

良い成績を実現できなくなった今、自信が徐々に揺らぎ始めました。

 

 

そんな日々が続き、夏休みが明けたころ、それは始まりました。

 

「頭が痛い、気持ち悪い。」

 

 

不登校編への突入ですゲロー

 

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